10月14日(月)

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「僕がお守りをマリア像の下に置いた、その後の話をするね」と僕は言った。「僕がお守りのセッティングをしたのは、9月21日の土曜日の夕方だ。セッティングを終えた僕は、家路をたどった。その途中、ばったり出くわしたんだよ。栄司にね」 「郡山に……?」 「うん。そのことは、ついさっき栄司に話を聞いて思い出した」 「郡山の家は、ここからは遠いはず。そんなあいつが、なぜ神織町に?」 「エヴァに手紙を渡すためだよ」 「手紙。問題の、あの手紙だな?」  僕は頷いた。 「栄司は、エヴァに告白しようと思っていたらしい。恋の告白だよ。そこで、次の日、つまり9月22日の日曜日に、エヴァをとある場所に呼び出したかった。エヴァは携帯電話の類は持っていなかったから、メールで伝えるのは無理だった。家に電話すれば済む話ではあるけど、当時彼の英語はかなり未熟で、うまく伝える自信がなかったそうだ。いざエヴァを目の前にして、まごついてしまうのも心配だったらしい。だから、推敲に推敲を重ねて、手紙を書いた。それを引っ提げて、はるばる神織町まで来たんだ」 「エヴァを呼び出した動機は、恋の告白のため、ね」  ミアは疑わしそうに言った。 「まあ、ひとまず信じないことには話が進まないな」 「うん。ひとまず受け入れてほしい」 「それにしても、わざわざ神織町まで、ね」  ミアは腑に落ちない様子だ。 「手紙なんて、学校で渡せばいいのでは?」 「エヴァは、ほとんどの授業を僕たちとは別の特別教室で受けていたから、接触できる機会は決して多くなかった。それに、エヴァのそばには、僕がついていることが多かった」  僕は、エヴァの世話係のような役割も担っていた。自然とそうなっていた。僕はそれが誇らしかった。 「たしかに、登下校も、エヴァは必ず大和と一緒だったものな」  ミアは言った。 「つまり郡山は、恋敵である大和の目を盗んで、エヴァに接触したかったわけだな」 「うん。栄司はそう言っていた」 「それで、土曜日に郡山が神織町にやってきて、その続きは?」  促され、僕は話を再開する。 「栄司は、クラーク家の目の前にいた。そしてちょうど、門扉のチャイムを鳴らしたタイミングだった。僕を見た栄司は、ひどく慌てた様子だったよ。まるで犯罪の現場を見られてしまったように、表情を凍らせた」 「抜け駆けを目撃されて、そうとう焦っていたのだな」 「焦っていたのは、僕も同じだった。栄司が何のためにクラーク家に来たのか、その時点では分からなかったけど、とにかくそれは僕にとって不吉な現実だった。栄司をエヴァに会わせたくなかった。だから僕はとっさに嘘をついた。エヴァは留守だ、と」 「郡山は、それを信じたのか?」 「たぶん信じてはいなかった。でも彼は、それを聞いて安心したように見えた。とっさに僕に封筒を手渡して、言ったんだ。これをエヴァに渡しておいてほしいと。直接渡す気でいたから名前は書いていないもんで、郡山栄司からだときちんと伝えてほしいと。早口でそれを言うと、彼は一目散に走り去ってしまった」 「いち早く、大和の前から逃げたかったのだな。だからこそ、大和の言葉が嘘かどうかはどうでもよかったわけか。あいつも、案外小心なところがあるのだな」 「どんなに頭が良くても、しょせんは小学生だよ。想定外の出来事に、パニックになってしまうのは無理もないよ」 「それから?」 「玄関には、カイルさんが出たよ。僕が何かを言う前に、彼は僕を家の中に招き入れてくれた。エヴァとシャロンさんも、家にいた。みんなでお菓子を食べたのを覚えてる」 「私はその時、ちょうど出かけていたな」 「うん。たしかにミアはいなかった」 「それから?」 「僕はね、お菓子を食べながらお喋りしつつも、気が気じゃなかった。手紙のせいだよ。本当なら、栄司から預かった手紙を、こっそり破り捨ててしまいたかった。でもそれはできない。エヴァに手紙が渡らなかったら、いくらなんでも栄司に気づかれる。僕が手紙を意図的に渡さなかったって疑われる」  だから、僕は。 「だから僕は、違う策を実行した。