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私は、媚薬の効果も完全に抜けて落ち着きを取り戻したザカライアを連れて、馬車に乗っていた。ブラウスのボタンも、ザカライアの魔法で修復して貰った。リュカ達を待とうかとも考えたが、とても疲れたので、早く家に帰って横になりたかった。
「ザッくん、どうしてキャロライン嬢と会っていたの?」
浮気はしていなかったのかもしれない、けれど、会いに行ったことは事実で、知ってしまったからにはちゃんと理由を知りたかった。
隣に座るザカライアに目を向けると、彼は悩む素振りを見せるが、はあ、と息を吐いて「だからと言って、レイちゃんに心配をかけるのは違うよね…」と独りごちた。
「レイちゃんにずっと聞きたいことがあったんだ」
顔を上げたザカライアは、覚悟を決めた顔をしていた。
「でも怖くて聞けなくて、ずっと悩んでいたら、今朝待ち伏せていたのかキャロライン伯爵令嬢が僕の前に現れて…」
きっと、リュカ達が朝見た光景の部分だろう。
「彼女が自分の全てを教えてあげると言ってきて、僕はどうしても知りたいと思ったんだ」
「…なぜ?」
ザカライアが口を開いた後、そのまま閉じた。私は彼の言葉を静かに待つ。
「レイちゃんとキャロライン伯爵令嬢が、」
その瞬間、馬車の車輪が石でも踏んだのか、ガタン、と大きく揺れて私は倒れそうになってしまう。咄嗟にザカライアが私を抱き締めた。御者の「申し訳ございません!」と謝っている声が、外から聞こえてきた。
ザカライアと見つめ合う。彼の、私を抱く手に力が入った。
「二人が、この世界の住人じゃないと聞いてしまったから」
そうか、ザカライアは…サマー・ティーパーティーの最後に話した、私とキャロラインの会話を聞いてしまったのか。
「それが本当で、いつかレイちゃんが元の世界に戻ってしまうんじゃないかって想像したら、とても怖くなったんだ…」
ザカライアの目から、涙がこぼれて、私の頬に落ちてきた。
「だから、僕は、君をこの世界から逃がさないように、奪われないように何でもしてやろうと思って…」
私を見つめているのに、どこか遠くを見つめるザカライア。その瞳は少しずつ濁ってきているように見えて…私は、そっと彼の頬に手を当てて、腰を浮かすと、軽い口付けを贈った。
「れ、レイちゃん?」
顔を赤らめて慌てるザカライア。紫の瞳には、私の姿が映っている。
「キスまでならいいって、私、言ったので…」
照れてしまうのは不可抗力だ。ザカライアは切なそうに笑って、私に覆いかぶさるように顔を近付けてきた。
「ザッくん?」
私が片眉を上げて笑うと、「君とキスがしたいと思いましたので」と、言って笑う。
「何度だってしたいよ、これからも」
ザカライアはそう締め括って、私に深くて優しい口付けを落とした。
つい先程、私はこの婚約者に獣のように激しく唇を貪られたわけで…だからなのか、何だか、物足りなさを感じてしまう。
「そんな目で誘わないでよ…」
ザカライアの苦しそうな言葉にハッとする。まさか私、物欲しそうにザカライアを見ていたの? かぁっ、と熱くなる顔を隠すように顔を背けると、ザカライアは剥き出しになった私の首筋に口付けた。
「ひ、ゃ!?」
ゾクッと首から体へ何かが駆け抜ける。
「ザッくん、キスだけだって…!」
「これもキスだよ?」
そう言ってザカライアには珍しい、悪戯っ子のような笑顔を浮かべた。
私はそんなザカライアの頭を胸に抱えるように抱き締めて、彼の柔らかな白銀髪に顔を埋める。
「私、向こうの世界では生を終えたの。こっちの世界でちゃんと、新たな生を受けて、ザッくんや皆がいるこの世界で生きてるから…だから心配しないで」
ザカライアは何も答えなかったが、頭がこくりと一度頷いた。
「いなくならないよ、これからも一緒に生きていこう」
やっぱりザカライアは何も答えなくて、震えていたので、私は笑って、私の可愛い泣き虫な婚約者の頭を、侯爵邸に着くまでの間、ずっと撫でてやった。
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