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リビングで酔い潰れてる3人を見たら、何かどうでもよくなった。
散らかったままのテーブルの上を片付ける。
キッチンでお皿とグラスを洗ってたら後ろから両肩を掴まれた。
驚いて落としたグラスを甲斐さんは当然のように受け止めて、私に渡す。
「おはよう。よく眠れた?」
「……はい。不思議なくらい」
「凄いね。あんなことがあったのに。やっぱり向いてるよ、Sに」
「……そうでしょうか」
甲斐さんは慣れた様子でお皿を拭いて片付けてる。
いつも柳さんに呼び出されて、いいように使われてるんだろうな。
「あの……甲斐さん」
「ん?」
「報酬のことなんですけど……」
「あぁ、あれ?別に払わなくていいと思うよ」
……え?いいの?踏み倒して。
「あの金額は依頼人の本気具合を試す為の設定だし。なんやかんやで、あの2人がまともに報酬を受け取ってるの見たことない。お人好しだから」
「……そうなんですか。それで大丈夫なんですか?喫茶店だってそんなに儲けが無いみたいですし」
「運営資金は組織から出てる。まあ大した金額じゃないけど。あの2人は長年、組織に貢献して来たから。儲けが無くても組織は目を瞑ってる」
……そうなんだ。
「甲斐さんも、こっちのメンバーなんですか?」
「僕はまだ組織の人間なんだけど。こことの連絡役みたいなものかな」
「大変ですね」
「及川さんに会えるの嬉しいし。大変とは思ってないよ」
まさに忠犬。
「環のことがあってから何年か、及川さんは行方不明だったから」
「……そうだったんですか?」
「もう死んだかも、って思ってた」
……だよね。絶望的だよね。
「でも生きててくれて。柳さんが見つけて連れ戻した。で。柳さんがお父さんから相続したこの土地と建物で喫茶店を開いたんだ」
柳さんって実はお金持ちの家の人?
失礼だけど、意外。
「ここは元々、柳さんのお父さんが愛人を囲う為に建てたらしくて。他の親族は誰も相続したがらなかったみたいだよ」
ある意味、事故物件。
後から知ったけど、柳さんのお父さんは大物政治家だったらしい。
柳さんは二男で親戚の養子に出された。
養母の一子さんという人が組織の人間で。
柳さんは徹底的に狙撃手としての技術を叩き込まれた。
その一子さんが、私を救う救世主となる。
◆
私が居候すること、柳さんは快諾してくれた。
問題は私の両親だ。
娘が見ず知らずのオジさん2人と同居するなんて聞いたら反対するに決まってる。
お父さんもお母さんも温厚な人だけど。
「どうしたらいいですか」
両親に言えなくて、半泣きで及川さんと柳さんに相談する。
家には帰りたくない。
ここに居たいと。
2人は真剣に悩んでくれた。
そこへ、来客があった。
勝手に玄関を開けて上がり込んで来たのは、品のいい高齢女性。
……どこかで見た気がする。気のせいかな。
「邪魔するよ」
彼女の登場で、オジさん2人に緊張が走るのが分かる。
声も低くて迫力があって、怖い人っぽい。
2人の間に座っている私を見た彼女が、大きな溜息をついた。
「久々にバカ息子の顔でも見てやろうかと来てみれば……とうとう未成年に手を出したか雄介」
「俺じゃねーよ!及川が拾って来たんだ!」
「達彦が?やるね、色男」
「扱い!扱いが違い過ぎるだろ婆さん!」
彼女は無言で柳さんに歩み寄って、彼のシャツの襟を掴み言う。
「一子さんと呼びな」
柳さん、黙った。確かに怖い、この人。
2人の下の名前。そういえば知らなかった。
及川達彦さんと、柳雄介さん。覚えた。
「一子さん。ひとつ、お願いが」
及川さんが改まった口調で言う。
「海外で暮らしている、彼女のご両親を説得して頂けませんか」
「説得?何だい。この子と結婚でもするのかい」
「それは、またの機会に」
え。何言ってるの及川さん。
「彼女には、ここで暮らして欲しいと思っています」
一子さんはまた、私を見つめた。
「……なるほど。そういうことか」
一子さんも環さんを知っているはずだから。
及川さんが私に執着する理由は分かったみたい。
「地位も名誉もある一子さんからのお願いならば、きっとご両親も納得されるはず」
「まあそうだろうけどねぇ。達彦」
「はい」
「環は死んだ。お前が殺したんだ」
一子さんの遠慮の無い言葉が私にも突き刺さる。
「この娘を可愛がるのは自己満足だって分かってんのかい」
「分かっています」
「いいや、分かってない。身代わりにされるこの子の気持ちも考えな」
「確かに。最初は環に似ていると思いました。でも。今は彼女を彼女として愛しく思います」
……本当に?及川さんは私に環さんを見ていないの?
