10月14日(月)

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「大和が手紙に細工をして、エヴァと郡山が会うのを妨害した。それは分かった。しかし、その事実は、別に大したことではないように、私には思える。言ってしまえば、そんなのただの恋のいざこざだ。ちょっとした悪戯だ。これが大和の、つらくて残酷な話なのか? どうもぴんとこない」 「そのちょっとした悪戯のせいで、エヴァが死んだとしたら、どうだろう?」 「……え?」 「お守りの話に戻ろう」  僕は言った。 「僕は、エヴァが失くしてしまったお守りとそっくりな新しいお守りを、マリア像の下に置いた。でもそれを見つけたのは、湯田氏だった。そこまでは話したね?」 「ああ」 「ここからは、あくまで想像の話になる。とはいえ、栄司と一緒に考えて結論を出した、二人分の想像だ」 「私も一緒に想像してやる」 「お願いするよ」  僕は深呼吸をしてから、語り始めた。 「掃除当番を代わったことで、マリア像の下でお守りを見つけることになった湯田氏。彼はそれを拾った。でも、恵悟さんの話にもあったとおり、湯田氏はすごく急いでいた」  湯田氏は、恵悟さんと一緒にクラシックのコンサートへ行く予定があった。 「岬のマリア像は、神織教会が管理している。だからここで見つけた遺失物は、教会に提出するのが筋だろう。でも、コンサートの時間が迫っていた。遺失物を教会に届けている暇がなかった」  僕はここで話をいったん止めた。 「さて、ミア、早くも想像の時間だ」 「ああ」 「湯田氏は、拾ったお守りをどうしただろうか?」 「お守りは、湯田さんの遺品として保管されていた。そこから考えるに、持ち帰ったとみるのが自然ではないか?」 「でも、知っての通り、湯田氏は偶像崇拝をかなり嫌っていた。キリシタンの象徴ともいえる十字架すら、ふだんは身に着けないと恵悟さんは言っていた。徹底していたんだ。そんな湯田氏は、できることなら、いや、是が非でも、お守りなんて持って帰りたくなかったはずだ」 「じゃあ、捨てた、とか? いや、それだと、遺品として保管されていた事実と矛盾する……」 「うん。それに、この岬には鳥居があって、恵比寿神社もある。つまり、神道の背景も兼ね揃えた場所だ。そんな場所で、お守りを捨てるなんてことが、信心深い湯田氏にできるだろうか?」  湯田氏は、たったひとつの神しか信じていなかっただろう。彼は敬虔なキリシタンだった。だから、異教の産物であるお守りを軽視した可能性だってある。  しかし、彼は異教に寛容だったという話も、恵悟さんから聞いた。そんな人物が無慈悲にお守りを放り捨てるなんて、僕には考えられない。栄司も同意見だった。  特定の神を信じていない僕でさえ、お守りを粗末にするのは憚られる。たぶん、日本人の大多数がそうだろう。我々の生活と心の中には、ごく自然に、神道の精神が根付いているものだ。 「僕と栄司の想像は、こうだよ。湯田氏は、お守りを。そして後日取りに来て、改めて教会に遺失物として提出する予定だった」 「では、お守りはひとまず、マリア様の足元に置きっぱなしにしておいたということか?」 「いや、さすがにそれは憚られただろうから、もっと別の場所に避難させておいたんだと思う」 「この場所であり、別の場所?」  ミアはあたりを見渡した。 「これといって、物を保管しておけそうな場所なんて見当たらないが……」 「柵の向こうだよ」 「なんだって?」 「柵の向こうの、松の木」  柵の向こうは崖になっていて、その斜面から松の木が一本生えている。 「この木が、どうした?」  ミアが手を伸ばし、松の木の枝に触れようとした。しかし、小柄な彼女は、ぎりぎり届かなかった。 「湯田氏はこの木の枝に、お守りをひっかけておいたんだよ。お守りには紐がついているから、枝に手の届く人間なら簡単にひっかけることができる」  先日ミアから、湯田氏がすごく背の高い人物であるという情報も得ている。長身の彼が長い腕を駆使すれば、木の枝にお守りをひっかけるなんて造作もないだろう。  ミアは松の木から視線を外して、僕の顔をじっと見つめた。最初は「何を馬鹿なことを」と言いたげな表情だったが、だんだんと理解が顔全体に広がっていった。 「じゃあ、エヴァは……」 「そう。エヴァは、僕が改ざんした手紙を見て、『船着場』に来た。だけど栄司の姿が見えないもんで、見晴らしのいい岬に上った」  僕は見晴らしのよさを確認するように、あたりを見渡した。『船着場』と呼ばれる岩場を一望できる。 「そしてエヴァはその時、松の枝にひっかかったお守りを見つけた。見慣れた文字を新聞の中から簡単に見つけられるのと同じように、普段から見慣れていたデザインのお守りを、エヴァはたまたま、だけどある程度の必然性をもって、発見したんだと思う」 「ま、まて。じゃあ、エヴァは……」 「そう。お守りを取り戻すために、柵を越えたんだ。そして足を滑らせて、落下した」 「そんな……」 「次の日の月曜日、湯田氏は朝早くに、この場所へ向かった。恵吾さんには『忘れ物を取りに行く』と言って家を出た。そういう話だったよね。その忘れ物とは、つまり、松の枝にひっかけておいたお守りのことだったんだ。律儀な彼は、それを遺失物として教会に提出する予定だったんだ。でも、彼は、岬に向かう途中で見つけてしまった……」 「『船着場』に倒れている、エヴァの死体を、だな?」 「そのとおり。彼はとうぜん、駆け寄った。そして、遺体のそばに落ちているものを見て、すべてを悟った」 「遺体のそばに落ちていたもの。それは、お守り、だな?」 「そう。湯田氏は、エヴァがお守りを取るために柵を越え、落下したことを悟ったんだ。そこでなぜ、彼がお守りを持ち去ろうとしたのか、もちろん真相は分からない。でも、僕が思うに、怖かったんだと思う。警察の調べで、そのお守りが、湯田氏が枝にひっかけたものだと知られるのを、恐れたんだと思う。もちろんそれは何の罪にも問われない。それでも、やっぱり、自分が間接的にエヴァの死因をつくってしまったことを、隠したかったんだと思う」  ミアは口を開いた。だけど何も言わずに閉じてしまった。さまざまな思いが、彼女の中で渦巻いているのだろう。 「結論は、こうだよ」と僕は言った。「僕が手紙を改ざんしてエヴァをここへ誘導さえしなければ、彼女は死なずに済んだんだ」  僕は一度、ミアの顔を窺った。彼女はとっさに僕から目をそらした。彼女の視線は逃げ場に迷った挙句、海の上に落ち着いた。 「で、でも、大和は、エヴァを愛するあまり、手紙を書き換えてしまったのだろう? 郡山に先を越されたくないがゆえに……。私はそれを、強く責めることはできない」  ミアは海を見つめたまま言った。長いまつ毛が、日の光を受けて艶めいていた。    彼女は必死なのだ。僕のことを許そうと。  それが僕には分かって、歯ぎしりをしたい気持ちになる。    ミア、いいんだ。僕を許すな。  僕は、君に罰してもらいたいんだ。  僕はミアに正しく罰してもらうために、次なるストーリーを語り始めた。
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