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壱 ザカライア、浮気を疑われる
「レイ、あのさ、大事な話があるんだけど」
本日最後の授業が終わって、帰宅しようと立ち上がった時、神妙な顔をしたリュカがやって来た。その後ろにはグレイシアもいる。
「二人とも、どうしたの?」
最近の魔塔商会は魔術師の雇用も緩やかだが増えており、それに比例して増える雑務を学園にある『経済討論学部』の部活生に社会見学の一環として割り振ってみるのはどうかというバルファルトの提案があり、私はちょうど彼の作成した企画書に目を通していた。
書類から顔を上げて首を傾げる私に、二人は言いづらそうな様子を見せた。グレイシアはともかく、良くも悪くもはっきりと物事を言うリュカが珍しい、そんな事を思った。
「…ザック兄さんのことだけど」
「ザッくん?」
私は婚約者の名前が出てきたので、肩にかけていた鞄紐を下ろして勉強机の上に置いた。そして二人に体ごと向けて、しっかりと話を聞く体勢をとる。
「僕とグレイシアさんで、朝の日課の薬草花壇に水を撒いてた時なんだけど…」
毎朝、二人でそんな事をしているのね。そんな考えが頭を掠めたが、彼らの真剣な表情に、茶々を入れないでおこうと黙って次の言葉を待った。
「…ザック兄さんが、他の女子生徒と人気のない場所で、隠れるように会っているところを見たんだ」
意を決して話したであろうリュカの顔をみて、私は目を丸くした。
「……うん?」
そんな言葉しか出て来ないくらいには、驚いたのだ。
「レイちゃん、それで、会っていた相手というのが、あの…」
グレイシアは何故か涙目で、その姿を見た私の心が妙に騒つく。
「キャロライン、伯爵令嬢だったの…」
ぐしゃり。
「あっ、いけない…仕事の書類が…」
つい、手に力が入って、書類を握り潰してしまった。私は動揺を隠すように、書類を机の上に広げて、丁寧に皺を伸ばしていった。
「っ、レイ至上主義のザック兄さんに限って、大丈夫だろうけど…一応、レイに報告しておくよ」
私の様子を見て何やら言葉を濁すリュカに、私は目を向ける。きっと、リュカの話はこれで終わりでは無いはずだ。しかし、リュカは話さない方がいいと判断したのか、口を噤んでしまったのだが、それに対してグレイシアが猛抗議していた。
「リュカ先生っ、ちゃんと、私たちが見たことを全部報告しようって、さっき話し合ったじゃないですか! キャロラインさんとザカライア公子が抱き合っていて、『あたしの全部、教えてあげる』と言う彼女に対して、『君のことが知りたい』と公子が話していたこと、全部!」
びりぃっ!
「あら? 突然、なぜ書類が破けて…?」
はて? と首を傾げる私を、二人は青い顔で見た。
「レイ…? 大丈夫?」
「なにが?」
私はくわっと開いた目でリュカを見ると、リュカは肩をビクリと揺らす。
「目が怖いけど…」
リュカは何を言っているのかしら? 私は至って冷静でいつも通りよ。私は、ふぅ、とひとつ息を吐く。
「ルカ、シアちゃん、ありがとう」
そして微笑んでみせた。
「きっと、何か事情があるのよ」
「で、でもっ…」
心配そうな顔でグレイシアが何やら言い募ろうとしたので、私は視線で彼女を制する。
「私は、ザッくんを信じてる」
リュカとグレイシアは、私の答えにもう何も言えなくなったようで、「レイ…」「レイちゃん…」と悲しげに呟いていた。
「けれど、」
すう、と私の表情から笑顔が抜けていく。
「万が一、いや、億が一…いいえ! 兆が一! ザカライアが私を裏切ったのならば!」
段々と怒りを含む私の声色に二人は青い顔をして「グレイシアさん、『兆が一』って何?」「わ、わかりません…」と何やらぶつぶつ呟き合っている。
「世界で一番可愛くて、格好良くて、私をこんなにも好きに夢中にさせた責任を取ってもらう為に、彼には地獄へ落ちてもらうわ! 二人には協力して欲しい、いいかしら?」
私の鋭い視線を受けて、二人はコクコクと首振り人形のように頷いた。
「惚気なのか、なんなのか…」
「レイちゃんって、熱い女の子だったのですね…」
✳︎
とはいえ、私も最近のザカライアの様子が変なことには気付いていた。
二人でいる時もそわそわと落ち着きがないし、スキンシップ過多なザカライアにしては、あまり触れてこなくなった。それに目が合う回数も減った気がする…。
それもこれも、あのサマー・ティーパーティーからだ。
私の仕事量も増えてきていたし、ザカライアも毎日、侯爵邸に訪れては魔道具の開発に取り掛かっていたから、忙しさ故のすれ違いかな、落ち着いたら二人で王都デートでも…なんて、呑気に考えていたのだけれど。まさか、ね。
ザカライアに限ってそんな…そんな事、あり得ないよね?
いつもの待ち合わせ場所で私一人で待っていると、ザカライアがやって来た。
「ザッくん、帰りましょうか」
「ごめんね、レイちゃんっ…僕、その、用事があって…」
しどろもどろな様子でそう答えるザカライアに、私は眉を顰めた。
「…用事? ザッくん、私に何か隠し事でもしてる?」
「ち、ちち違うよ!」
嘘が下手か。慌てて首を横に振り、目線が泳ぎまくるザカライアに、私は無の表情でジッと見つめていると、ザカライアは涙目になりながらも、「大切な用事なんだっ」と言った。
『大切な用事』、いくら婚約者とはいえ、相手の用事を根掘り葉掘り問いただすのは如何なものだろう?
問い詰めたい気持ちをぐっと抑えて、私は息を吐く。
「そうなの。それじゃあ、また明日一緒に帰りましょうね」
「う、うんっ、もちろんだよ…!」
ザカライア、私、信じてるから。
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