ビターオレンジ

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「いやぁ涼夏にも春が来たかぁ」と言いながら母はニヤニヤしている。今日よりも一足先に私には春が訪れていた筈だったのに、思わぬ形で物凄く短いスパンで春が再来した。修司の事は母に伝えていなかったので、母が舞い上がるのも無理はない。きっと母自身が先生を大層気に入っている事もあって、余計にテンションが上がっているのだろう。  母がルンルン気分のままリビングへと戻り、おもむろに冷蔵庫を開けだした。すると先程、先生から手渡された手土産のガトーショコラが中から出てきた。母は早速頂きましょうと言って、先生を構成する要素の一部を堪能しようとする。  普段使わない少し高価な皿を取り出してきた母は、その上に自分の分と私の分の二つを取り分けて乗せた。どうせならとフォークと飲み物を入れるカップも良い物にしようと言って、食器棚の奥から引っ張り出してきた。そんな母の様子を私は呆れながら見つめている。  母がアイスコーヒーを入れながら私に「涼夏はジュースにする?」と言ってきたが、私は何故だか普段飲まないにも関わらず、「私もアイスコーヒーがいい」と返事をした。  二人して「頂きます」と言ってガトーショコラに口を付ける。母の口から大袈裟なぐらいの声量で「美味しーい」という言葉が発せられた。少しビターでオレンジの酸味が思った以上に主張していて、これが大人の味かって正直思ったけれど、私も負けじと「美味しい」って返す。そんな私の真意を知ってか知らずか、母は再び私を邪な笑みで見つめている。  ビターなチョコレートとオレンジの酸味が今の私にはミスマッチだったけれど、この味を否定したら先生と私の関係性まで否定する事になりかねない。いつかきっとこの味を本当の意味で美味しいと感じた時、この苦くて酸っぱい味の中にほんのりと甘みを感じた時に、私は先生に追い付く事ができるのだろう。  私はミルクを大量に入れてほぼカフェオレと化したアイスコーヒーで、ガトーショコラの後味を流し込みながら、ふと思った。  あれっ? 月曜日に私は修司に何て言うんだっけ?  ー了ー
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