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マイサンタクロース
1
教室の前方で男子達がわっと沸く。男子の大きな笑い声は、無邪気なものならいいけど、今のように、人を馬鹿にするような、からかうような調子のものは私は苦手だった。
「藤嶋君さあ」
教卓の前の席で数人に囲まれている男子——藤嶋昇が、クラスで一番背の高い男子に肩を叩かれて言われる。
「高校生にもなって、サンタがいるって信じてるのはまずいっしょ」
どっとさらに笑い声が上がる中、ぎくっとしたのは私だけに違いない。当の藤嶋昇でさえ、馬鹿にされているにもかかわらずけろっとしている。
「なになに?」
と今度は女子グループが騒ぎに引き寄せられてきた。
「こいつ、休み時間中ずっと何をそんな一生懸命書いてるのかと思って聞いてみたらさ、サンタに手紙を書いてたっていうんだよ。冗談かと思って話してたら、どうもマジで信じてるんだと! やばくない?」
「えー! ほんとに?」
もしかしたら普通なら、どんなにサンタの存在を信じていると言っても、誰も話半分でしか聞かないのかもしれないけど、藤嶋昇と半年以上同じクラスだった私達なら、彼がつまらないほど冗談が通じない人間だと知っているので、面白がりはすれど嘘だと決めつけることはなかった。
もちろん私もそうだし、加えて私は彼と幼少期の頃から知り合い——幼馴染と言うほど仲良しではない——なので、ああもうそんな時期か、とも思った。
もうサンタに手紙を書く季節なのか、と。
「ねえ、手紙ってどういうの書いたの?」
女子の一人が言うと、でかい男子が答えた。
「それが内容は教えてくれないんだよ。どんだけ恥ずかしいこと書いてんだか」
「恥ずかしくはないんだけど」すると藤嶋が律儀に手を挙げて口を挟んだ。「とてもプライベートなことだから言えないだけ」
「いや、まず高校生にもなってサンタ信じてんのが恥ずいから」
「信じてるっていうか、いるものはいるって思ってるだけなんだけど」
真面目に返し続ける藤嶋に、周囲のクラスメイト達はぽかんとし始める。
「あのよお、サンタって空想の存在だろ。現実には存在しないだろ」
「って言われてるよね。でもそれ、そう思わされているんだよ。『サンタはいない』ってことにしたい人達の陰謀によってね」
「あー……」
陰謀という言葉が出てきたことによって、もはやみんなの面白がる空気は消え、誰もが、やばいなこいつ、関わらないでおこう、といった顔をするようになった。
そんな中、やはり私一人だけが、胸に顎がつくほど顔を伏せていた。恥ずかしくてたまらなかったからだ。
なぜ藤嶋の天然ぶりを見て他人の私がそんなに恥ずかしがっているのか。
それは……何を隠そう、実は私こそが、彼がサンタの存在を信じてやまないようにさせた犯人だったからだ。
*
あの赤い衣服をまとった、白いひげもじゃもじゃの、大体においておじいさんが、トナカイに乗ってクリスマスプレゼントを届けてくれる——サンタクロースの存在を、みんなはいつまで信じているものなのだろう。少なくとも私は小学校に上がる頃には現実を知っていて、藤嶋昇は小学校高学年になってまでも夢を見続けていた。
藤嶋とは家が近所なので、物心ついた頃からの知り合いではあった。なので幼稚園くらいまでは自然とよく遊んでいたけど、当時から藤嶋は我が道をいくマイペース野郎だったので、小学校に上がってからは次第に親しくはなくなっていった。
だから彼がサンタを信じているかどうかなんて、しばらくの間知らなかった。
知ったのは小学六年生の時で、クラスメイトの男子達に彼の純真さがバレて、教室でからかわれていたからだった。彼はやはり笑われていたけど、私は藤嶋ならありえそうなことだな、と思ったので、特に関心は抱かなかった。
いや、正直に言うと、その時から私はすでに少し苛ついていた。
その日の帰り道、自宅近くの小さな公園のベンチで藤嶋を見かけた。一瞬躊躇するも、公園を抜けるのが一番の近道だし、別に藤嶋を避ける理由もなかったので、そのまま彼の前を通り過ぎることにした。
藤嶋は私が砂を踏みつつ近づいてもぴくりとも動かなかった。相変わらずベンチの上にしゃがみこんで、背を丸め顔を膝に埋め、これでもかというほど身体を小さくしていた。
今日のことで落ち込んで、泣いていたりするのだろうか。あの藤嶋が?
