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間話 悪役令嬢の選択
下腹部が燃えるように熱くて、とても苦しかった。痛くて、痛くて、一歩も歩けなくて、蹲ってずっと泣いていた私の腕を、誰かが引っ張った。
顔を上げると、人を象った光の集合体のようなものがいた。
怖いとは思わなかった。小さな幼子ほどの身長で、泣いている私の顔を覗き込む仕草を見せる。
その様子が愛らしくて、少しだけ、痛みが和らいだ気がした。
その子は、私から離れようとしなかったので、私は涙に濡れた顔で微笑んでみせた。すると、その子はぴょん、と飛び跳ねて嬉しそうな様子を見せてくれる。
かわいかった。
「ここは一人で寂しいの、一緒にいてくれる?」
そう尋ねると、その子は何故か首を横に振る。
悲しい、と思ったら、その子は私の髪を一房掴んで、喰み始めた。戸惑ってじっとその様子を眺めていたら、その子はまたぴょん、と跳ねて首を横に振る。
「私の髪が好きなら、ずって噛んでいてもいいのよ?」
だめ、と言うように首を振り続けるその子に、私は気が抜けて笑っていた。
気付けば痛みは無くなっていた。苦しさも、何もかも。
その子が突然引っ張ってきたので、私は慌てて立ち上がる。
あっち、と向こうの方を指差して、私をそこへ連れて行こうと引っ張るので、私は仕方なくその子と手を繋ぎ直して言う通りに動いた。
特に変わり映えのない空間を二人で歩いた。
「ところで、あなたの名前は何と言うの?」
思い付いたようにその子に尋ねると、その子が急に手を離して手を振った。
「え?」
——ばいばい。
私の意識はそこで沈んでいった。
✳︎
意識が浮上して、次に目を覚ますと、そこは病室のようだった。
「——オリヴィア!」
すぐ横で、よく知った男性の叫び声。枕に頭を付けたまま、横へ顔を向けると、そこには私と同じ髪色をした男性がいた。
「……お父、様…?」
あの子はどこへ行ったのだろう? ぼんやりとそんな事を考えていたら、険しい顔をした父を見て、私の意識は覚醒する。
レオンハーツ王子が主催したパーティーで騒ぎを起こしたのだ。死ぬ覚悟であの液体を飲んだのに、結局こうして生きている。私のこれからの人生を想像するだけで、絶望でしかなかった。
なぜ、私は、死んでないの…?
「オリヴィア」
父の厳しい声色に、心臓が跳ねた。私は動かしづらい体に鞭を打って、何とか上体を起こす。体を起こすと、父の後ろにエイデン公子がいたことに気付いて驚いた。彼の顔が見れなくて、私は咄嗟に俯いた。
なぜここにエイデン様が…? 疑問符が頭の中を駆け巡るが、うまく考えが纏まらない。この状況に戸惑っていると、父が口を開いた。
「馬鹿なことをしたな」
心臓が、締め付けられる。
「…はい、申し訳ありませんでした」
やはり、愛想を尽かされたのだろうか。
「医者から聞いた。奇跡的に一命は取り留めたが、お前が飲んだ毒薬の副作用で、お前は今後、子を産めない体になってしまったと」
がん、と何かが落ちてくる感覚に襲われる。私はおそるおそる、自分の下腹部に手を置いた。
『子供の産めない体』。じゃあ私はこれから……夢で会ったあの子は、もしかして…。
「自殺を図るとは…モーガン公爵家の者としての自覚を持て!」
怒りが収まらない父が怒鳴った。私は、更に俯いて、肩を縮こませては父の次の言葉を待つ。
「お前の母の願いを、知らない訳ではないだろう!」
ぽろり、と、涙がこぼれ落ちる。心配の言葉をひと言もかけてくれない父に落胆したのか、それとも、彼らの望む娘になれなかった自分を恥じてなのか、色んな感情が混ざり合って、いっぱいいっぱいになってしまった。
「——オリヴィア嬢」
エイデン公子の声に、私は少しだけ顔を上げた。
「死ぬ覚悟をしてたんだ、もう怖いものなんて無いはずだろ? 言いたいこと、この際、全部言っちまえよ」
そして、笑う。あの日、太陽の下で見たものと同じ、眩しい笑顔で、エイデン公子は私の背中を押してくれた。
「……知って、います、お母様はっ…ご自身が成し得なかった『王妃』を娘の私に託していることを…」
私が話し始めると、父は黙って耳を傾けてくれた。
「お父様とお母様が政略結婚と言うことは理解しております。だから、そんな二人から産まれた私は必ずモーガン公爵家のためにならなくては愛す価値もない娘だということも…」
自分で言っていて悲しくなる。一度言葉を切って、ひと呼吸置いて続けようとしたところで、父が言葉を挟んだ。
「それは違うぞ、オリヴィア」
目をやると、険しい表情の父。
「違う、全然違う。お前は間違えている」
私が、間違えて…? 何を間違えたのか分からない。どうしよう、これ以上の失態は、本当に両親から見放されてしまう。湧き起こる恐怖からガクガクと肩が震える。私は必死な思いで、止まれ、と自身の肩を抱いた。
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