弍 無価値な懺悔

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 そんな中で、グレイシアが音を立てて席から立ち上がった。 「なんだ、グレイシア。お前もいたのか?」  そこで、初めてグレイシアの存在に気付いたといった、わざとらしい態度のレオンハーツを無視して、グレイシアは扉の方へと歩いていく。 「お前は馬鹿だから理解出来ないのか? 俺は、この部屋から出るなと言ったはずだぞ」  扉に手をかけたグレイシアが振り返る。 「…お兄様こそ、何を仰っておられるのですかっ? 『王太子』でもないお兄様の言葉に、お、『王族』である私の行動を縛る力などございませんっ…!」  肩が震えているくせに、涙目で精一杯にレオンハーツを睨み付けて、グレイシアは扉を開いた。グレイシアが、レオンハーツに言い返すなんて…!  何も反論出来ないレオンハーツの姿を見届けてから、グレイシアは扉の向こうへと出て行った。レオンハーツは「くそ! 妾腹から出てきた分際で!」と、怒鳴った。   ✳︎  頭を抱えて唸るレオンハーツ。今の彼は精神的に不安定で、私たちの間に緊張が走る。 「…それで、レオンハーツ王子、私に何の御用でしょうか?」  オリヴィアが話を切り出した。すると、抱えていた頭を、ぱっ、と上げてレオンハーツは嬉しそうに笑った。 「私たち、やり直そう!」  オリヴィアだけでなく、私とユリアンも顔を歪めた。 「お前が居なくなってから、私は何もかも上手くいかないんだ。私には、オリヴィア・モーガンが必要なんだ!」  血走った目で声を上げて笑うレオンハーツ。その姿は異様で、私は警戒心を引き上げた。  オリヴィアは、はぁ、と、ひとつ息を吐いてから、王子を真っ直ぐに見た。 「オリヴィア・モーガンは、ここにはいません」  レオンハーツの笑い声が止まる。 「私は、オリヴィア・ヴァンヘルシュタイン、ヴァンヘルシュタイン小公爵の妻です!」  堂々とした態度に、私はオリヴィアを格好良いと思った。 「すぐに離婚しろ! そもそも、私の婚約者なのに、他の男と婚姻するとは、気が狂ったのか!?」  私はレオンハーツの身勝手な言い分に憤りを感じる。それはユリアンも同じようで、鬼の形相で彼を睨みつけており、何か言いたげな顔をしていた。  オリヴィアの顔から表情が抜け落ちる。 「貴方こそ、酔狂な事を仰られるのですね」  そして、心底軽蔑した顔で続けた。 「それに王子には、お可愛らしい婚約者がいるではありませんか」  キャロラインがザカライアを襲ったことは、オリヴィアも知っている。これは皮肉を言っているのだ。 「あんな、汚らわしい女など…!」  レオンハーツは怒りを露わに、顔を歪ませて「あんな品のない汚らわしい女と、結婚など出来るかっ!」と叫んだ。 「しかし、私を捨てて彼女を選んだのは貴方です」  オリヴィアの冷ややかな目が、レオンハーツに向けられていた。レオンハーツは、はっと息を呑んでから、ぽろ…と、一粒涙を溢した。 「………悪かった…」  あの傲慢なレオンハーツが謝った…。私の驚く気持ちと同じなのか、オリヴィアも目を丸くしていた。 「私が、悪かっ、た…!」  王子は今、激しく後悔しているのだろう。そうでないと、プライドの塊のような男が、他人の、しかも女性の前で涙なんて見せる訳がない。 「私は、キャロラインの言葉を鵜呑みにして、君の言葉に耳を貸さなかった。私もあの女に騙されたのだ…! 私は過ちを犯した、ずっと共に過ごしてきた君を信じなかったことだ。お願いだ、私の元へ戻ってきてくれ…」  メインキャラクターが涙を流し、悲痛な思いを打ち明けている。私はそんな彼の姿を見て、胸元をギュッと握った。  なんて——心が動かない懺悔だろう。 「私は…貴方の何気ない言葉に傷付けられてきました。死んでしまおう、と思えるほど、貴方に心を傷だらけにされました…結果、私は、自業自得ではありますが、子の産めない体になりました」  オリヴィアは痛ましい表情で静かに話し始めた。 「レオンハーツ王子、貴方の過ちは、人の気持ちを考えようとしなかったことです」  そして、さっと氷のように冷たい表情でレオンハーツを睨み付ける。 「もう私の前に現れないで、不愉快です」  レオンハーツはその場に崩れ落ちるように膝をついた。 「オリヴィア…」 「親しい間柄でもないのに、馴れ馴れしく呼ばないでください」 「………」  涙を流して、金魚のように口をはくはくと開閉してから、項垂れるレオンハーツ。  彼の周りで何があったかは知らないが、余程、追い詰められるようなことがあったのだろう…今日のような強行手段を取るくらいなのだから。 「…最後に聞かせてくれないか…?」  あそこまで言われて、まだ食い下がろうとするレオンハーツに呆れた。今回のこと、全て王子の自業自得だ。仮にキャロラインに騙されていたとしても、レオンハーツがオリヴィアを愛していなくとも尊重する人であったならば、違った結果になっていたはずだ。 「私と君が過ごしてきた長い時間は…君にとって、もう、価値はないのか?」  縋るようなレオンハーツの目。  ——『私は、貴方にとって、それほどまでに無価値なのでしょうか…?』。  オリヴィアは少し沈黙したのち、口を開いた。 「…はい、今となっては、無価値に思います」  ——『…ああ、お前は私にとって、無価値だ』。  割れたカップが元通りになることはないように、彼らもまた、そうだった。
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