疑わしかったけど、もしそうなら無視して通り過ぎるのは、さすがに昔馴染みとしては気が引ける。仕方ないので声をかけることにした。
「何してんの」
藤嶋が顔を上げる。全然泣いていなかった。
「沙良ちゃん」
私を下の名前で呼ぶ男子はもう藤嶋だけだった。なんだかこそばゆくはあるけど、苗字で呼んでと今更言う方が、意識しているようで恥ずかしかった。
「何してんの、そんな丸くなって」
「地面を見てたんだ。いや、世界をかな」
「はあ?」
「こうして」と藤嶋はまた顔を膝にもぐらせる。「股の間から覗くと、見える範囲ってすごく狭くて、これじゃあ周りが見えなくて危なくて、生きてられないよなって思うんだけど、沙良ちゃんはどう思う?」
どうも思わなかった。
「股の間から覗かなきゃいいじゃない」
「え?」藤嶋がぱっと浮上する。「あ、確かにそうだね。沙良ちゃんすごいね」
藤嶋は昔から頭のネジが一本抜けているような人だったので、近くにいた私が事あるごとに手助けしていたからか、彼は私を何でもできる人と思うようになったらしく、こうして尊敬の眼差しを向けられることがよくあった。
とりあえず、落ち込んではいないらしい。心配して損した。早く帰ろう。
「ねえ沙良ちゃん」しかし藤嶋が話しかけてきた。「サンタってほんとにいないのかな?」
「……なに、もう信じられなくなったの?」
「いや、僕はいると思ってるんだけど、みんながいないいない言うから。僕だって本物に会ったことも見たこともないから、絶対にいるとは言えなくてさ」
「ふーん……」
あれだけ笑われてもサンタの存在を否定しないとは。あるもののせいで嫌なことがあったら、むしろそのものについて嫌いになるくらいが普通なのに。私にとってのサンタのように。
こんなに無垢に生きられたらどんなにいいことか、と思う。でも私には無理だ。幸せ者の藤嶋とは違う。
そんな藤嶋が羨ましく、そしてそう思ってしまったことに、さらに苛立ちが募った。
だから私は意地悪をしてしまったのだと思う。
「……嘘だよ、それ」
「え?」
「だから、サンタはいないっていうのは」
ぽかんとしていた藤嶋の目が、だんだんきらきらしてくる。
「じゃあ、ほんとはいるってこと?」
「そうだよ。ほんとのほんとはいるのに、『ほんとはいない』ってことにされてるの。隠してるんだよ大人達は」
「どうして?」
「考えてもみなよ。サンタがいるってことになったら、サンタはずっとプレゼントをあげ続けなきゃならないでしょ。それって大変じゃない。疲れるのよサンタだって」
「でも、ならどうして最初はさもサンタが実在しているように言うんだろ。最初から隠しとけばいいのに」
「結局隠しきれないからよ。どこかにはいるんだから。だったら、はじめに一回いると思わせておいて、その後に『ほんとはサンタなんていない、嘘なんだ』って認識にさせた方がいい。そしたらその後にもう一度、仮にサンタらしきものと会ったりしても、『やっぱりサンタは実在してたんだ』なんて疑わないでしょ? そういう作戦なの。みんなはその術中にまんまとハマってしまってるのよ」
藤嶋の唇がわなわな震えてきたので、喋るのをやめた。さすがに適当なことを言いすぎて騙されないかなと思ったけど、
「……すすす、すごいね沙良ちゃん! そんな陰謀が隠されていただなんて!」
杞憂だった。
興奮した藤嶋はベンチの上で「すごいすごい」と飛び跳ねた。
「じゃあ、サンタはほんとはいるんだね!」
藤嶋がぐいっと頭を出して私を見下ろす。私は目を逸らす。
「そうだよ」
「じゃあじゃあ、いつかは直接会えるかな!」
「そうだね」
嘘だ。会うことも見ることもない。だってサンタなんていないから。
一生会えないものを、そうやって一生待ち続けていればいいんだ。
「もしかして、沙良ちゃんのとこにはもう来たの?」
私が自信満々に言うからそう思ったのだろうか。しかしもちろんそんなことはない。
「いや。私のとこには来ないから」
「来ないの?」
「うん。お父さんがいない家には来ないんだって」
「そうなの? サンタがそう言ってたの?」
「いや、お母さんがそう言ってた」
「ふーん……」
それから藤嶋は黙り込んでしまった。サンタの活動ルールでも考えているのかもしれない。そんなものも当然ないのに。
私は急に自分がしていることが馬鹿らしくなり、「じゃ」と小声で告げてその場を去った。
