弍 転生しました

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  ✳︎  生後一年ともなると、私は活発に動き回っていた。おそらく『ワタプリ』の赤子の中でハイハイを一番極めているのは私だろう。 「だーっ、あーっ」  乳母、早くこの柵を外しなさい! 私はベビーベッドの柵になんとか掴まり立ちをしてから、ガシャガシャと柵を激しく揺らす。ハイハイがしたい、屋敷中這い回りたい! 「はいはい、レイラお嬢様、どうされましたか?」  母の母乳を貰いに行っていた乳母が、私の声を聞いて慌てて戻ってきた。 「あばーっ、うーっ」  私は相変わらず柵を揺らしながら外せとアピールした。そんな私を見て乳母は驚きの表情で固まってしまう。手に持っていた母乳入りの哺乳瓶を落としてしまい、それは転がると乳母の足に当たり停止した。 「お…お、奥様ーっ! レイラお嬢様がっ、掴まり立ちをなさっておいでですぅっ!!」 「なんですってぇ!?」 「なに!? レイラが!? 今夜は屋敷全員に馳走を振る舞おう! 祝いの晩餐だ!」  乳母の叫びに父と母が飛んでやって来た。 「あなた、何故ここにいらっしゃるの? 視察のお仕事は?」 「ん…? いやぁ、レイラに何かあれば屋敷にいる従僕にこの緊急連絡用の水晶を割れと命じていてな…その、転移魔法で飛んで帰ってきたんだ」 「あうっ、ばーっ」 「まさか、貴重な転移魔法スクロールを使ったの?」 「だ、だって…愛娘の成長、私だって見逃したくないんだもん…」  父と母が見つめ合う。 「それは…スクロールの一枚や二枚、仕方ないわよね!」 「そうだろう! 我が愛する娘のためならば!」 「だーっ、あうあーっ」  柵を外せーっ!   ✳︎ 「だめでしゅ、おかあちゃま、のこしゃじゅちゃんとたべてくだちゃい」 「…うーん、でもねぇ、レイちゃん…ママ、お野菜が好きではないの」  ここ最近の母はよく体を壊していた。元々体の弱い体質だったようで、私を産んでから母は少しずつ体力が落ちていき、二年経った今ではベッドの上で過ごすことが増えていったのだ。  父も母の体調を心配し、偏食を直すよう母に言い聞かせているがあまり効果はない。  父も母も美しい人で、華やかな美貌の持ち主だ。父は細身でいかにも文官といった体格で、明るい栗色の髪に綺麗なエメラルドの瞳をしている。垂れ目でスッと筋の通った鼻、薄い形の良い唇、そんな甘いマスクだ。前世の世界であれば、ハリウッドスターも夢じゃないほどの優男だ。  母は綺麗な黒髪で、黒猫を思わせるアーモンド型の少し目尻の跳ねた黒い大きな瞳、赤く染まった柔らかそうな唇、ツンととがった小さな鼻、そして肌はまるで衾雪のように白くて美しい。前世の世界にあった童話の白雪姫が本の中から飛び出してきたようだった。  有難いことに私は父の垂れたエメラルドの瞳と、母の黒髪と白肌を受け継いだ。将来は美女になるだろう。…ゲームのような『レイラ』には決してならない。 「ほら、エリー。レイもこう言ってるし、少し口に入れよう。娘も見てる、母の威厳を見せてやろう」  そう優しく言って母に野菜スープを差し出す父の言葉に私は思わず指摘してしまった。 「…にちゃいのむしゅめにこんなことをいわれていて、いげんもなにもないでしゅ」  父は何も言い返せなかった。 「ふえーーん、…ママ、頑張ってお野菜食べますぅ…」 「おかあちゃま、えらいでしゅ。よちよち」 「ふえーーん、レイちゃん大好き」   ✳︎ 「レイも三歳か、最近はまた重たくなったなぁ」 「おとうさま、れでぃーにおもたいなどと、しつれいですよ」 「ははっ、すまない、私の小さなレディー」  私は父の腕に抱かれ、母と三人で屋敷にある庭園を散歩していた。