1.【格】の違う男

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1.【格】の違う男

 勇者召喚の地、第一王国アインケル。その交易要所のひとつであり円環大陸の最北に位置する港町ノスタルベルンは円環大陸ヘクサグラードを囲む“外海(そとうみ)”の海産物と海洋貿易で栄える活気ある町だ。 「毎朝市場で仕入れる新鮮な魚介と第五王国フュンファーにある醸造所から直接契約で仕入れる白葡萄酒が名物、と」  陽もすっかり落ちて海の男たちと旅人で賑わう歓楽街の大通りをぶつぶつと、しかし楽しげにつぶやきながら歩く者がいた。  臙脂(えんじ)色の高価そうな旅装に灰色の髪。整った身なりと余裕のある落ち着いた表情は彼がそれなりの身分であることを漂わせている。  その数歩後ろをふたりの侍女、少年のように短い緑髪のクラシックメイドと膝まで届きそうな長い赤髪のミニスカメイドがそれぞれ車輪付きの大きな旅行かばんを引きながら付き従っているが、逆に言えば彼の供はそのふたりのみで護衛のような者も見当たらない。  旅人の多いこの町でも彼らの姿は非常に浮いていたが、当の三人は周囲の好奇心も不躾(ぶしつけ)な視線も一顧だにする様子もなく、やがて一軒の酒場の前で足を止めた。 「噂に聞いた魚人のいびき亭はとやらは、ふむ、ここかな?」 「はい、先ほどの殿方から伺った通りの場所と店名でございますね」  クラシックメイドが柔らかな声で同意する。ミニスカメイドは窓から店内の様子を覗き込んで露骨に眉を寄せた。 「キッタネエしウッルセエ店だなオイ。マジで入んのかよ」  彼はミニスカメイドの悪態に気分を害するでもなくむしろ楽しそうに笑みを浮かべて店の扉に手をかける。 「なに、それも旅の醍醐味というものさ。そうは思わないかね?」  彼女が小さく溜息を吐いて「勝手にしろ」とぼやいたところで彼は両開きの扉を両手で勢いよく開いて店内へと踏み込んだ。 「どうもこんばんわ諸君! 私が! 魔王、だ!」  騒がしかった店内が一瞬静寂に包まれ、全員が入口の扉を開け放った男に注目したが、僅か数秒で何事もなかったかのように各々食事に、仕事に戻っていく。 「ふむ、これは……滑った、かな?」  独り言ちる男の後ろでふたりのメイドが神妙にそして繰り返し頷いている。早くも酔っ払った裕福な旅人とでも思われているのだろう、誰も相手にしたがらないのも無理はない。しかし店としては少々変わった客であろうと来店前から酔っ払いであろうと無視するわけにはいかない。 「いらっしゃいませ魔王様ー! 三名様でよろしかったですかー?」  ホールを駆けまわっていた若い女給仕が声をかけてきた。 「うむ、三人だ」 「承知致しました、あちらのテーブルへどうぞー! すぐご注文承りにいきますのでー!」 「ああ、よろしく頼むよ」  鷹揚に頷いてテーブルへ足を向けた男の前に、ドンッと太い足が投げ出され行く手を阻んだ。テーブルを囲んでいるのは船乗りたちと思しき男たち。そのなかでも一番の巨漢がニヤニヤと男を見上げている。  メイドふたりの目付きが変わるがなにかするより早く男が両手を軽くあげて制する。 「ようよう、アンタ魔王様なんだって?」 「いかにも私が魔王だ」  和やかに答える男にテーブルを囲んでいた一同が一斉にゲラゲラと笑い声を上げた。既に相当飲んでいるのだろう誰も彼も顔が赤い。 「そうかいそうかい、じゃあ俺様が人界(じんかい)のマナーってのを教えてやるぜ」 「それは興味深い。是非ご教授願いたいものだ」 「いいぜえ? こういうときはな、まず先客に酒を奢るんだ。全員に一杯ずつな」  その言葉を聞いて船乗りたちがまたドッと笑い声を上げた。いかにも金がありそうだが供についているのは女だけ。つまりは彼にタカろうというのだ。  彼らの様子を目の当たりにしてクラシックメイドは冷たい表情を浮かべ、ミニスカメイドはまなじりを吊り上げる。しかし一言も発することはない。  三人の注文を取りに来た女給仕は足を止めてハラハラとした表情で様子を見守っていた。