つまりその時のやりとりは、私にとっては取るに足りないその場の冗談のようなもので、そんなふうに藤嶋にあることないこと吹き込んだこと自体ほとんど忘れていたくらいだ。
しかし、その結果がまさか……
*
……こんなことになってしまっているとは。
藤嶋はそれからもクラスメイトに、サンタが実在している根拠や、サンタが隠蔽されている陰謀論の説明などを語り続けた。
私は耳を塞ぎたくてたまらなかった。昔の自分の子供じみた(実際に子供ではあったけど)発言を蒸し返されているようで恥ずかしすぎた。
軽率だったとしか言いようがない。藤嶋の生真面目さを舐めていた。そのせいで思わぬしっぺ返しを喰らってしまった。
いや、私はともかくとして、心配なのは藤嶋か。こうしてまた彼のウィークポイントが晒されてしまったとなると、小学生の時のように馬鹿にされ続けかねない。
大丈夫だろうか……。
*
「藤嶋ー」
移動教室のため廊下を歩いていると、前にいた藤嶋が気安く肩を叩かれていく。
クラスメイトの女子に。
結果的には、私の心配は杞憂に終わった。藤嶋の天然さは、意外にも女子から「かわいい」という評価が下ったからだ。
女子のかわいいはわからんなあ、と自分も女子なのに思っていると、藤嶋の周りに女子が集まり出していた。
「藤嶋は、そんなにサンタに会ってどうしたいわけ?」
「どうって、そりゃあお願い事するんだけど」
「そんなに欲しい物があるんだ」
「いや、物ではないよ。物はもらうし」
「え、クリスマスプレゼントを? 誰から?」
「親からだけど」
「それサンタじゃん。サンタ来てんじゃん」
「え? サンタじゃないよ。親だよ」
「どういうことよ!」
女子達がどっと笑う。藤嶋はきょとんとし、そして私はやはり顔をしかめる。
……まあ、モテているというよりは、害のないマスコットとして扱われているようだったけど。とはいえいじめられるよりはマシだろう。
しかし女子がそうやって絡むとなれば、他の男子達も放ってはおけないようで、次第に男子も増えてきて、からかいの度合いが増していく。
当の藤嶋は相変わらず何を言われても飄々としていて、気にしていないふうだったけど、その後ろで私はもやもやとした気持ちでいた。
彼はこの注目されてしまっている状況を、好ましく思っているのだろうか。一人でいるのが好きな人間だろうに(単に友達がいないからそう見えていただけの可能性もあるけど)。
もし嫌に思っているのなら、そうしてしまった遠因は私にある。だからちょっと罪悪感が湧いてきてしまっている。
大体、いつまでもサンタの存在を信じさせてしまっているのはかわいそうだ。考えてみれば藤嶋に悪いところはなく、つまり悪いのは私で、彼のサンタ話を恥ずかしく感じるのは、そのことを心のどこかでわかっているからなのだろう。
そろそろそんな過去は清算すべきなのかもしれない。
そうだ。そうしよう。
藤嶋の、サンタは実在するという幻想を壊すのだ。それがみんなの平和に繋がるに違いない。
「ほんとにかわいいやつだな藤嶋はー」
女子に背中を叩かれてよろめく藤嶋を見て、私はそう決意した。
……なんかちょっと、そのモテてる感も気に食わないし、ね。
2
私も藤嶋も生まれた時から同じ場所に住んでいるため、同じ高校に通っているとなれば、当然帰り道も同じになる。
最寄り駅から出たところで、周囲に同級生の姿がないことを確認してから、同じ電車から降りた藤嶋に、「藤嶋」と声をかける。
「沙良ちゃん」
振り向いた藤嶋が笑顔になる。人付き合いのない彼は、大抵無表情で過ごしているけど、昔馴染みの私には慣れているからか、気を許しているふうになる。なんだか尻尾を振る犬みたいで、そこはかわいいと言えなくもない。まあ昔に比べて図体はでかくなってしまったけど。
かくいう私も、気軽に話しかけられる男子なんてこいつしかいないんだけども。にしても、この歳になっても名前ちゃん付けで呼ばれるとは。しかし指摘するのはやはり今更だった。
おっす、と小さく言って藤嶋の隣に並んで歩く。
「藤嶋、最近えらい人気者だね」
「そうかな?」
「その、サンタの話で」
「あー、みんなサンタサンタってしつこいよね。いるからいるって言ってるだけなのに」
予想通り平気そうではあったけど、しつこくは感じていたらしい。
「まだ信じてたんだ。サンタがいるって」
「ん? そうだよ。だって沙良ちゃんが言ってたんじゃない。ほんとはいるんだって。いないように言われてるのは陰謀なんだって」
「ま、まあね……」
やはり私のせいだったか。これはなんとかしないと。でもその前に、