母の運動不足の解消のために始めた散歩は最近では父を加え、朝食後の朝の散策が家族の恒例となっており、特別な用事が無い限り父は散策を終えてからゆっくりと仕事を始めるようになった。  すれ違う庭師たちが私たちに頭を下げる。彼らにとって、こう頻繁に家主が庭園を訪れるとなると仕事のやり甲斐があるのだろう。庭園の美しい造形美に底知れぬやる気が満ち溢れているのを感じる。  そんな中、庭師筆頭の息子と娘を見かけた。双子である兄妹は、私よりも五つ上だ。社交性のある私は、なるべく歳の近い子どもたちと仲良くなりたいと考えている。兄妹はこちらに気付かず、しゃがんで頭を突き合わせながら何やらボソボソと話し合っている様子だ。私も彼らの輪に混ざってみることにした。 「おとうさま、あちらにげいるとましゅーがおりますので、おはなしししてまいります」 「そうかい。転ばないよう気を付けて」  父は、私が使用人の子どもたちと仲良くしたいと言っても嫌な顔ひとつせずに笑顔を浮かべていた。母も同様に「何のお話しをしたのか、後でママにも教えてね」と嬉しそうにしている。権力を持つ者の中には、選民意識の高い者も多いが、どうやら両親は該当しないようだ。私は器の大きい両親に対し誇らしい気持ちになった。  父がそっと私を下ろし、私は肉付きのいいふっくらとした両足でしっかりと地面を踏み締める。両親の話では、人よりも体格が小さく成長が遅めらしい私は最近まで歩くのも不安定で辿々しい足取りだったが、今ではこの両の御御足でしっかりと仁王立ち出来るようになったのだ。  心配そうに私の後ろ姿を見送る両親、転んでしまわないかハラハラとする使用人たち。ジリジリとした大人たちの圧力に異変を感じた兄妹が顔を上げる。そして近寄ってきていた私を見て驚いたように目を丸くした。 「レイラお嬢さま!」  兄妹はすぐに私の元へと駆け付けては、周りの大人たちと同様に心配そうな顔でオロオロとしていた。 「ふたりでなにをはなしていたの?」  私はウンザリとした気持ちで小さく息を吐いてから、二人に尋ねる。兄妹は互いの顔を見合わせてから、少し恥ずかしそうに「学校で習った計算が難しくて…」と小さな声で答えた。  治める領主によって平民が通える学校の普及率は変わってくるが、父であるシュテルンベルク侯爵が治める領地では他の領地と比べて平民の識字率は高い。平民である兄妹も当たり前に平民用の学校へと通っていた。 「ふむ…けいさんね。わたしにみせてみなさい」  私が言うと、兄妹は少し戸惑った表情をしながらノートを見せてくれた。 「……こたえは、4、よ」 「え?」 「9から5をひくと4……ここのつのくっきーをふたりがわけあったとして、げいるがいつつさきにたべてしまったら?」  私の言葉に二人は素直に想像を膨らませているようだ。 「…残りは四つしかありません。ゲイルの馬鹿が食い意地を張ったせいで、私は四つしかクッキーを食べられません!」  マシューが憎しみに満ちた目でゲイルを見ながら答えた。ゲイルは「えっ!?」と身に覚えのない怒りを受け戸惑っているようだ。 「ふたりがわからないもんだいは、わたしがおしえてあげるわ」  未来のシュテルンベルク侯爵の後継ぎとして、使用人、ひいては領民たちの面倒は主人である私がちゃんと面倒を見てあげるべきだ。私がニコッと微笑むと、兄妹は目を輝かせながら尊敬の眼差しで私を見てきた。 「レイラお嬢さまはなんてお優しいの!」 「あぁ、僕たちの女神さまだ!」  周りの大人たちは、驚いた表情で固まっている。 「あ、あなた…まだ三歳のレイちゃんが…」 「ああ…! 私たちの愛娘は、天才だ!」
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