ヤツはなんでもないものを盗んでいきました

9/9
前へ
/10ページ
次へ
泥棒はそう小さく笑ったあと。 「分かった。本人の望みなら返すのが僕の信条だからね。返すよ。でも、君の為に返さない物が一つある」 それは? と、尋ねる前に泥棒はニヤッと笑って。 「恋心だよ」 「恋心」 「そ、恋心があるから君は暴力を許し続けた。このまま返すと君は本当に死んじゃうかもしれないからね。それは避けたい」 ニコニコと笑う泥棒に私は何でと、問うと。 意味深に。 「僕は女性の見る夢が好きだから、かな。男はどーでもいいんだよ。ま、そんな事だから恋心は返さない。それ以外は全て返す。それでいいかい?」 「……でも、恋心を返して貰えなかったら、 どうなるんでしょうか……」 「そんなの。クズ男を殺すんじゃない? 暴力振るわれて。生活を管理されて。それでも許せたのは『好き』だったから。それがないんだったら、普通はやり返すと思うなぁ」 そんな物騒な事をしれっと泥棒は言って。 さらに、コンビニの袋からゴソゴソと。 包丁を机の上に出した。 「!」 「あ、必要になるかもと思って先に買ってたんだ。よかったら使って。よし、じゃ。記憶を返すよ」 泥棒は首をコキコキ鳴らして。 私に近寄ってきた。 「え。ちょっと待っ」 その瞬間、ぞっとするような泥棒の冷たい手が私の視界をすっと塞いで。 「待たない」 その言葉を耳元で聞いた途端。 私の意識がぱちんと、サイダーの泡のように弾けて──途絶えた。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

42人が本棚に入れています
本棚に追加