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西暦21XX年。今から三十年前。“三十年後に地球は巨大隕石とぶつかり滅亡する”――そう発表された。
当時五歳だった私はあまり事態を飲み込めていなかった。両親がやたらと焦っていたことは覚えている。ああ、なんだか大変なことなんだ……と、ぼんやりと思っていた。
この予測はなんでも、宇宙なんたらうんたら機関という立派な機関が計算して割り出したもので、かなり正確らしい。人類は国境も超え一丸となって、火星に移住する計画を立てた。三十年後だからまだ十分に時間はある、と言い聞かせながら。
そして私が三十五歳になった今現在――今日、隕石とぶつかり、地球は滅亡する。
「日本発、火星行き611号、出発します。最終号です。繰り返します、最終号です。希望者はお乗り遅れのないようお気をつけください」
上空を大きな輸送船が飛んでいる。日本から火星に行く最終号だ。最後に各地を回って、乗る人がいないか確認しているらしい。私はそれをぼんやりと見上げながら見送った。
私は地球に残ることにしていた。
残留することは、いわば自殺行為だ。世界的には、もちろんあまり推奨されていない。命を捨てるのかと批判する人もいた。それでも、とある国の元大統領が地球に残るという決断をしたことにより、一般市民も十八歳以上の希望者は地球に残れることになった。
三十年前、地球が滅亡すると発表されたときから「これは陰謀論だ」「地球は滅亡なんかしない」と叫ぶ思想団体、政治団体もいたので、意外と多くの人数が地球に残っている。
私は別に陰謀論だと思っているわけでも、地球は滅亡しないと信じているわけでもなかった。
ただ、ここで終わるならそれはそれでいいのではないかと、思っただけだ。
もし、ここまで文明が発達していなければ、地球から脱出もできなかったし、そもそも「地球が滅亡する」なんて予測もできなかったはずだ。昔は地震ですら予測できずに、大震災の被害があったらしい。そのとき、突如襲いかかった運命を受け入れざるを得なかった人たちのように、「何も知らず、もともとここで終わるものだった」と考えればいいと思った。
もし私に、夢があったならば、子供がいたならば、必死に生き延びようとしたのかもしれない。
「ふう……あと十五分か」
手元の端末をタップすると、隕石衝突までの時間が表示された。まるでドラマやアニメで見た時限爆弾のカウントダウンのようだった。
もう地球の施設の多くは撤退しているので街は退廃していた。人のいない家やお店がぽつぽつと並んでいる。信号はもうとっくに切れていて、何も知らない鳩やカラスが信号機の上に並んでいる。鳥は翼もあって自由に飛べるのに、逃げもせず、ここで私たちと共に命を落とすのだ。
『皆さん、地球は滅びません! この目で確かめましょう! 我々は命を捨てるのではありません、地球で生き延びるのです!』
思想団体が叫んでいる。もうすぐ隕石がぶつかるというのに最後まで元気なことだ。いや、本人たちはぶつからないと信じているから元気なのか。
手元のカウントダウンを見てもピンと来ないけれども、周りのこの世紀末のような景色を眺めると、ああ、本当に地球は滅びるんだなと思えてくる。
私は手慰みにまた端末をタップした。「地球残留者一覧」のページを開く。自分の個人情報公開を許可した者は、同じく情報公開を許可した残留者の一覧を、端末で見られるようになっていた。画面に国籍、名前、年齢がずらりと並ぶ。たまに自分のような若い人もいるけれども、やはり、もう余命少ないご老人が多い。きっとどうせ残り少ない命であれば慣れ親しんだ土地で、と考えているのだろう。
(……あ)
そんな中、日本のリストの中に自分と同じ年齢の人がいて目が止まった。名前を辿ると、覚えがある。大学時代の同級生だった。でも、ただゼミが同じだっただけで、特に話したことはない。
(懐かしいな、大学ももう十五年くらい前か……)
早速名前をタップして、連絡をとってみた。
『久しぶり! 大学のゼミ一緒だったんだけど、覚えてる? 地球に残るんだね。よかったら最後に話さない?』
そうメッセージを送ってから数分も経たずに、いいよと返事があった。特に仲の良かったわけでもない人と最期の時を過ごすことになると思うと、なんだか不思議な気持ちだった。
「あ、お疲れ」
「お疲れ、久しぶり」
合流すると、彼はあまり記憶の中のイメージと変わらなかった。すらりとした体に、穏やかそうな笑顔。あの頃よりかは少し疲れた顔のように見えるが、まあ大学を卒業してからお互い社会に揉まれて今に至るわけで、その上今日地球が滅びるというのだから、そういう顔にもなるだろう。
「会うの卒業以来?」
「そうだね。十五年ぶりくらいかな」
「年とったなあ」
「はは、そうだね」
私たちは屋根もない壊れかけた家の入り口に座り込んだ。普段なら人様の家の前に座り込むことなどしないが、もう滅びるのだから良いだろう。地球脱出組の家を建て直す予定が中止にでもなったのだろうか、家は中途半端に壊された状態で放置されている。
ふと家の中を見渡すと、入り口から少し離れたところには、ぽつんとピアノがあった。この家の人が弾いていたのだろうか。周りに他のものは何もないのに、ピアノだけは綺麗に残っていた。こんなに綺麗で立派なのに、あのピアノも、あと十五分もしたらバラバラになってしまうのだ。愛着があるわけでもないのに、少し悲しくなった。
