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白い、眩しい、広い――非日常を証明するには十分過ぎる3要素が揃った空間に、1人の少年は佇んでいた。
ここは何処? ――誰も分からないし、誰からも答えはない。
その場にいても何かが変わるわけではない。少年はこの空間からも脱出方法を見つけるために。ゆっくりと歩き始めた。
歩いても音は立たず、空間には何もないせいで、前に歩けているのかさえ不明瞭だった。
暫く歩き、少年はまた立ち止まる。
歩いて少し分かった事がある。真っ白で何もない空間だと思われたが、不透明な泡が無数に浮かんでいるようだった。
中に何かあるのか、それともただの泡なのか――どちらにせよ、この空間を抜け出す手がかりになる。
少年はそう考え、1つの泡に触れた。
パンッと軽快な音が鳴り、泡が割れる。
そして――。
『嫌な事は嫌だと言う事!! それが永く仲良くする秘訣だと私は思うんです!!』
『それは言えてる。お互い、嫌な事は嫌だと言っていこう。仲違いはしたくないから』
それは――何か約束した日の景色。
なんの変哲もない、約束と言えるのかも分からない。そんなちっぽけな約束をした日の記憶。
泡が割れたことで、「昔の景色」が少年の頭の中に流れ込んできたのだ。
その景色に意味なんてない。今、必要でもない。
しかし、そんなちっぽけな景色と約束が、少年にこの空間の意味と自身がやるべき目的を理解させた――。
少年には「絶対に思い出すべきあの日の約束」があり、それを見つけることが目的で、この空間はそのためにあるのだと。
「探さなきゃ」
少年は大事な約束を求めて、一心不乱で泡に触れ始めた。
探す――見つからない。
探す――見当たらない。
探す――何処にもない。
無数の約束を1つ1つ触れて、「絶対に思い出すべきあの日の約束」を探し続ける。
失われた約束もあった。
くだらない約束もあった。
守れなかった約束もあった。
今も尚大切な約束も山程あった。
青年は何千個、或いは何万個もの泡に触れては約束を思い出し――また、忘れていく。それは今は必要なかったから――。
何処にもない、何処にもない、何処にもない。――無限の時間が経ったかのように思えた。
その時。
明らかに今までとは異なる、不可思議な雰囲気を醸し出す巨大な泡が目の前に現れた。
青年はこの泡にある約束こそが探し求めているものだとすぐに確信する。
青年はゆっくりとその泡に触れた――。
『何かあったら、私じゃなくて娘を守る事!! ――良いですね?』
『どっちも助けるのは?』
『出来ないこともあるでしょう? だから、その時は――ね?』
『だったら、僕と娘に何かあったら娘を真っ先に守ってよ』
『…………どっちも助けるのは……』
『出来ないこともあるよね?』
『じゃあ、お互いに約束。これだけは絶対に破ったら駄目な約束だからね。今までとは違って』
その泡の中には、娘の名前が決まっていない時の会話が入っていた。青年の妻のお腹の中に尊い命が宿ったばかりの頃の会話。
そして、これが「あの日の約束」だった。
「やっと……見つけた」
――その約束を以って、白い世界は閉ざされた。
◇◇◇
油と炎と煙の匂いが不愉快に混ざり合い、青年の鼻を貫く。
人間が長期間吸い続けるべきではない匂いに吐き気を催しながらも、青年はゆっくりと目を開ける。
目の前に転がっているのは、トラックの破片だろうか――。真正面から青年とその家族が乗った車に衝突してきた残忍な残虐なトラック。
そしてそのすぐ近くには、トラックの破片の下敷きとなった妻と、妻のおかげか下敷きにならずに済んでいた娘がいた。どちらもうつ伏せで倒れており、意識はなさそうだった。
油がポタポタとトラックから漏れ出しており、いつ炎が燃え移って爆発してもおかしくない状況である。
一刻も早く2人を助けなければならない。
しかし、青年の足には激痛が走っており、2人を安全な場所に避難される事ができるのかすら分からない。1人だけなら少なくとも助ける事が出来るだろうが、2人とも助けるとなると、最悪青年も揃って命を落とすことになるかもしれない。
だから、「あの日の約束」を思い出す必要があったのだろう。
――命の取捨選択のために。
しかし、青年は「あの日の約束」を守れそうになかった。
何故なら――3人で生きる未来しか青年には見えていなかったから。
青年の未来は幸福だったか、絶望だったか――それは誰にも分からない。
だが、彼は約束を破ったことを後悔することは最期までなかった。
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