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聖人さんが亡くなったのは私が中学二年の年だ。おじいちゃんの病院を手伝い始めてしばらくした頃。
あの頃、聖人さんは精神的にかなり不安定だった。本当は大きな病院の心療内科にかかった方がよかったのかもしれないけれど、多分、世間体を気にした水野家がそれを選ばなかったのだろう。それで子供の頃から通っていた〈猿沢医院〉でおじいちゃんの治療を受けていたのかもしれない。
おじいちゃんは「内科というのは体の内のこと全部を診る科だ」という主義の人で、心療内科的なこともしていたから、水野家にとってはちょうどよかったのかもしれない。
「なにかこう、穴が空いているような感じなんです。心にも体にも」
あの日、聖人さんはそんなことを言っていた。
完全予約制の猿沢医院心療内科治療は、午前診と午後診の間にも行われていた。そこではいつもの看護師さんではないアシスタントがいて、患者さんがおじいちゃんに言うことや様子を、患者さんの後ろから書き留めていた。
他の看護師さんも受付の人も、もちろん私も入ることはなかった。
聖人さんの話を聞いてしまったのは、たまたまだ。午後診を手伝うためにちょっと早く着いたから待合室で本を読もうと思った。診察室に気になる本があったので取りに行こうとしたときに、聖人さんの声が聞こえたから許されない立ち聞きをしてしまった。
その時に聞いた話は、今まで誰にも話していない。そしてそれが私が心理学を学ぶきっかけになった。
聖人さんは半年間ほどの記憶が消えてしまっているらしかった。
長い人生のなかのたった半年と言う人もいるのかもしれない。でも、それをどう捉え感じるかは人それぞれだ。
「もし聖人くんが留学などせずに、あのまま通院してくれていれば」
荼毘にふされた聖人さんが日本に帰ってきたとき、おじいちゃんが言ったそんな言葉を私は今も覚えている。
聖人さんの死因はよくわからない。もちろん家族は知っているだろうけれど、当時中学生だった聖花はどうだったのだろう。彼女に聞いたことはない。聖人さんのことが大好きだった聖花は、あの後しばらく学校を休んだ。
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