10月1日(火)

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 マンションの707号室、つまり自宅の前に到着した。  ポケットに手を突っ込んで家の鍵を探したけど、見つからなかった。ダメ元で玄関ドアのレバーハンドルを下げてみると、あろうことか開いてしまった。施錠に厳しい我が家にあるまじき失態だった。    とにかく助かった。チャイムを押して母さんを起こすのは気が引けたからだ。時間的に間違いなく眠っている。    高校二年生である僕にとって、いまは出歩くのに適した時間とはいえない。いつもならいまごろベッドの中でぐっすり眠っている。しかし今日は、ろくでもない車の中でぐっすり眠っていた。一酸化炭素の子守唄を聴きながら。    まったく、どうなっているんだ……。  僕は家への帰り道、ずっと思い出そうとしていた。直近の記憶を手繰り寄せ、僕の身に起きたことを解き明かそうとした。  でも駄目だった。僕の記憶は、それこれ不完全燃焼の煙の中みたいに不明瞭だった。  寝ている母さんを起こさないよう、僕は玄関ドアを慎重に開けた。門限は無いけど、かといってこんなふざけた時間に帰宅しようものなら、嫌味の一つや二つは言われかねない。  僕は靴を脱ぐと、足音を殺して廊下を歩いた。  しかしその努力も虚しく、水が流れる音に続いてトイレのドアか開き、そこから母さんが現れた。トイレの明かりを受けて、彼女の影が床と壁にぼんやりと浮かび上がる。 「あれ? 大和(やまと)?」  母さんは大きな目を大袈裟に細め、僕の顔を見つめる。まるで僕が本物の大和かを確かめるように。 「ただいま」  見つかってしまっては仕方ない。僕は開き直ってみせた。 「コンビニにでも行ってたの?」  母さんは洗面所で手を洗いながら、そう尋ねてきた。 「……う、うん」  僕は上下ともグレーのスウェット姿だ。寝間着である。ぱっと見、深夜にふらっとコンビニに出かけていたようにも見える。 「で、何も買ってこなかった、と」  母さんはタオルで手を拭きながら、僕の手を一瞥して言った。僕は完全な手ぶらだ。  嘘がバレているのは一目瞭然だった。  でも、僕は本当のことを話すことはできない。だって、僕自身ですら、自分の行動を覚えていないのだから……。気が付いたら見知らぬ車の中で、練炭で死にそうになっていた。これをどう合理的に説明しろというのだ? 「……」  ここで僕は、あまりに今更なことに思い至った。今の今まで頭がぼんやりしすぎて、その単純明快な事実に気づかなかった。    なんてことはない。僕は、誰かに殺されかけたのだ。  殺人未遂だ。 「なんで黙ってるの?」  母さんが不機嫌そうな表情で言った。いや、単純に眠いだけだろう。深夜トイレに起きて上機嫌な人間はいない。 「ああ、いや、その。本当は、散歩してたんだ。眠れなくてさ」  信じてくれたかどうかは定かでないが(たぶん信じていない)、母さんはそれ以上追及してこなかった。 「風呂にもう一度入って、着替えなさい」と母さんは言った。「泥だらけだよ」  たしかに僕の寝間着は汚れていた。空き地の地面で長いこと悶えていたので、とうぜんだ。 「うん。分かった」 「危ないことはしないでよ。あんたまでいなくなったら、さすがに私もきついわ」  そう言い残し、母さんは寝室へ消えた。彼女の言葉の余韻だけが、僕の目の前にいつまでも漂っていた。「あんたまでいなくなったら」と、彼女は言った。  僕と母さんは六年前から、二人だけで暮らしている。父さんはすでに他界している。  父さんは突然の事故で死んだ。飲酒運転で暴走する車に吹き飛ばされ病院送りとなり、その翌日に息を引き取った。いつも飄々として、息子の目から見てもミステリアスの塊のような男だった父にしては、あまりにあっけなく、つまらない最期だった。  僕は頭を振って、悲しい記憶を遠心力で吹き飛ばした。脳が揺れ、締め付けるような頭痛に襲われた。こんなガタガタの体調で、学校になんて行けるだろうか。  とにかく僕はシャワーを浴びた。それから重い疲労感に引き寄せられるように、自室のベットに倒れこんだ。
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