「……それ、私が言ってたなんて誰にも言わないでね」
「陰謀のこと? どうして?」
そんなの嘘で恥ずかしいからに決まってるじゃない。
と言っても、今の藤嶋が聞く耳を持つかどうか。
「……陰謀に気付いてるって知られるとよくない立場にいるからだよ。やつらは手強いんだから」
「やつら……うん、わかったよ」
こくこくと藤嶋が頷く。なんだか思い込みを深めてしまったかもしれないけど、仕方ない、まずは私のクラスでの立場の方が優先だ。
「陰謀のせいで、なかなか会えないのかな」と藤嶋。
「サンタに?」
「うん。どうやったら会えるんだろ」
「うーん……」
どうやっても会えないんだけど、それをどうやって藤嶋にわからせるか。私も私で悩ましかった。
「……サンタが来るには、とても厳しい条件をクリアしなきゃならないからね」
「そうなの?」
「そうそう。だって考えてもみてよ。世の中はサンタがいないって陰謀に支配されてるんだから、その中で本物が活動するのは『消される』危険があるってことでしょ? てことは、会いにいく対象を厳しく選別するのは当然のことじゃない?」
半ば口から出まかせだったけど、この作戦は案外いけるかもしれない。たとえば、その厳しい条件に藤嶋を挑ませて、それでも会えなかったとする。そしたらもうどうやっても会えないとわかって諦めるかもしれない。もしくはそこで、もうサンタは絶滅してしまったとでも新たに吹き込むのも手だ。夢を壊すようで酷かもしれないけど、このまま夢見る大人にさせてしまう方がかわいそうだろう。
「確かに。でも、その条件てどんなんだろ」
「えっと、確かね……サンタ宛にフィンランド語で手紙を書くとか」
即興で考えたら安直すぎた。
「へー」しかし素直な藤嶋は納得げだ。「フィンランド語じゃなきゃだめなのかな」
「サンタはフィンランド人だからね」たぶん。
「そっかあ。でもそれだとフィンランドの人は有利だね。自分の国の言葉ですぐ手紙書けるから」
「ホームが有利なのはなんでも同じなのよ」
「なるほどねえ。他にもあるの?」
「そうね……あとはトナカイにお願いしにいくとか」
「トナカイ! 日本にいるのかな。あ、もしかして本場のトナカイじゃないとだめ?」
「いやどこのでも大丈夫」さすがに北欧まで旅させては悪い。「トナカイは集合的無意識で繋がってるから」
「テレパシーみたいな? そうなんだ、すごいね沙良ちゃん!」
何でも信じるあんたの方がすごいよ。てか怖い。
「大変だなあ……でも僕やるよ!」
「え、ほんとに?」
そりゃあやらせるつもりではあったけど、そこまでやる気になられると逆に引く。
「うん、だってサンタのためだもの。沙良ちゃんも手伝ってくれるでしょ」
「え、なんで」
「だって僕だけじゃどうすればいいかわかんないし。一緒にトナカイに会いに行こうよ、フィンランドに!」
「行けるわけないでしょ!」
手伝うかどうかはともかく、近くで見張っているくらいはした方がいいかもしれない……でないと何をしでかすかわかったものじゃない。私のせいで。
*
家の近くのファミレスで藤嶋から、「これどうかな」と便箋用紙を渡される。もちろんフィンランド語なんて読めない私は、「あーいいんじゃない」と適当に返しつつ、藤嶋とこういう店に来るのなんていつぶりかな、とぼんやり思う。幼稚園の頃以来だろうか。もちろん親も一緒で、二人きりではなかったはずだけど。
「北海道は土日に行くんだっけ?」
「うん」
「チケットは取ったの?」
「取ったよ。飛行機乗るの初めてだし楽しみ」
「そう……気をつけなよ」
藤嶋はトナカイに会いに北海道に行くことを決めていた。焚き付けたのは私だけど、ぼんやりしている彼に一人旅なんてできるのだろうか、と少々心配になる。
「沙良ちゃんも来ればよかったのに」
「いやいやいや」
放っておけない気持ちはあったけど、年頃の男女が二人で一泊二日の旅行に行くわけにはいかない。たとえ相手が昔馴染みのこいつでも。あともしそのことがクラスメイトにばれて、『サンタに会うために北海道までトナカイに伝手をお願いしにいった女子』認定でもされたら生きていけない。
「トナカイにお願いしたら、サンタにまで願いが届くんだよね」
「……まあね」
「手紙もトナカイに渡した方いいかな。食べられちゃうかな」
「ヤギじゃないんだから。それに日本にいるトナカイに手紙渡しても海渡れないでしょ」
「え、でもトナカイって空飛ぶじゃない」
