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「オリヴィア、彼女に謝るんだ」
「……?」
王子の言葉に耳を疑った。
「キャロルは今回のこと、お前が謝罪すれば許してやると言っている。盗人などと噂されたくないだろう?」
謝罪すれば、この場限りで収めてやる、と暗に言われたレオンハーツ王子からの言葉を、私は必死に頭の中で理解しようとした。
まず、身に覚えのない罪に謝罪をする気はない。
まず、王家の次に貴い公爵家の者が、下級貴族の、それもただの令嬢に頭を下げて謝罪をするなど常識的にありえない。
家格の高い者が下の者に謝罪したい時は、文書とそして慰謝料代わりの何かを贈る。簡単に頭を下げては、上の者として面目が立たないからだ。更に私は未来の王妃となる身、人に簡単に頭を下げてはいけない立場なのだ。
「お言葉ですが、レオンハーツ王子。私には身に覚えのない罪に謝罪する必要はないと思っております」
レオンハーツ王子も、私が簡単に頭を下げられる立場でないことを理解しているはずなのに、なぜこのような事を仰るのか。切実に訴えてみようと切り出した時、レオンハーツ王子は怒りの形相で、強く、ドン、とテーブルを叩いた。
「オリヴィア! いいからキャロルに早く謝れ!」
生まれてこの方、怒鳴られたことのなかった私は、王子の怒鳴り声に縮み上がる思いで肩をあげた。恐怖から、何も言えなくなってしまった。
私が暫く黙っていたので、レオンハーツ王子は「ちっ!」と大きく舌打ちし席を立つ。
「お前のその傲慢な考え、態度に、心底軽蔑するよ。もう顔も見たくない」
そう吐き捨てて立ち去って行ったレオンハーツ王子。私は、何か罪でも犯したのだろうか。私は、何故このような目にあっているのか…。
呆然と小さくなっていく王子の後ろ姿を眺めていると、くすりと笑う声がした。
先程まで泣いていたキャロライン嬢は、まるで何もなかったかのように楽しそうな笑みを浮かべている。
「……」
何も言う気力もなくて、笑う彼女を見つめていた。
「お可哀想な、オリヴィア様っ」
キャロライン嬢は可愛らしいお顔に歪んだ笑みを浮かべると、コト…と、小さなガラス瓶をテーブルに置いた。
「あたし、オリヴィア様のこと、公式情報を読んでよぉく知ってるよ?」
知らない単語が出てきたが、私は放心したまま彼女の言葉に耳を傾ける。
「政略結婚の愛のない家庭で生まれたオリヴィア様。生まれる前から未来の王妃という立場が決まっていて、そのためだけに育てられた可哀想な少女」
彼女の言葉に、私の顔が強張っていく。
「その立場しか、貴女には価値がないのに、レオン様に捨てられたらどうするの?」
堪らなくなり、涙がこぼれ落ちた。
「…やめて…」
恐怖から声が震える。父と母の顔が頭に浮かんで、両親に無価値だと思われた視線を向けられると考えるだけで、うまく呼吸が出来なくなった。私の短い、浅い呼吸を見て、キャロライン嬢はニンマリと笑っている。
「貴女の両親はきっと失望するだろうなぁ、いらない子になっちゃうね、オリヴィア様?」
「もう、やめてください…っ」
苦しい。私自身も感じていた、両親の期待は『未来の王妃』に向けられたもので、決して私に向けられたものではないことも、気付いていた。
でも、仕方ないではないか。家族の、偽りでもいいから愛を勝ち取るために、与えられた役目に執着することの、何が悪いというのだ。
「貴方の価値は『未来の王妃』ということだけ。でも、ごめんね、あたしがそれ、貰っちゃうね?」
私の目に映る彼女は、まるで悪魔のようだ。
「きっと辛いと思うんだ。だから、ね? まだ価値のある貴女のまま、幕を引くのもいいと思うよ?」
悪魔は囁きながら、先程テーブルに置いた小瓶を私の方へと近付ける。
私は虚な目で、その小瓶に詰められた、どこまでも透明な液体を静かに見つめた。
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