白梅

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白梅

 鶯が鳴いておりました。  まだ拙いその声はどこか儚げで、それでも懸命に繰り返す様子に鶯として生まれし誇りを感じておりました。  里では梅も咲いているのでしょう。でも源吾に写真を頼んだところで綺麗に撮ってこれるかどうか。本当に器用で頼りがいのある男ではございますが、ことそういうことに関してはさっぱりセンスがございません。  それでも薔薇に関しては見事な造作で、お淋しい華様を喜ばせたものです。   大きくなるにつれ、華様のお淋しさは形を変えていきましたが、それでも何歳(いくつ)になっても源吾の造る庭に感嘆の声を上げてくださいました。  ええ、もう私は存じております。時は常に流れ、砂時計の砂が絶え間なく落ちるごとく留まることはございません。無くなってしまった砂粒は砂時計を返すことによってまた同じ粒が流れ始めますが、時というものはそういうものではございません。  それは重々承知しております。  また鶯の声がします。心なしか先ほどより少し上手になっているような。いったいどこで鳴いているのでしょう。この屋敷の周りといえば、梅の木どころか赤い薔薇しかございませんのに。  それでも昔は色とりどりの花が咲き、源吾も植栽の腕を振るうことができていたのです。センスの欠片もない源吾ですが庭造りに関してだけは、華様だけでなく大旦那様にもお褒めいただくほどに。  旦那様に教えていただいて源吾が作る西洋風の庭が華様もたいそうお気に入りでした。  あのあと目覚めたときからです。すべての薔薇が赤くなり、血を流し続けるように咲き誇り、その(くれない)で華様を苦しめるようになったのは。    源吾はまだ帰らないようです。ぼんやりとフランス窓から里の方を眺めていた私の耳に、また鶯の声が聞こえてきたときでした。何気なく壁の暦を見た私はとても大切なことに気がついたのです。  明日で360日です。私は慌てて部屋を出て華様の寝室に向かいました。  ノックをせずに静かに扉を開けた暗い部屋には、閉じられたカーテンの隙間から陽が差しております。その細い光を頼りに、部屋の中央にある天蓋のついた大きなベッドに向かいました。  下ろされた高級なレース越しに、少しの間眠る華様を見つめていて気づきました。華様はすうすうという寝息をたてていらっしゃいます。  靴音を立てないように陽が差している厚いカーテンに近づき、すべてを5センチほどずつ開きました。  時が来たのでしょう、明日で360日目でございます。  そのまま静かに華様の寝室を出て、さっきまでとは違う気持ちで源吾の帰りを待っておりました。  もちろん全ての準備は整っております。これから始まることは華様にとってはお辛いことかもしれません。でも私は少しうきうきしておりました。それはこの時代があまりにも進歩しているからかもしれません。  不思議な硝子板のことは源吾から教えられてはおりますが、まだまだ雲を掴むようで。  そうしてはっとしたのでございます。華様のお幸せだけを祈り続けている私が、こんな不謹慎なことを考えてはいけないことに改めて気がついたからです。  ほんの少しでもうきうきしてしまうなんて罰あたりな。源吾に知られたら叱られるでしょうね。
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