「あれはサンタが乗るからこそ飛べるのよ」
「そうなんだ。じゃあ手紙は普通に郵便か。どこに出せばいいんだろ」
「さあ。調べてみたら」
「うん。あ、あったよ」
「え、あるんだ」
藤嶋が見せるスマホの画面には、サンタへの手紙の送り方を解説したブログがあった。フィンランドにあるサンタクロース村の郵便局宛に実際に送れるらしい。
「国際郵便てどうやって出すんだろ」
また藤嶋がスマホで調べ出す。
ここ数日、フィンランド語やら北海道への行き方やら、藤嶋はいろんなことを調べたり行動したりしていた。全てはサンタに会うために。初めてのことばかりで大変だろうに、諦める様子は全くない。そのモチベーションは一体どこから湧いて出てくるものなのだろうか。
「ねえ、どうしてそこまでしてサンタに会いたいの?」
「え、だってサンタだよ? 普通に会いたいと思わない?」
「そりゃあ、会えるものなら会ってみたいけど」
でもまずいないから。
「それに、どうしても叶えてほしい願いもあるし」
そんなに欲があるイメージのない藤嶋の切実な願いってなんだろう。
「でも、願いを叶えてほしいなら神社とかそういうのでもいいんじゃないの」
「いや、サンタじゃなきゃだめなんだ」
「ふーん……」
気にはなったけど、聞いても意味ないから流した。どのみちその願いは叶わないから。悪いけど。
3
クラスメイトの館理亜さんに、「菊池さん、ちょっといいかな」と声をかけられたのは、雪が振り出しそうな曇天の放課後のことだった。
昇降口で私を待っていたらしき館さんについていき、校庭まで出る。部活が始まる前の校庭は閑散としていて、だだっ広いから寒風が吹きつける。しょうもない話のようなら引き返していたかもしれないけど、印象的に舘さんが冗談を言うためにわざわざ人を誘うとは思えなかった。
「ごめん、ちょっと聞きたいことがあって」
風になびく長い髪を手で押さえる仕草、静かな眼差し、舘さんは女子から見ても儚げだ。
「いいけど、何?」
「うん……」舘さんはゆっくり、しかし口ごもらずに言った。「菊池さんて、藤嶋君と付き合ってるの?」
「え?」
なんで藤嶋がここで出てくるのか、と一瞬思ったけど、この状況ではその理由を察せない方が無理がある。それに私はここ最近例の件で、そうおおっぴらにはしていないけど、藤嶋とたまに話していたから。
「……付き合ってないけど」
「そうなんだ」自分で聞いたくせに、舘さんはそれは知っていたふうだった。「でも、仲良い感じだよね」
「いや、別にそんなに。ただ子供の頃からの知り合いだから」
「幼馴染か。いいね」
「そんなことは……」
ないけど、それは私にとっての話で、彼女からしたら羨ましいのかもしれないので、否定はしなかった。
「でも、なんで藤嶋?」
代わりに訊ねた。厄介ごとを持ち込まれたのだから、このくらい訊く権利はある。
「前に話したことがあって」
舘さんは、自分が藤嶋を好きなことは否定しなかった。そういえば私の元にも一人で来たし、誰かに聞いてもらうこともしなかった。率直で誠意があったので、嫌いになれそうになかった。
「サンタの件で?」
「ううん、もっと前に」
そしてミーハーでもない。
「藤嶋君、その時学校近くの河原の土手で横になってて、私通りかかったんだけど、全然動かないから倒れてるのかと思って声かけたら、『地球が生きてるなら心臓の音がするはず』って」
「ああ……」
あいつ、まだそんなことしてるのか……。
「それで」
「え?」
「だから、それでその、おもしろいなって思って」
……好きになったって? なんだそれは……そんな簡単なことで。
でも、たった一回の会話でサンタが実在すると思うようになることもあるのだから、きっかけなんてどんなことでもいいのかもしれない。
舘さんはやはり誤魔化すこともなかった。だから私も率直に言う。
「気を悪くしないでもらえればだけど、たぶん藤嶋は、そういうのに興味ないと思う」
「うん、そうかもなとは思ってる」舘さんはそれも知っていたようだった。「でも、ほら、もうすぐクリスマスだし、いい機会かなって思って」
「クリスマスは、あいつは」
「サンタで忙しい? かもね」
くすっと館さんがかわいく笑う。少し苛立たしかったのは、そんな彼女に対してか、藤嶋に対してか、あるいは自分に対してか。
「つまり、だから、力にはなれないけど、邪魔はしないから」