トイレに行った隙に、手紙を書き換えたんだ」 「え」  さすがにミアも驚いたようだった。 「でも、手紙の文字は、明らかに郡山の筆跡だった。まさか、筆跡を真似たのか?」 「いや、それは難しい。人の筆跡を真似るなんて芸当、僕には到底不可能だよ」  他人の筆跡を真似るのは、かなり難しい行為なのだ。じっさいに試してみれば分かる。馴染みの浅い英語なら尚更だ。今更言うまでもないことだが、手紙は英語で書かれていた。 「だから僕は、ペンは使わなかった。そもそも、ペンなんて持っていなかったし」 「でも、大和はさっき、書き換えたと言った」 「正確には、、とでも言うべきだったかな」  僕はパーカーのポケットに手をつっこんで、それを取り出すと、太陽にかざした。目を細め、まじまじと見つめた。 「それは……」 「僕のためのお守りだ」  牛柄の小さな巾着袋。その中には、消しゴムが入っている。エヴァと初めて会った日に、彼女が僕にくれたものだ。食パンの形をした消しゴムを僕に差し出し、にっこりと笑うエヴァの顔が、目の前に蘇ってくるようだった。 「そうか」  ミアは巾着袋を眩しそうに見た。 「その消しゴムを使ったわけか」 「そのとおりだよ。僕は栄司から預かった封筒をこっそり開けて、中の手紙を読んだ。そこには、エヴァを呼び出す内容が記されていた。栄司はエヴァに何か大切なことを伝える気なのだと、僕は悟った」  僕は手紙を読んで、ものすごく焦った。この手紙がエヴァに渡るのはまずい。でも捨てるわけにもいかない。だったら改ざんしてしまおう。そう考えた。  「僕はこの消しゴムを、お守り代わりに普段から持ち歩いていた。これは神様の導きなんじゃないかって、本気で思った。手紙は鉛筆かシャーペンで書かれている。僕はちょうど消しゴムを持っている。神様の采配だ。そう思った」 「そして、その架空の導きに従って、大和は手紙を改ざんしたわけか」  ミアは言った。  架空の導き。厳しい言葉だ。でもそこに棘はなかった。むしろ、僕への同情の響きすら感じられた。 「でも」とミアは続けた。「どこをどう改ざんしたのか、私には見当がつかない。あの手紙は、きちんと意味の通る文章だった。不自然な空白もなかった。下手に文字を消した形跡は見られなかった」 「I want you to come to the Dock」  僕は言った。手紙の抜粋だ。『船着場』に来てほしい、という意味である。 「それが、改ざんされた後の文章なのか?」 「うん」 「……やはり、不自然な点はないように思えるが」 「僕が改ざんしたのは、『Dock』の部分だ」    Dock。船着場を意味する単語。そして僕たちのあいだで『船着場』と言えば、マリア像の岬の下の岩場を指す。 「思い出してみてほしい。栄司の文字の癖を。彼は、大文字の『R』の上半分を、やけに大きく書く癖がある」 「たしかに、そうだったかもしれない」  ミアは、顏をちょっと上に向けて、眉をひそめた。栄司の筆跡のサンプルを思い出しているのだろう。 「『Dock』に、ほんの少し、何かを足してみてほしい」 「……そうか!」  ミアは弾かれたように、体ごと僕のほうを向いた。 「たぶん、ミアの考えていることは、当たりだと思う」 「……『Dock』の『D』だな?」 「そういうこと」 「もともとは、『R』だったのだな?」 「正解」  僕は海に視線をやった。 「もともと手紙には、I want you to come to the Rockと書いてあったんだよ」  Rock  ロック。  僕とエヴァと栄司の、秘密基地。 「Rockの『R』の下半分を消しゴムで消すと、『D』になる。栄司の、『R』の上半分の『D』に見える部分を大きく書く癖が幸いして、僕の改ざんは成功した」 「そして改ざんした手紙を、エヴァに渡した」 「そう。その手紙を読んだエヴァは、僕の目論見どおり、Rock(ロック)ではなく、Dock(船着場)へと足を運んだ。こうして、エヴァと栄司が会うのを、僕は阻止した」 「なるほどな」  意外にも、ミアの反応は薄かった。もうちょっと、何かしら感情を示すものと踏んでいたのに。
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