「凛ちゃんは環と全然タイプが違うんだよ、一子さん。しっかりしてるし甘えんの下手だし。なんつーの?傍に置いて守りたくなるっていうか。環と重ねたくても重なんねーの」
「なるほどねぇ。で。本人の気持ちはどうなんだい」
一子さんの鋭い視線が私に向けられた。
「私は……」
ここに居たい。
でも、それが正しいのか分からない。
甘えられる人なら誰でも良かったのかもしれない。
及川さんと柳さんじゃなくても。
2人に迷惑かけたくないし。
私は出て行った方がいいのかも。
私は何も言っていないのに、一子さんは頷いて言う。
「わかった。全部私に任せな」
「え……」
「そんな思い詰めた顔されたらねぇ」
「そんな……顔してますか?私」
「捨てられそうな子猫みたいだよ」
一子さんは笑って、柳さんに便箋と封筒を用意するよう指示した。
「私からご両親に手紙を書く」
「……ありがとうございます」
「これでも一応、名の知られた存在だから。ご両親も信用してくれるだろ」
有名人なんだ、一子さん。
「婆さん、世界的なデザイナーなんだよ」
「……デザイナーさん」
「多分ブランド名は凛ちゃんも知ってるぜ」
一子さんから頂いた名刺には、見慣れたロゴとブランド名が書かれていた。
「これ……お母さんが好きなブランドです」
「あら、嬉しい」
「この、ロゴが付いたバッグ。お気に入りで、いつも持ってます」
あれをデザインしたのが、一子さん。
……凄い人なんだ。
その一子さんからのお願いが効いたのか、お父さんとお母さんは私が柳さんの家に居候することを許してくれた。
一子さんの手紙には柳さんが養子だってことが書かれてて。
きちんと監督するから信じて預けて欲しいと書いてあった。
及川さんのことは一言も書いてない。
伝える必要が無いと思ったんだろうけど。
何か、悲しかった。
◆
日曜日。
私は小さなボストンバッグを持って、柳さんの家に入る。
「こんにちは」
玄関で言ったら、柳さんが出迎えてくれた。
「いらっしゃい凛ちゃん。いや、おかえり」
久々に言われた。おかえり、って。
「悪ぃな。部屋、まだ及川が掃除してんだよ」
「私も手伝います」
「いいって。及川に任せとけば」
「でも」
「手ぇ出すと怒るから、あいつ」
「あぁ……そうですね」
及川さん何でも完璧な人だから。
私が手伝ったら、かえって邪魔になる。
「部屋には一通りの家財道具は揃ってるけど。必要なモンがあったら遠慮なく言えよ」
「はい」
「荷物は。それだけか?」
「はい。私、そんなに服とか持ってなくて」
「へぇ。年頃なのに」
「オシャレに興味なくて」
「まあ凛ちゃんそのままで可愛いもんな」
柳さんって、さり気なく褒めてくれる。
好かれてるって勘違いしそう。
リビングに向かう廊下で、柳さんは思い出したように聞く。
「及川とはどーなんだ」
「どう?」
「キスくらいしたのか?」
「まさか!何もありません!」
「ふーん。じゃ、俺とする?」
また、柳さんは冗談ばっかり。
とか思ってたら肩を抱かれた。
「俺、環には興味無かったんだけどよ。凛ちゃんは違うんだよな」
「そ……なんですか」
「あ、警戒してる」
「だって……」
「俺のことも意識してくれてんの?嬉しいなぁ」
……柳さんって、冗談なのか本気なのか分からない。
「心配すんな。無理にはしねーから」
「……はい」
「んなことしたら婆さんに殺されるし」
一子さんのこと本当に怖いんだな、柳さん。
「俺も凛ちゃんのこと好きだって。頭の片隅に置いといて欲しいだけだ」
嬉しかった。
柳さんの『好き』の種類が恋愛なのか家族愛なのか分からないけど。
「……柳。何をしている」
お掃除が終わったみたいで二階から下りて来た及川さん。
珍しく、不機嫌を隠さず顔に出してた。
柳さんは面白がって私を引き寄せ抱き締める。
「お前が手ぇ出さないなら、俺が貰おうと思ってさ」
「……ふざけるな」
「案外、本気だぜ?」
及川さんは無言で私の腕を掴んで柳さんから引き離す。
そして私を引き摺るように階段を上がって、掃除したばかりの部屋に入った。
沈黙が重い。
及川さん怒ってる?
