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18時56分。
123便はレーダーから消失した。
航空自衛隊は、茨城にある百里基地から偵察機2機を緊急発進させる。
一方、東京航空局東京空港事務所は、レーダーからの123便消失の報を受け、防衛庁、警察庁、消防庁、海上保安庁に通報し、捜索を開始した。
19時15分。
飛行中の米軍輸送機が、山中に大火災を発見し、航空自衛隊に通報する。
19時21分。
航空自衛隊の飛行機も、山中の火災を発見した。
百里基地では、災害派遣要請がまだ出ていなかったが、基地司令の判断で救難隊を出動させた。
この後、救助作業は難航する。
地上からの救助隊が到着したのは、墜落から11時間以上も後のことであった。
乗員乗客500名以上が死亡。
機長、副機長、航空機関士、客室乗務員等は全員死亡。
生存者は、乗客4名だけであった。
機長の娘は、自分の父の死の悲しみに打ちひしがれていたが、
その後、世間からの激しいバッシングを受けることとなった。
「500人殺して娘は生きているのか」
そんな声に苦しめられた。
父は最期の最期まで、乗員乗客を守るために頑張ったはず。
そう信じて、前向きに生きようと努力した。
後日、飛行機と共に落ちてきたフライトレコーダーが解析され、
墜落時に父が、どのような行動を取っていたのかが明らかになった。
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