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「え、未知なる…?」
急に現れたザカライアに驚きつつも、バルファルトはザカライアの言葉を復唱して理解しようとする様子を見せていた。
「そうだよ、誰だってそうだ。未知なる経験は、誰だって胸が躍るでしょう?」
ザカライアは大股で入ってくると、そのままバルファルトの隣に腰を下ろす。
「君は経済に関心が高いから。だから、商会運営に興味があるんだ。そうだよね?」
何だか圧が強いザカライアの問いに、バルファルトは目を輝かせて頷いた。
「…そう、そうです! 僕は商会運営にとても興味があります!」
バルファルトの答えに、ザカライアは安堵した表情で笑顔を浮かべて「ふう、危ない…また羽虫が…」と何やらよく聞こえなかったが小さく呟いていた。本当に、急に来て何なんだ?
「…とにかく、バルトが手伝ってくれると言うなら有難いです。級友ではなく雇用主、という立場からにはなりますが、お力貸して頂けますか?」
「勿論だよ、レイ! むしろ、こんな貴重な経験の場を有難う!」
私は笑顔で大きく頷く。有能秘書、ゲットである。
✳︎
バルファルトが来てくれてから、私の仕事量が減り時間に余裕が出来るようになった。
今日は久しぶりに図書館を訪れている。手に取った本は『マナを増やす方法について』と、安直に命名された本である。
ザカライアに相応しい伴侶となるために、私はこの僅かにしかないマナを何とか増やせないかと模索中だ。
「ふむ…バナナを沢山食べるとマナが増える、かも…ですって? 本当なのかしら?」
どれどれ…バナナには脳や体に効率良く栄養補給してくれて、リラックス効果と…免疫力アップも見込めるのですって!? ゆえにバナナで健康体作りに励み、多くのマナを受け入れられる体を手に入れることから始めることが大事と言うことね。
「バナナ…おそろしいほどに素晴らしい食材だわ…さっそく明日から毎日食してみよう…」
と、ぶつぶつ呟きながら読書をしていると、目の前に誰かが座った。チラリと目を向けると、ガブリエルだった。
「やぁ、レイ」
「こんにちは、エル」
愛称で呼び合うほどには、友好関係を築いていた。
ガブリエルは私の持つ本のタイトルに目を向けると、「ぶふっ」と笑いを堪えた末、吹き出した。
「本当に君は面白いね」
目尻に涙すら溜めて言うものだから、私は思わず口を尖らせる。こちらとしては、本気で模索しているというのに。
「レイラ、君には感服した」
ガブリエルが本を開きながら、何気ない様子で言った。
「ふふ、光栄です」
私も微笑んで、再び本に視線を落とす。きっと、ガブリエルは魔塔商会のことを言っているのだろう。毎日楽しそうにシュテルンベルクの屋敷にやって来ては、ユージンたちと意見交換しているのだから。
それは、魔術の道を進む者の求める、一つの在り方でもある。
「ところでレイラ、」
ガブリエルが淡々とした声色で話しかけてきた。当初のような冷たい印象はもはやない。分かりにくい人だけれど、相手を思いやれる優しい人なのだと、もう分かっているから。
「私はどうやら君のことが好きみたいだ」
「はいっ?」
急に投下された爆弾発言に、私は思わず本から顔を上げる。目の前に座るガブリエルは、眩しそうに目を細めて私を見つめていた。
「すみません、ガブリエル様。私はザカライア以外には考えられません」
考えるまでもなく、私は一息つかずにガブリエルを振る。
「ははっ、そうだろうな。ここで君が私に心変わりするような女性なら、私は君を嫌いになっていただろう」
「はあ…」
楽しそうに肩を震わせて笑うガブリエルに、私は呆れた眼差しを向ける。
「私は、ザックに恋する君が好きなんだ」
雪の精霊のような人が、こんな温かい笑顔を浮かべるなんて、知らなかった。
「…本当に、難儀な性格ですね」
少しでもガブリエルに目を奪われてしまっていた私は、それを隠すように素気なく言う。
「そうなんだ、私は難儀な性格で、魔術と同じで常に追い求めたい性なんだ」
「それでは幸せになれませんよ?」
揶揄ってくるガブリエルに対抗して、私も嫌味の応酬だ。私が片眉を上げて、ニヤリと笑いながら言うと、ガブリエルも負けないくらいに悪巧みした笑みを浮かべる。
「くくっ、ところでレイ、『略奪愛』という言葉を知ってるか?」
一瞬何を言われたのか分からず、ガブリエルが手に持つ本のタイトルに目を向けた。——『ゴメス夫人の淫らな寝室』。
「……本当に、本当に! 難儀なお方ですねっ」
ガブリエルは可笑しそうに笑って、改めて綺麗な微笑みを浮かべると、その細くて長い人差し指を立ててゆっくりと口に当てる。
「図書館では、お静かに」
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