これ以上話していると、あることないこと言いかねないので、館さんが頷いたのを確認してから私は校門へ足を向けた。あれ、もしかして私はあることないこと語ってしまう癖でもあるのか、と思いつつ。
しかし、そういえば、クリスマスはもうすぐか。
クリスマスは、本当に嫌なことしかない。
*
自宅のマンションに帰宅し、リビングの明かりをつける。母からは連絡があって、今日も帰りが遅いらしい。母は働いているのでそういうこともたまにあるけど、最近は頻度が多い。その傾向からもクリスマスが近いことがわかる。
別に母はパティシエをしているわけではない。忙しいのはデートをしているからにすぎない。私が小学生に上がる前に父とは離婚していたから、母はかれこれ十年ほど独り身だ。クリスマスの空気は母を寂しくさせるのかもしれない。
そんな母に以前、再婚してみたらと言ったことがある。しかし母は、結婚はもうこりごりだからと言った。あなただって面倒でしょ? 今更父親なんて、とも。
確かにそれはそうだった。私は父親なんて欲しくない。
欲しいのはパパだ。しかも、あの頃の優しいだけのパパだ。他の父親なんていらない。
パパがいなくなってからの初めてのクリスマス、まだ幼かった私は、サンタにパパが欲しいと願った。願ってしまった。当然見たのは母であり、そして当然願いは叶わなかった。
その時にサンタは存在しないと知った。願い事なんて叶わないのだと知った。何がクリスマスだと思った。
自室に行き、制服から部屋着に着替える。窓の外では雪がちらつき始めていた。寒気は二十五日まで続くのだろうか。
ホワイトクリスマスなんて、冷たいだけだ。
4
そしてクリスマスイブがやってきた。
藤嶋にとっては待ちに待った、サンタが訪れる日。
私が課題を課したせいだけど、今年の藤嶋はサンタを招くのに気合いの入った準備をした。その結果サンタから手紙が返ってきもした(もちろんそういうサービスにすぎず、本物のサンタからではない)。例年より期待が募っていることだろう。
でも悪いけど、その期待は私が打ち砕いてしまうことになる。
今夜、サンタを待っている藤嶋の元に、サンタが来たように見せかけて、実際に訪れるのは私だ。サンタクロースというものは、こうして誰か人間が装っているだけの、ただの幻想なのだとわからせるために。
これだけの準備をしても現れないとなれば、さすがの藤嶋でも諦め、現実を知ってくれるのではないだろうか。逆にこれだけの荒療治をしないとわかってくれそうにないとも言える。彼をひどく騙してしまうことになり、それについては罪悪感はあるけど、それは事の発端を作ってしまった責任として、私が担うべきだろう。
サンタは外からやってくる。だから藤嶋の部屋のベランダから声をかけることにした。藤嶋の家は一軒家で、彼の部屋のベランダは隣室と繋がっているから、そちらから入れば可能だ。深夜に家に入れてもらうことは、藤嶋のお母さんに許可をもらった。久しぶりに楽しそうね、と快諾してくれた。昔馴染みの特権だった。
で、肝心の藤嶋の予定だけど、それとなく本人に聞いてみたら、当日はサンタの邪魔にならないよう、しっかり部屋で寝ているようにするとのこと。
「寝てる? サンタに会って願い事するんじゃないの?」
「うーんそりゃあ会ってみたいけど、起きてたがために来なかったら嫌だし、とりあえず願い事を聞いてもらえばいいから、紙に書いて枕元に置いて寝とこうかなって」
まあ寝てるのなら、彼の家に侵入しやすいので、それはそれで好都合かもしれない。
「……そういえば、クリスマスイブに他に予定入ったりしなかった?」
「いや、なんか誘われたりしたけど、サンタを待ちたいから断ったよ」
誘ったのは館さんだろうか。これは私が邪魔したうちに入るのだろうか。でも藤嶋はどのみちクリスマスに他の予定は入れなかったに違いない。それは彼女もわかっていたはずだ。
罪悪感がまた積もっていく。
でも、それも今日までのことだ。
*
真冬の夜の寒さは身に沁みる。これでもかというくらい着込み、さらにはニットキャップにマフラー手袋と完全装備しているのに身体が震えてくる。しかしそんなモコモコの姿は、図らずもサンタっぽいシルエットになっていた。
足を忍ばせて、ベランダ伝いに藤嶋の部屋の窓前に向かう。カーテンが閉められた室内は暗く、物音もしない。藤嶋はすでに眠っているのだろうか。悪いけど、サンタの正体を知ってもらうために起きてもらわなければならない。
……あれ、ていうか、もし起きなかったらどうしよう。あと窓の鍵が閉まっていたら。家の中から部屋に入る? そしたら全然サンタっぽくないけど大丈夫かな……。
