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深く反省をしていたときに、勝手口で何やら音がいたしました。源吾が帰って来たのでしょう。
二人で採る昼食の準備はできております、少し温めればよいだけです。
私は階段を降りて勝手口に向かいました。鍵を開けて入って来たであろう源吾の
「ただいま」
と言う声が聞こえました。
「おかえりなさい。明日で360日目ですよ」
「なんだ、今頃気づいたのか? 私はずっと前から数えていたよ」
「あらそうなんですか、教えてくださればよかったのに」
その喜びを共有できなかったことに少しがっかりしながら、厨房に入った私の後ろから源吾も入ってまいりました。
「私はすっかりわかっていたから、明日は出かけずとも良いように準備は整えて来たよ。二人で食事するのは明日が最後ということになるのだからね」
源吾のその一言で私の気持ちはすっかり嬉しくなってしまいます。
「また忙しくなりますね」
源吾は頷いたと思います。
「すべての準備は整っている。明日は庭の薔薇を念のため確認しておこう」
そう言った源吾が後ろから私の手をそっと握りました。
「そうですね、華様にまたお喜びいただけるように」
応えて私も彼の手をしっかりと握り返しました。
「うん」
そう言ったきり動かない源吾を振り向いて確認したくなりましたが、それはやめておきました。
私たちは繋いだ手にお互い力をこめていました。そうしたまま黙っている私の耳に鶯の鳴き声が聞こえてきました。
「白梅が咲いていたよ」
源吾の耳にも鶯の声が聞こえたのでしょう。
「おまえと見た梅よりは貧相だったけれど、小さな花は美しかったよ」
そう言った源吾の息が、耳元に近づいた気がします。
「私が見えますか?」
「いや、感じる」
「そうですか。私もあなたを感じます」
もうがっかりはしませんとも。
ただしっかりと繋がれている私たちの手には、赤い血潮が流れているのでしょうか。
【白梅 了】
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