間話 囚われる妖精

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  ✳︎ 「…昨日は大変でしたね」  変な雰囲気になってしまったので、私は空気を変えようと話題を振った。 「あぁ…あの人、本当にどうかしてるよ」  昨日のことを思い出しているのか、リュカ先生が顔を顰めて朝晴れの空を見上げた。秋だからか、空気は少し乾燥している。  昨日はリュカ先生とレイラの三人で、ザカライア公子の後を追い、盗み聞き…ではなく浮気調査をした。結果、ザカライア公子は無罪だった。  キャロライン・ハーパー令嬢は、少し前に兄の婚約者になった令嬢だ。ただでさえ、モーガン公爵令嬢を押し退けて婚約者になり、周りからの批判も少なからずあるというのに…一体何を考えているのやら。今回の彼女の行動は王妃どころか、女性としての品位を疑われる。  リュカ先生から学園長に伝えられ、私からも父、王陛下へ伝えた。事の顛末は、これから明らかになるだろう…。  しかし、私は口には絶対に出せないが考えてしまう。  昨日、あのまま、もしザカライア公子がキャロライン嬢と過ちを犯したら、リュカ先生の恋にもチャンスがあったのではないかと。  チラリとリュカ先生に目を向けると、すぐに目が合った。 「なに?」 「いえ、何も…」 「もしかして、昨日僕がもっと上手く立ち回れば、僕にもチャンスがあったかも、とか、考えてる?」 「えぇっ!?」  言い当てられた私は思わず声を上げてしまう。リュカ先生はニヤリと意地悪な顔で笑って、私は、時々、こうやって人の心を読むリュカ先生に困り果ててしまうのだ。 「そんなチャンス、要らないよ。僕は僕の力で勝ち取るから」  リュカ先生が真っ直ぐに私を見て言った。私を見ているようで、見ていない。彼の目には今、私じゃない誰かが映っている。 「それに昨日、自分の心の変化に気付いたんだよね」 「変化、ですか?」 「うん、ザック兄さんのために、勃起不全の治療薬の薬草配合を考えるくらいには、二人を応援していたんだって」  思い出したのか、リュカ先生は腹を抱えて笑った。 「勘違いだったんだって。馬鹿だよねぇ、兄さんったら…くくっ」  可笑しそうに笑うリュカ先生を、私は戸惑いの表情で眺めた。いつも焦がれる目でレイラを見つめていた筈なのに、先生はなんで、笑っていられるんだろうって…。 「なんで、変化が起きたんですか?」  理由は、先生の言う『変化』だ。 「………」  リュカ先生が笑い涙を目尻に溜めて、私に目を向ける。その時、風が吹いた。私が乱れた自分の髪を整えようと手を上げる前に、リュカ先生が手を伸ばしてきた。 「…さぁ、なんでだろうね?」  優しい指が、私の金髪をゆっくりと梳く。 「僕の事が好きなグレイシアさんなら、いつか分かるかもね」  私は大きく目を開いて、息を呑んだ。 「え、どうして、知ってっ…!?」  慌てふためく私を見て笑うリュカ先生。私の髪から手を離して教えてくれた。 「僕がレイを見つめる同じ目で、グレイシアさんも僕を見るから、すぐに分かるよ」  目を細めて笑うリュカ先生は、まるでそこに咲く一輪の白薔薇のように、綺麗で、鮮やかで、華やかで、でも簡単には触れさせてくれない棘があって…あぁ、私の王族の血が疼く、強欲なこの気持ちが、彼を手折りたいと叫んでいる。 「——付き合う?」  それは唐突な提案だった。 「きっと、レイとザック兄さんは別れないだろうし。グレイシアさんなら、別にいいよ」  重ねて言うリュカ先生に、私の心は喜んで——そして、重たくなる。  嬉しい、先生と恋人になれるなんて夢のようだ。でも、私、それでいいのかな? 「…私も、私の力で貴方を勝ち取りたい、からっ…」  リュカ先生が驚く表情を浮かべた。  真っ赤な顔で勇気を振り絞った私は、「弱い私は、先生の隣には相応しくないので」と続けた。 「…グレイシアさんは自分で言うほど、弱くはないと思うけどね」  眩しそうに目を細めて私を見つめると、「情けない男だな、僕は」と、ぼそりと呟くように言って、はぁ、と小さく息を吐いたリュカ先生。 「ごめんね、僕、君で自分を慰めようとしてた。ずるいね」  いつも自信に満ちたリュカ先生らしくない、弱々しい笑顔だ。だからなのか、考える前に私の口をついて出た言葉。 「私、先生に好きになって貰えるように頑張ります…!」  い、言ってしまった…!  熱くなる顔を両手で押さえていると、リュカ先生は呆気にとられた顔で私を見て、そして「あははっ」と声を出して笑う。 「こうして見るてると、本当に妖精のようだね」 「えっ!?」 「まぁ、周りは全部薬草なんだけど」 「か、揶揄わないでください!」  私の一世一代の告白は、彼に揶揄われて終わってしまった…。 「じゃあ、僕のために頑張ってくれる?」  あまりの仕打ちに、いじけたように口を尖らせて薬草に目を落とした私に、リュカ先生が言った。 「へ?」  顔をあげた私に、リュカ先生は目を合わせて続けた。 「…僕、この先君のこと、たぶん好きになると思うんだよね」  少し照れた表情で素気なくそんなことを言う。チラリと向けられた、その赤紫の瞳が私を捉えて、囚われて、離れられない。  なんて、ずるいの…悪魔のような人だ。  そんな事を言われたら、貴方のこと、期待して諦められないではないか。悔しい、私ばかり…。だからこれは、ちょっとした意趣返しだ。 「それなら先生も、私に好きでいさせ続けてください…」  リュカ先生が小悪魔な笑みを浮かべる。 「言うね。覚悟はいい? グレイシアさん」  ——私、きっと、この先ずっと、貴方に囚われ続けるのね。
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