「地球、滅びるんだねー」
「ね」
「実感、あるようなないような、って感じ」
彼に言葉を投げかけつつ、他愛ない会話だな、と我ながら思った。
「なんで地球に残ることにしたの?」
ちょっと踏み込んだ質問を受け、私は少し考え込んだ。
「うーん。もし子供がいたら、火星に行ってたと思うけど。独身だしさ。親も早くに亡くなっちゃったし……。長く生きられるかもわからない火星で、苦しみながら生きるよりは、ここで終わるのもいいかなって」
「友達に止められなかった?」
「止められたよー! 向こうで一緒に頑張ろうよって、めっちゃ言われない?」
「言われた、言われた。親友にも、俺は百歳まで生きてやるからなとか泣きながら言われた」
わかるわかる、と共感しながら盛り上がる。すると、彼も言いづらそうにしながら口を開いた。
「俺は、わりと早めに結婚したんだけど、離婚してさ……それから、よくわからなくなって。何もしたくなくなっちゃったんだ。ただただ働く毎日で、特にやりがいもない。もともとすごくやりたかった仕事でもないし。でも社会的には、出世とか、結婚とか、そういうのを求められる。親もそれを期待してた。俺の人生失敗だったのかなぁなんてふと考えて、憂鬱になって……」
彼は少し遠くを見て目を細めた。彼が思い浮かべているのは、別れた奥さんだろうか。それとも、親御さんだろうか。泣かれたという親友だろうか。いや、全員かもしれない。
「わかる、人生失敗だったのかなぁって、私も思うことあるよ」
相槌を打ちながら私も少し遠くを眺めた。信号機にとまっていた鳩が地面に降り、小石をつついている。
「私さ、アイドルになりたかったの」
本当は言うつもりがなかったのだけれども、残り少ない人生だと思うと、口も軽くなった。
「二十四歳になっても叶えられなかったら諦めよう、って決めて。でもやっぱり全然上手くいかなくて。二十代になると、もう年下にどんどん有名な子が出てきて焦った。タイムリミットだけ近付くのに、自分は何も成長できなくて、才能ないんだなって現実を突きつけられた」
彼は横で黙って聞いてくれていた。
「私がアイドルを目指したときにはもう、地球は将来滅亡するって言われてたけど、でももし地球が滅んでも、アイドルってどちらにせよ『短命』だし、夢を叶えられたらそれでよかった。でも今は、なんでもっと早く諦めなかったんだろう、って思うの。会社員として就職して、仕事して、休日には友達とお茶して、誰かに愛されて、結婚して……そういう人生を歩んでればよかったなって。そしたらこの人生も、死ぬのが惜しくなってたかも」
そう、夢を追いかけた人生は、他に何も残らなかった。キラキラしたアイドルは、目指せば目指すほど、遠い存在になっていた。
そこまで話すと、彼もまた話し始めた。
「夢って意味だと、俺は逆かも。実は俺は、昔ピアノをやってたんだけど、『勉強に専念するから』って理由つけて、中学生の頃にやめたんだ。でも、大人になってからたまたま見たテレビ番組のプロのピアノ演奏に、魅了されて……こんなピアノを弾けたらって、初めて思って……なんであのときやめちゃったんだろう、って後悔した」
悔しそうに唇を噛むと、私の方を向いて言った。
「俺は、何しても中途半端なんだ。ピアノも、勉強も、結婚も、仕事も。だから、何かを長く続けられるのは、すごいことだよ」
真っ直ぐに褒められて面食らってしまった。なるほど、諦めなかったことが、強さとして人の目に映ることもあるのだ。
地面の小石をつついていた鳩が突然羽ばたいていった。
「そっか。やめた後悔と、やめなかった後悔か……」
ぽつりと呟く。
「人生って、そんなものかもね。『もしあのとき、あっちを選んでいたら』って思うけど、そっちを選んでいても、何か別の後悔をしてるのかもしれない」
「そうだね」
そうだ。みんな、選択の積み重ねだ。そのとき、そのときでそれぞれの己の「幸せ」を考え選択してきた結果なのだ。
ふぅと息を吐くと、空気が白くなった。天気は変わっていないのに、なんだか空が明るくなったような気がする。
「ねえ、最後にさ、歌いたいんだけど」
「えっ?」
「ピアノ、弾いてくれない?」
私が奥のピアノを指差しながら言うと彼は目をぱちくりとさせた。が、ピアノを見てすぐに柔らかい表情になる。
久しぶりだなあと呟きながら彼が近付いて椅子に腰をかけ、おもむろに指をおろすと、ポーン、ポーン……と静かに音が鳴る。
「うん、弾けそう」
彼は私の方を振り向いてにっこりと笑った。先程再会したときに見えた疲れたような表情は、どこかにいっていた。
そして私たちは、歌い、ピアノを弾いた。
歌い終わると、周りからパラパラと拍手が起こった。私たちの前にはいつのまにか人が集まっていた。この歌があとに継がれることはないけど、もう消えてしまうけれども、今私たちはここで生きている。それを実感した。
火星に行けばよかったかな、と、ちょっぴり後悔した。
“最後に歌えてよかった”
“俺も、ピアノ弾けてよかった”
“隕石、痛いかなー”
“一瞬なんじゃない?”
“そっか”
私が笑うと、彼も素敵な笑顔で笑った。それはとても眩し――
了
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