「……ごめんなさい」
「謝るな。悪いのは柳だ」
「でも」
「嫌なら嫌と言え」
そんなに嫌でも無かった。
なんて言えっこない。
「あいつは無理矢理、何かするような人間じゃないが。隙を見せるな」
「……はい」
いきなり注意された。
これから何回、怒られるんだろ。
及川さん厳しそうだから。
「お前を責めてはいない」
「……はい」
そう言われても。凹む。
「……あぁ!」
突然、及川さんが大きな声を出すから驚いた。
見上げたら目を瞑って額に手を当てて、何かブツブツ言ってる。
「……あの」
「分からない」
「……何がですか?」
「お前を傷つけずに愛する方法が分からない」
「愛……する?」
そんなこと言われたこと無いから。
嬉しさより戸惑いが勝った。
及川さんモテるから、きっと経験も豊富だと思う。
その及川さんも困るくらい面倒な女なんだ。私って。
「どうすればいい」
「私に聞かれても……」
「お前に従う」
本当に?
私が決めていいの?
「えっと……。いいです」
「どう意味だ」
「及川さんが傍に居てくれたら、それでいいです」
素直な気持ちを口にしたら、彼は今まで見たことの無い顔をした。
照れたような、どう反応していいか迷っているような。
及川さんは私のこと、本気で好きなんだって。
今、初めて実感した。
「……部屋は掃除しておきました」
「あ……ありがとうございます」
6畳の和室。新しい畳の香りがしてる。
もしかして入れ替えてくれたのかな。
家具はベッドと小さなタンスだけ。
私には十分だった。
「困ったことがあれば遠慮なく仰ってください」
「はい」
及川さん、また敬語に戻った。
私との距離感が掴めない感じ?
遠慮しなくていいのに。
でも、そこが及川さんらしい気もするから。
自然の流れに任せることにした。
◆
その日から3人の暮らしが始まって。
私は久しぶりに心から笑えた。
家族じゃないけど家族より家族みたいで。
帰る場所がある。
笑顔で迎えてくれる人が居る。
そんな平凡な、けど、この上なく幸せな日常が。
ずっと続いて行くように。
私は願った。
今日も店は満席だ。
檸檬水を飲み干した私は制服の上にエプロンをして、厨房のシンクに溜まったお皿を洗う。
手伝いにも慣れた。
それと。
「凛さん。ちょっといいですか」
「はい」
「依頼です」
そう言って及川さんは私にコースターを手渡す。
コースターの空きスペースには、女性の名前と電話番号が書かれていた。
彼らに依頼をしたい人は喫茶店のお客さんとして来店して。
コースターに名前と連絡先を書いて帰って行く。
そして後日、柳さんが依頼人に連絡して詳細を聞くらしい。
依頼したことが分からないように考えられたシステム。
噂はクチコミで広がってて、結構忙しいみたい。
それだけ困っている人が多いってことなんだよね。
嫌な世の中だ。
私は赤い封筒にコースターを入れ、厨房の隅にある棚の引き出しにしまう。
この作業にも慣れた。
いつか。彼らの出番が無くなる世界になればいい。
無理だと分かっていても、そう願ってしまう。
喫茶 エス・コート。
木々の向こうの、ありふれた喫茶店。
そこには、最強のオジさんたちが居る。
【 完 】
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