暴力沙汰になって店や他の客に被害が出ない限りは客同士のいざこざにはなるべく関わらないのが店の方針だ。  気付けば近い席に座る他の客もチラホラと視線を向けている。  男は大仰に溜息を吐いて肩を竦めた。 「なるほど、しかし生憎と人界(じんかい)の通貨は持ち合わせていなくてね、諸君に酒を振る舞うのは少々難しそうだ」 「ああ!?」  あしらわれたと思ったのだろう、巨漢の船乗りが声を荒げて立ち上がった。男も長身だったが相手はさらに頭ふたつほどは大きく、向かい合う姿はまるで大人と子どもだ。 「酒場に入ってきて無一文だなんて訳があるかよ馬鹿にしやがって。(いて)え目に遭いたいのか?」  威圧するように背を丸めて鼻先へ顔を近付けて凄む巨漢だが、男は微塵も怯む様子がない。むしろ困ったように微笑みを浮かべて相手を見上げる。 「そうは言っても事実なのだが……それより私としては痛い目に遭わせるという話に興味があるかな。生まれてこのかた、玉座の肘掛けに太腿をぶつけるより痛い目には遭ったことがなくてね」  たっぷり数秒呆気に取られていた巨漢が鬼のような形相で吠える。 「……ふ、っざけやがってこの野郎!」  その怒号に店内全ての視線が一斉に集まった。  足に引けを取らない丸太のような腕が男の襟首を掴んで吊り上げようとし、けれどもびくともせず焦りの表情を浮かべる巨漢。その剛力で掴まれた旅装も破れるどころか大きな引き()れもなく、せいぜい握られた部分にしわが出来ているだけだ。  物理法則を無視したその現象を目の当たりにして、メイドたちは鼻で笑い、男はひとつ大きな溜息を吐いた。 「ああ……仕方がないね。(きみ)……なにものにも【格】というものがあるのを知っているかね」  男が諭すようにやんわりと言葉を紡ぐ。穏やかなその声に、しかし巨漢は、その連れ合いの船乗りたちも、さらには見守る女給仕や外野の客たちまでも畏怖に身を強張(こわば)らせて聞き入った。 「思うに、(きみ)では私を痛い目に遭わせるには少々【格】が足りないようだ。残念だが日を改めてくれたまえ」  男は優しく、しかし一方的に巨漢の指を解くとまるで聞き分けの良い子どもへそうするように肩を押して席へ座らせた。すっかり静かになった酒場を一瞥すると肩を竦め、女給仕に勧められていた席へと腰を下ろす。  クラシックメイドとミニスカメイドがその両側の席にそれぞれ座った辺りで氷が溶けていくようにじわりと店内の緊張がほぐれ、次第にひそひそと小声が広まっていく。それに合わせるように女給仕がテーブルへやってきて男へ引き攣り気味の笑みを向けた。 「あのーお客様、先ほどのお金が無い、というお話は……その」  冗談ですよね? と念を押すよりも早く男が笑顔で鷹揚に頷いた。 「うむ、あれは事実だとも。残念なことに魔王領には人界(じんかい)の通貨が流通していないからね」  さも当然と言わんばかりの返事に面食らっている女給仕に、さらに両脇のメイドが口々に注文を付ける。 「それよりも手を拭くものなどお出しいただきたいのですけれども」 「ツッマンネエこと言ってねえで注文取れよ。なに手ぶらで来てんだ」 「ひいっ!? しょ、少々お待ちくださいー!」 「……やれやれ、食卓に座るだけで一苦労だね」  駆け去っていく女給仕の背中を見送って男が小さく溜息を吐くと、左右からやんわりと、あるいは投げやりに突っ込みが入った。 「それはご主人様が入店時にお滑りなさったからでは?」 「そりゃご主人様が木偶の坊を調子付かせたからだろ?」 「ははは、返す言葉もない」  魔王を名乗る男は気を悪くした様子もなく愉快げみ笑みを浮かべ、絡んで来た船乗りへの関心など微塵も無いようにメニューを開いた。  人界(じんかい)への襲撃でもなく、魔王と名乗る者がただ酒場でメニューを眺めている。何故このような事態になっているかといえば、話は数日前に遡る。
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