などと心配しつつ窓を引いたら、すぐに開いた。でもキイッと甲高い擦れる音が鳴ってしまう。
「……誰かいるの?」
すると藤嶋の声がした。物音で起こしてしまったのか、それともまだ起きていたのか。しかしちょうどよかった。
「もしかして、サンタさん?」
カーテン越しのシルエットがそう見えたのか、あるいはそう期待してか。
まだここにいるのが私だとはばれていないみたいだ。なら気付くまでもう少し芝居を続けるか。
「……そうじゃよ」
じゃよって、安易な。
「すごい! そうなんだ!」
あっさり信じられてしまったけど。
「やっぱり、手紙とか出したから来てくれたんですか?」
「そうじゃよ。トナカイからも話は届いたぞ」
「ほんとに? やってよかったー。やっぱり沙良ちゃんすごいなー。それにしても、サンタって女性もいるんですね」
「男女平等じゃからな」
「あと、なんか若い人な気がするし」
「実力社会なんじゃよ」
「へー、すごいですね」
若いのに『じゃ』という言葉遣いは矛盾していないか……。サンタ界では若いという設定にしておけばいいか。
「ほんとにサンタなんだね……よかった、やっと会えた」
そう、これがサンタだ。正体は他でもないただの人間であるのが。
「サンタさん、あなたに会ったら、お願いしたいことがあったんだ」
藤嶋が改まって言う。そういえば、藤嶋の願い事は結局何なのだろう。何だろうとサンタはいない、つまり叶わないから、聞いても意味ないと思ってはっきりとは訊ねていなかった。確か、プライベートなことで、物ではなくて、願う相手はサンタじゃなきゃだめ、そんな願いだったか。
欲のなさそうな藤嶋の切実な願い、気にならないと言えば嘘だった。
「なんじゃ、言うてみるがいい。お主の欲しいものを」
「ううん、僕は何もいらないんだ。ただ、沙良ちゃんのとこに行ってほしいんだ」
「え?」
私? という声が喉元まで出かかった。
「沙良ちゃんていう、僕の幼馴染がいるんだけど、その子のとこにはサンタが来ないらしいんだ。お父さんがいないからって。そんなの変だと思うんだよ。だから、プレゼントとして、沙良ちゃんにサンタを贈ってあげたいんだ。それが僕の願い」
「え——」
驚きで頭の中が真っ白になった。
藤嶋の、今までの信仰と、がんばりは、全部私のためだった?
確かにあの時、私が藤嶋にサンタはいるのだと刷り込みをした日、私にはサンタは来ないのだと言った覚えがある。お父さんがいないからなんだって適当な理由をつけたことも。
でもまさか、そんな些細なことを覚えて、気にしてくれていただなんて。
「どうして……」
サンタとしてではなく、ただの私の声が漏れた。
「沙良ちゃんはずっと僕を助けてくれていたから。助けられていたから。だから恩返しというか、お礼がしたくて。でも僕ができることなんてないから、だったらサンタさんが沙良ちゃんのとこに行ってくれたらいいなって。そしたらサンタさんが沙良ちゃんの願い事を叶えてくれるでしょ」
「…………っ」
私は言葉が詰まって、何も言えなかった。
私にお礼するため。そのために藤嶋は、みんなに馬鹿にされても、からわかわれても、サンタを信じてやまなかった。
なんて天然で、なんて純粋な。
それに比べて、私は——。
情けなくて、嬉しくて、後悔で、涙がぽろぽろ溢れた。
「泣いてるの?」
私の嗚咽が窓越しにでも聞こえてしまったのかもしれない。
「……心が綺麗な願いに、感動して泣いてるのじゃ……」
まさかあることないこと言う癖がこんな時にも役に立つとは。
「大丈夫?」
「来ないで!」藤嶋がこっちにやってくる気配がして、思わず止めた。「来ちゃ、だめなのじゃ……」
当初のサンタの正体を明かす予定なんてどうでもよかった。今はただただ藤嶋に合わせる顔がなかった。
私はサンタを信じていなかった。それどころか、嫌いで、憎んですらいた。私の元には来ないから。
だから呑気にサンタを信じていた藤嶋に腹が立った。だから、サンタが実在すると思わせて、でも一生自分のところには現れない辛さを味わせてやろう、なんて性格の悪いことをした。
それなのに藤嶋は、そんな私のためにサンタの来訪を願い続けた。
呆れるを通り越して、もはや羨ましかった。同じ場所で同じように育ったはずなのに、こうも違う人間になるのか。藤嶋のことを幸せなやつだと思っていたけど、その通り、彼のような人が幸福に近いのだろう。私のような人間とは反対に。
