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参 デビュタント
社交界シーズンの季節が近付いてきた。毎年の冬、子息令嬢たちのデビュタント・パーティーから、社交界シーズンは幕を開ける。
今年の冬に私とザカライアは社交界へデビューを果たす予定だ。ザカライアは私とデビュタントを迎えたいとの希望があって、私を待ってくれていた。互いが婚約者ということもあり、私たちはお揃いの装いに身を包む予定だ。
母がかなり気合いを入れて準備をしている姿を、去年から何度か目撃していた。放置しておくと、隙あらば私にフリル満載なラブリー・ドレスを着せようとしてくるので、定期的に厳しい監査を行っている。
これからは、もう子供ではいられない。
私たちは共に手を取り、これから大人になるのだ——。
私がザカライアと二人で学園の廊下を歩いていると、前からこちらへ歩いてくるキャロラインがいた。私たちの姿を認めて、彼女が足を止める。ザカライアが顔を顰めて「構わず行こう」と、囁いた。
彼女と話すこともないので、ザカライアの言葉通りに私は目を逸らして彼女の横を横切ると、「蝶ヶ崎嶺羅」とキャロラインが声をかけてきたので、思わず足を止めてしまった。一歩進んだところで、ザカライアが私を振り返る。
「ねぇ、知ってた? レイちゃんが死んだ後、あたし、周りの人たちに『なんでお前の代わりに嶺羅さんが死ななくちゃならなかったんだ』って言われたんだよ」
私は顔を歪めた。前世の、私が死んでからの世界。私がいなくなった世界…で、神代愛花はどんな日々を過ごしたのだろう。
「きっとね、みんな、そう思ってた。両親やエミとマリナは何も言わなかったけど、心の中で同じことを考えていたと思う」
彼女が今、どんな表情なのかは分からない。私は振り返ることなくキャロラインに背を向けたまま、黙って耳を傾けていた。彼女を見たくなかった。いや、違う。私はこれまでの人生で初めて、何かから目を背けたのだ。キャロラインの顔を見るのが、怖かったのだ…。
「あたしは向こうの世界で『蝶ヶ崎嶺羅を死に追いやった罪人』になった、最高に不幸だったよ。じゃあ、こっちの世界では幸せになってもいいでしょう?」
「……っ、だからと言って、気まぐれに人を犠牲にしていいとは思えない」
私はつい、彼女の一人語りに答えてしまった。胸が苦しかった。私は、あの日、愛花を助けることに必死で、自分のことなど顧みていなかった。
あの日の私の行動は、間違っていたのだろうか? そう思うと、後悔と悲しみが胸を埋め尽くしていった。
その時、ザカライアが震える私の手を優しく握ってくれた。俯いていた目線を上に上げる。ザカライアは私を安心させるように優しく微笑んだ。
「また、あたしの邪魔をするの? 今度もあたしから幸せを奪うつもり?」
キャロラインの言葉は…胸が痛い。私は確かにあの日、彼女の未来に対して責任の持てない行動をしたのだと思う。でも、これだけは言える。私はザカライアの手を握り返すと、勇気を貰ってキャロラインへと振り返った。
彼女とすぐに目が合った。晴れ空のように澄み渡っていた青い瞳は曇っていて、笑っているのに、切迫した表情で。
「あの日、あの時、あれが私にとっての最善だった」
私は真っ直ぐに彼女を見つめて言った。
「そんなの、自分勝手…」
「自分勝手でごめんね」
今の私は、あの時の愛花にこれしか言えないのだ。私の中の込み上がってきた何かが、涙となって、一粒、目から落ちる。そんな私の姿を見たキャロラインは顔を歪めて「許さない」と、凄みながら言った。
「だから、消えてよレイちゃん!」
キャロラインの声は震えていて、まるで泣いているように聞こえた。彼女はそのまま、私の方へと走り出した。キャロラインが私に両手を伸ばす。勢いよく伸ばされた手は、私に触れる前に空中で発生した電流に阻まれた。
「ぁっ!? つぅ…っ」
驚いたキャロラインは慌てて手を引っ込めて、私の後ろにいるザカライアを睨み付けた。
「ゲームではデブで醜い次男のくせに、魔術師って……レイちゃんってば本当に…」
「レイちゃんに触るな」
ザカライアにしては珍しい怒声だった。
「君は、レイちゃんの大切な思い出の人だから、これ以上は攻撃したくない」
そう言って、ザカライアが右手にオーラのようなものを収束させる。きっとあれはマナだ、視化できるほどの濃いマナを集めて、次の魔法に備えているのだ。
「このまま立ち去って」
キャロラインはくぐもった声で「うぐっ…」ともらしては悔しそうに顔を歪めた。ザカライアが一歩前に出て私の隣に立ち、そして、私の肩を抱く。
「君なんかに、レイちゃんは奪わせない」
「……ゲームのキャラの分際で、あたしとレイちゃんの間に割り込んでくるな!」
キャロラインは叫ぶ。続けて、ザカライアへの罵詈雑言を吐き散らすキャロラインにザカライアは眉を顰め、私は聞きたくなくて耳を塞いだ。すると突然、キャロラインの声が聞こえなくなった。彼女を見れば、口をぱくぱくとさせて、まだ何か叫んでいる。でも、全く聞こえなかった。
「…こいつは私が引き受けよう。お前たちはもう行け」
「エル?」
薄いドーム型の膜で包まれたキャロラインの後ろから、スッとガブリエルが姿を現した。その顔は淡白そうに見えて、僅かに歪められていた。
「ありがとう、エル…行こう」
ザカライアが私の肩を抱く腕にグッと力を入れてこの場を去ろうと促してくる。私は最後にキャロラインを見た。
薄い膜を大手振りで何度も叩きながら、おいつめらた表情でまだ何かを叫んでいる。——行くな、と、言っているのだと直感的に分かった。
私はキャロラインに向けて、小さく顔を横に振ると、ザカライアにエスコートされながらこの場を後にした。
✳︎
廊下でキャロラインと邂逅した後、その後一切、キャロラインと目が合うことはなかった。あの日から、私には常にヴァンヘルシュタイン三兄弟の誰かが行動を共にするようになって、キャロラインを警戒していた。
今では多くの生徒に嫌煙されるキャロラインだが、彼女の美貌に惹かれて近付いてくる者はいる。キャロラインは、そういった人物ばかりと交流を持っていた。
日々は過ぎて、デビュタント・パーティー当日となった。
私は母の鬼コーチの元、何週間も前から誰が発案したか分からないがエクササイズ・ダンスを強要され踊り狂っていた。キャロラインと最後に話した日からは、それはもう精を出し、また一段と磨かれたプロポーションを手に入れた。母は感動のあまり泣いていた。
「レイ…とても綺麗だよ」
玄関ホールで両親が私を待っていた。父は少しエメラルド色の瞳を潤ませて、既に泣く母の肩を抱き寄せた。
「レイちゃん、あっという間に大人になっちゃったわね…」
「お母様、何を言っているのですか。私はいつまでもお二人の子供ですよ?」
「泣かずに笑って見送ってください」と言うと、母はハンカチで涙を拭い「そうね」と、笑った。
「ザカライア様がいらっしゃいました」
ヴェルジュが恭しくお辞儀しながら告げて、姿勢を正すと玄関扉を開いた。
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