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 入梅に入りますと連日雨が降るのは、この国の常でございます。しとしとと静かに降っていたかと思うと豪雨になったり、何百年もそれは繰り返されております。時には川を氾濫させて多くの人命を奪うこともございました。  こんな風になった今であっても、窓を叩く雨音を聞くと、あの頃を思い出すことがございます。情けないお話ですが、信じられないほどすっかり幸せになってからも、地獄のような体験は雨をきっかけに記憶の角に蘇ってしまうのです。  あの頃、私はただ雨が降ることを待っておりました。雨で増水した河が河岸(かわぎし)を飲み込んでくれることをひたすら祈っておりました。河岸に作られたあの粗末な小屋と私をうねりのなかに引きずり込み、二度と誰の手にも触れられないように、あの河が一瞬で海へと流してくれる濁流になるほどの大雨を、ただ待ち望んでおりました。  初めて華さまにお逢いしたのは、いつもと違う河川の音に大雨がくることを予測して、匍匐前進(ほふくぜんしん)でなんとか小屋から出た時でした。お逢いしたというよりも、見つけていただいたという方が正確でございますね。  河岸まで水が来なくても水量が増えれば、川に入ることが自分にもできるのではないかと、最後の力をふりしぼったつもりでおりました。ですが河まで進むことはできませんでした。  とんでもない格好で橋の下にあった小屋から這い出し、濁流に向かう途中で力尽き、進むことも戻ることもできなくなっていた私を見つけてくださったのが、まだお小さい頃の華さまでした。  地獄から逃げ切ることができなかった私を見つけ、救い、再び命を与え、そして夢のような幸せの数々を与えてくださったのは、天使のような幼い華さまと、大旦那様でございます。  ですので雨の音が嫌いなわけではありません。あの日、もし雨が降っていなければ、私は華さまに見つけていただくことはなかったのです。地獄の記憶が蓋を開けてしまうとしても、雨の音は私の人生最大の幸せと感謝も思い出させてくれる音なのでございます。
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