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真夏が終わった。と思っていたら、一気に真冬がやって来た。
暑さの中で緑色に燃え上がっていた木々の葉が、寒風に吹かれて赤く色を変えた後、枝から1枚も残らず姿を消してしまった。あっと言う間だな。超光速ロケットの中から見たら、誇張でも何でもない。「あっ」と言っている間に、何カ月もの時間が過ぎ去ってしまう。池袋北警察署の刑事課・強行犯捜査係(通称・捜査1係)の海老名忠義は思った。
「やあ、エビちゃん、仕事がんばってますな。それよりまた酒おごってくださいよ」
自分の席で事務作業をしている海老名に、丸出為夫が声をかける。また来たか、しつこい奴め。海老名はうんざりしながら思った。前回の「ホテル・アムール」事件の際、河北昇二署長の行動に疑いを持った海老名は、自分で調べた署長の秘密の裏を取るために、丸出に酒を飲ませたのだ。それ以来、丸出はすっかり味を占めて、おごってくれ、と海老名にしつこく言うようになってしまった。
あんなことしなきゃよかった。海老名は後悔の連続である。でも丸出に酒を飲ませたのは、決して無駄とは言えなかった。丸出の情報収集力が、かなり高度なものであることを知ったからである。
丸出為夫。自称・名探偵。シャーロック・ホームズの生まれ変わりだと思い込んでいるドン・キホーテ。警察の捜査を邪魔して遊んだり、出鱈目な推理を誇らし気に語ったりと、とんだ迷惑者。まともな思考力もない。ただの変人。はっきり言ってバカ。
だが、それは見せかけじゃないのか? あいつは海老名や同僚の大森大輔の秘密はおろか、署長の秘密まで知っていた。出世に興味のない海老名や大森だけならともかく、警察庁長官の婿養子になってでも出世に意欲を燃やす、署長の秘密までも。バカなふりを装って、実はとんでもなく頭がいいのかもしれない。丸出とはいったい何者なのか? そのことを考えただけで、海老名の全身に鳥肌が立ってくる。
署長だけではない。あいつは警視庁本庁の刑事たちの秘密まで知っているようである。それは本庁の刑事たちが、丸出の前で見せる態度からも明らかなこと。出世したい者ほど丸出を「先生」と呼び、高く持ち上げている。だがその裏では丸出を蛇蠍のごとく嫌っているはず。署長と同じように。みんな丸出に自分の秘密を暴露されたくないからこそ、丸出の前ではあんな卑屈な態度をとるのだろう。
何度考えたのかわからないが、何度でも繰り返す。丸出とは、いったい何者なのか?
「エビちゃん、今度は高級なバーで、カクテルなんかおごってくれませんかね? 氷を入れたグラスにウオッカを入れて、青いソーダで割って、サクランボを上に乗せて……」
「ああ、うるせぇうるせぇ、またいつかおごってやるから、向こう行け!」
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