同居の始まり。

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同居の始まり。

彼との生活が、突然始まることになった。 12月17日、22時。 八丁堀の稽古場から、電車で中野にある、 劇団員とルームシェアしている自宅に帰り、 荷物をまとめてまた電車に乗った。 月島駅を降りた僕は、マネージャーから 渡された彼の住所のメモを片手に、 改札口を抜けた。 ここから歩いて5分と聞いているが、 迷っても誰かに訊けるほど、人がいない。 目的の高層マンションのエントランスで、 部屋番号を押し、オートロックの解除を 試みた。 彼は、先に帰っていると言っていた。 自動ドアが開き、マンションの中に入る。 22階建の12階に、彼の部屋はあった。 「いらっしゃい」 「お邪魔します」 風呂に入ったのか、パジャマ姿の彼が 出迎えてくれた。 「岸野さんに話がありますが、良かったら お風呂をどうぞ」 バスタブに湯を張り直したという彼の 好意に感謝し、風呂を借りた。 スウェットに着替え、彼の待つリビングの ドアを開けた僕は、彼が隣接するキッチンで チーズとサラミを切っているのを見た。 「軽く飲みませんか。お酒飲めるって、 加藤さんから聞いていますよ」 「ありがとうございます。いただきます」 いつもなら、この時間は同居人とテレビを 観ながら、発泡酒を飲んでいるが、 彼とジャズをBGMに、革張りのソファに 並んで座り、チーズとサラミ、赤ワインで 乾杯した。 「早速ですが、岸野さんにお伝えしたい ことがあります」 「はい。何でしょうか」 「僕の状況として、2ヶ月は稽古中心で、 他に仕事の予定はほとんどありません。 舞台の宣伝は、雑誌で少しするくらいで。 インスタの更新は毎週水曜日。 毎朝、外出の予定がなくても、 必ず7時には起きます。朝食を始めとした 食事は、全て自炊します。食材は宅配が、 月曜日の夜に玄関先に箱で置かれます。 夜は予定がなければ、24時に寝ます。 筋トレやストレッチ、台本読みは 自室で毎日します」 「ストイックで、健康的ですね」 「芸能人の友人は、あまり多くないです。 一般の方は、ちょこちょこいますが。 自宅の場所は、事務所の人と岸野さんしか 知らないです。趣味は映画鑑賞とワインです」 「わかりました」 彼がプライベートのことを話してくれる。 人となりがわかり、感謝した。 「岸野さんは自分のことを、どんな人だと 思いますか?」 「そうですね。性格は明るくてマメです。 普段は劇団員をしながら、 新宿の居酒屋でバイトしています。 今月来月は劇団から給与が出るので、 休みますが。 寝る時間も起きる時間もバラバラですが、 本番までは川瀬さんに合わせます。 料理は得意です。 川瀬さんは、自分で料理したい人ですか?」 「いえ。岸野さんの料理、食べたいです。 嫌いなものはないので、安心してください」 「わかりました。朝はパン派ですか? ご飯派ですか?」 「こだわりはないですね。でも必ず食後に ヨーグルトは食べます」 「なるほど。あと、同居させていただくので、 余分にかかるお金は請求してください」 「気持ちだけで大丈夫です。こちらが 言い出したので」 「いえ、それではのびのびできませんから。 負担させてください」 「では、率先して料理と洗濯、掃除を お願いします。ハウスキーパー、やって いただけると助かります」 「お部屋の数はいくつですか?」 「3つです。寝室と、岸野さんの部屋と、 衣装部屋です。掃除はリビングとキッチン、 風呂とトイレ、玄関、岸野さんの部屋だけで 大丈夫です」 「つまり、川瀬さんの寝室と衣装部屋は、 触らないでということですね」 「はい。お願いします」 ビジネス同居でも、嬉しかった。 彼の自宅を知る数少ない人として、 秘密は守ると彼に誓った。 「ありがとうございます」 「明日、セリフ合わせしませんか」 「いいですね。そうしましょう」 間もなく24時になると置き時計でわかり、 慌ててソファを立った。 「川瀬さん、僕の寝る場所はどこですか」 「ご案内します」 「川瀬さん、寝る時間ですしね」 「お気遣いありがとうございます」 「明朝は、僕がごはん作りますよ。 何時に食べたいですか?」 「8時には食べたいです。冷蔵庫のものは 何でも使ってください」 リビングを出てすぐ、左側のドアが 僕の寝室だと案内があった。 「リビングのグラスと皿は、片付けます。 歯磨きして、寝ましょう」 ゆっくり寝てくださいねと、彼は微笑んだ。 ふかふかのベッド、清潔な寝具。 久しぶりに、快適な睡眠ができた。 中野のアパートには、帰れないと思った。 すっきり起きて、機嫌良く朝食の支度を 始めた。 卵を焼き、ベーコンを炒め、レタスと トマトを洗い、ドレッシングを作った。 賞味期限が今日までの食パンが3枚 あったので、今朝はパンにした。 「おはようございます」 キッチンの入口に彼が立っていたので、 声をかけた。 「おはようございます。岸野さん、 ありがとうございます」 「いえ。お口に合えばいいんですが」 「大丈夫ですよ。僕がコーヒー淹れますね」 彼が戸棚の中からカップとソーサーを 取り出した。 「ありがとうございます。お願いします」 数日前までは考えられなかった展開に、 内心、浮足立っていた。 しかし、この後の彼の更なる提案で、 心はかき乱され、眠れぬ夜を過ごすことに なるとは想像もしていなかった。
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