……まだ間に合うだろうか。こんな私でも、彼といたら、いつかの素直な自分を取り戻せたりしないだろうか。
そう願いたかった。もしサンタが本当に私の元に来てくれたなら。
「……帰る、のじゃ」
もう彼の夢を壊すことはできそうになかった。
それじゃあ、藤嶋はこの先ずっとサンタの存在を信じ続けることになるのだろうか。
だとしたら、私がまいた種なので、私が責任を取るしかない。
「沙良ちゃんのとこに行ってくれますか?」
藤嶋のサンタへのお願い。
「……うむ。そうするとしよう」
やはりもう聞かざるを得ない。
「よかった! ありがとうサンタさん!」
藤嶋の無邪気な声に送られて、私は隣の部屋に静かに戻り、藤嶋のお母さんに失礼しましたと告げて、家から出た。
外は雪が降り始めていた。ホワイトクリスマス。
火照った頬に、雪が当たり、溶けていく。
5
雪は朝方には止み、冬休み前最後の登校日は穏やかな晴れとなった。とはいえ寒いものは寒いので、私はマフラーを口元まで上げて学校までの道を歩く。ちょっと目が腫れぼったいのでそれを隠す意図もあった。
学校の最寄駅を出たところで、藤嶋と館さんが立ち話をしていた。というか、藤嶋が一方的にわいわい喋っているようだった。「ほんとに来てさ」「すごかったんだよ」などと漏れ聞こえてくる藤嶋の声を聞く限り、サンタの話だろうか。もしかしたら舘さんは駅前で藤嶋を待っていて、昨夜はどうだったのかと話しかけたのかもしれない。
邪魔しないようにしようかと思ったけど、間に合わなかった。藤嶋が私を見つけて、犬の尻尾のように手を振ってくる。
館さんと目が合う。舘さんは微笑んで私に頷くと、藤嶋に小さく手を振って一人で歩いていった。
罪悪感——それも今までとは少し違うものが湧いて、胸がちくりと痛む。
でもこの罪悪感とはたぶん、これから先も付き合っていかなければならなそうだった。
「沙良ちゃん沙良ちゃん!」
駆け寄ってくる藤嶋がちょっと愛らしくて、そう思ってしまったことが、また昨夜のことも恥ずかしく、私は「おっすー……」と小声で返して歩みを止めない。
「沙良ちゃんすごいよ! ほんとにサンタが来たんだよ!」
「へえ……」
まとわりつく藤嶋に対する態度を決めかね、彼と目を合わせられない。
——本当に? 目を合わせられないのは、それだけの理由かな。
……心の声がうるさい。
「でさでさ、サンタさんにさ、沙良ちゃんのとこにも行って下さいってお願いしたんだけどさ、どうだったかな?」
「どうって……」
目をきらきらさせて答えを待つ藤嶋に、私は——。
「……来たよ。私のとこにも。やっぱりサンタはいたんだ」
「ほんと? よかった!」
念願叶ったよー、とすっきりした顔をしている藤嶋を見て、これで良かったのかもしれないなと思う。たとえこの先のいつかで、サンタは本当は存在しないのだと気付くことになったとしても。
いや、あながち『サンタは実在しない』とは言い切れないかもしれない。
だって私は今年、とても嬉しいクリスマスプレゼントをもらったから。
私のサンタクロースから。
「サンタさん、来年も来てくれるかなあ」
「さあ、どうだろね」
「また手紙書けばいいのかな」
「うーん……」
え、そしたらまた私がサンタに扮しなきゃいけない? 責任を取るってそういうことなの?
……いや、何もサンタになるのは、私じゃなくてもいいじゃないか。
「思ったんだけど、もしサンタが来なかったり、本当はいなかったんだとしても、そしたら藤嶋が自分でサンタをやればいいんじゃない」
「えっ」
藤嶋が驚いた声を上げて立ち止まる。
「藤嶋?」
「……そそそ、その手があったか! すごいね沙良ちゃん!」
「あ」
やば。また妙な可能性を信じ込ませてしまった。これで藤島が将来本当に職業サンタクロースを目指すようになったらどうしよう。
……まあ、それならそれでいいか。
「そうそう。でさ、もし藤嶋がサンタになったらさ……」
私はこの時、初めて藤嶋に対して緊張したかもしれない。
「……私に、クリスマスプレゼントを贈ってほしい、かも」
がっと急いでマフラーを引き上げ、目元を隠す。
「毎年、ずっと」
藤嶋は今、どんな顔をしていて、それからこの後に何て言うのだろう。
彼の言葉がこんなにも怖く、そしてこんなにも待ち遠しくなるだなんて、思いもよらなかった。
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