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返事ができずにいる私を男性は微笑みながら見つめている。甘くて熱い視線が私に降り注いで、油断するとチョコレートの様に溶けてしまうんじゃないかというぐらいの熱を肌で感じている。多分、顔は真っ赤に染め上げられていると思う。
「ごめんなさいね。この子、緊張しちゃってて」
母からのフォローに私は胸を撫で下ろした。きっと私は何時間待たれたとしても男性の言葉に返事をできなかっただろう。確かに私は緊張している。しかし、つい先程まではそんな事は一切なかった。男性の姿を見た瞬間に緊張という概念が身体中を駆け巡った。
「あはは。全然大丈夫ですよ。家庭教師とか初めてですか?」
男性は母の言葉に返事をしながら、母と私の顔を交互に見ている。どちらからの返事も大歓迎という想いが行動に表れているのだろう。でも私は口から言葉を発する事ができない。『はい。初めてです』というごくごく簡単な言葉さえ上手く紡げないでいる。
「はい。初めてなんです。だから私自身もよく分かっていなくて。今日から早速授業をして頂けるんですか?」
「はい。今日から授業はしていきますが、まずは簡単に面談をしていきましょう。現在の成績や志望校の事などをお聞きしたいので」
男性と母のみのやり取りで状況が進んでいく。私は置物の狸ぐらい、ただその場に居るという使命を全うしていた。男性が玄関を上がり、普段家族で食事をしているリビングテーブルの椅子に腰掛けると、母の手によって素早くアイスコーヒーが提供された。男性は母に向かって「ありがとうございます」と礼を述べると、私に対しても不必要な一礼をした。
男性はアイスコーヒーに手を付ける事なく話し始める。
「えっと、じゃあ涼夏ちゃんの成績について聞かせて頂いても良いですか? まずは5教科から」
男性の口から自分の名前が飛び出しただけで、私の身体の熱は再燃した。修司から告白された際の言葉が謎に頭の中でリフレインして、目の前の男性の笑顔と混ざり合って、私の頭の中をグチャグチャに掻き乱していた。
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