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うっかりは種
はじまりは、店長の【うっかり】だったそうだ。
*
「ほんとに、着たことないのねぇ
はい、絞めるからお腹に力入れてね」
のんびりと千代さんが言いながら、私の胴体に巻かれた紐を絞めてギュと結ぶ。
「美冬ちゃん、着物DAYは頑なに出勤避けてたものねぇ」
くすくすと朝の主婦パートさんが冷やかす様に言った。
「千代ちゃんのおねだりが、効いたのは意外だったわね」
「浴衣だったら、まだハードルが低いかと思ったんです!」
私の言葉に、その場が笑いに包まれる。
今日の当店は【着物DAY〜納涼の集い〜】と称して、従業員は浴衣姿で勤務。
浴衣をお召しになってご来店されてお買い物されたお客様も、ストアポイント10倍貯まるというイベント開催中だ。
加えて、店の表ではヨーヨー釣りとりんご飴の屋台が出ている(こちらはバイトの学生のサークル活動として場所代を免除で、担ってくれている)
そもそも、当店には月に一度【和服DAY】がある。
発端は、時折店長がうっかり普段着の和服のまま出勤したことだった。
襷掛けをして朗らかに働く店長の姿が、近所のマダムたちに好評だった。
そのうち当時在籍していたデザイン系の学校に通っていた学生バイトが、ある日自作の袴姿で出勤してきて、紆余曲折を経て現在の【和服DAY】に落ち着いたということらしい。
そして本日は、夏の盛りということで浴衣を来てついでに縁日気分も味わえるイベントを開催中である。
浴衣を用意出来ない従業員は、オーナーが用意してくれて着付けも、オーナーや店長他、幾人かの着付けが出来る従業員に着せてもらう事になる(着物貸し出しに関しては、通常の和服DAYも同様)
なるべく慌てず騒がず回避してきたが、はじめての後輩の千代さんに「納涼会、いっしょにやりましょ?」と言われてうっかり陥落してしまった。
「私がいくら誘ってもつれなかったのに」
「ほらぁ、袖花(しょうか)ちゃんがヤキモチ焼いてる」
「飛田さん!ちがうんです。
だから浴衣なら、多少は楽だと思っただけなんです」
「千代ちゃんは名前呼びなのに、私はいつまでも苗字だし」
「いやだって、先輩だし!」
「私、苗字より名前のほうが好きなのよね」
追撃の手が緩まない。
「はい、呼んでみて?『しょうか』」
「しょう…か…さん」
言えない。
初見で、うっかり「ゆずか」さんと思い込んでしまい、違うと理解しても、正しい読み方が分からずに苗字呼びで定着していたなんて。
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