喫茶 エス・コート

2/5
前へ
/5ページ
次へ
 及川さん人気、恐るべし。  お客さんを見送ってたら、及川さんが扉を開けて【CLOSE】の札を掛けてる。  私は慌てて駆け寄った。 「あの」  声を掛けると及川さんは振り向いて、意外そうな顔をした。  もしかして、私が来ないと思ってた? 「今朝は、ありがとうございました」 「いえ。具合はどうですか」 「もう大丈夫です」 「それは良かった」 「だから、その、お手伝いに」 「……すみません。気を使わせてしまいましたね」  及川さんは苦笑して、私に手伝いを頼んだのは半分冗談だったと詫びる。 「凛さんが通う高校はアルバイト禁止だと聞いています」 「そうですけど……少しくらいなら」 「いえ。そういう訳には行きません」  及川さんて真面目なんだな。  私は先生に怒られてもいいけど、柳さんと及川さんにも迷惑がかかるよね。 「じゃあ、お客さんとしてなら入っていいですか」 「それも無理です」 「何でですか?」 「ランチタイムは終わってしまいましたから」  まさかの門前払い?  このまま帰りたくない。  ここに居たい。 「意地悪してんじゃねーよ及川。別にいいだろ。元はと言えばお前が彼女を連れて来たんだぜ」  いつの間にか私の後ろに立ってた柳さんが助け舟を出してくれた。  及川さんは少しの間、黙ってたけど諦めたのか、扉を開けて私を待つ。 「……ありがとうございます!」  賑わいの余韻が残る店内。  テーブルにはまだ、使い終わったお皿やグラスが置いてある。 「悪いな凛ちゃん。今、片付けるから」 「手伝います」 「いいって。その辺に座ってて」 「手伝わせてください」  そう言って腕捲りしたら、柳さんは渋々頷く。 「手伝って貰って悪いけど、給料は払えねーから」 「わかってます」 「だから、現物支給な」 「……え?」 「甘いもん好きか」 「はい」 「契約成立。じゃ、ちゃっちゃと片付けるか」 「……はい」  不慣れな私は慎重にお皿を運ぶ。  私が1つ運ぶ間に、及川さんと柳さんは10枚くらい片付けてた。  なんか、ほとんど戦力になれてない。  及川さんはお皿を洗うのも早い。  雑な訳じゃなく、きちんと綺麗に洗ってるのに早い。  水切りかごに並べられて行くお皿を拭いたけど間に合わない。  ……私ってこんなに役立たずなんだ。  怒涛の片付けを終えて、柳さんは私をテーブル席に座らせた。 「お疲れ」 「……はい」 「なに落ち込んでんだよ」 「私、何の役にも立ちませんでした」 「猫よりは役に立ったぜ」  猫と比べられても。私、人間だし。 「初めてなんだから仕方ねーよ。みんな通る道だ」 「柳さんもですか?」 「俺なんかもっと酷かったぜ。及川に叱られてばっかで」 「……経営者なのに?」 「何ひとつ及川に勝てねえんだよな。あいつ、何させても完璧だから」  そうか。柳さんも大変なんだ。  そういえば及川さんの姿が見えない。  キョロキョロしてたら柳さんが笑ってた。 「……何かおかしかったですか」 「いや、別に」 「言ってください。気になります」 「親鳥を待ってる雛みたいで可愛いな、って思ってさ」 「……からかわないでください」  子供だと思ってバカにして。 「悪い悪い。あ、来た」  柳さんの視線の先。  カウンター奥の厨房から及川さんが出て来た。  手にはパフェ。  全体の色味は白と茶色で、大人の雰囲気。  及川さんはそれを、無言で私の前に置いた。 「うちの名物。さ、食ってくれ」  柳さんが得意気に笑う。  もしかして……これが現物支給の甘いもの?  何となく及川さんの顔色を窺う。  彼、あまり乗り気じゃなさそう。  食べていいのかな。 「及川。あっち行ってろよ。凛ちゃん食べにくいだろ」 「あ……私は大丈夫です。いただきます」  長いスプーンでバニラアイスを掬って口に運ぶ。  思ってたより甘くない。  その下は練乳と氷の層。  こちらも甘さ控えめ。  これなら全部食べられそう。 「美味いだろ」 「はい」 「良かったな、及川」  柳さんに声を掛けられた及川さんは、何故か複雑な表情をしてた。  何でだろう。  私のこと嫌いなのかな。 「あー、違う。逆だよ」 「……え?」 「及川、誰かが幸せそうにパフェ食べてる姿が大好きでさ」 「……そうなんですか?」 「それが、お気に入りの可愛い女の子なら尚更。テンション上がってどーしようもねーんだよ。な?」  私はもう一度、及川さんを見る。  相変わらず肯定も否定もしない。  たぶん、どう反応しても柳さんが面白がるから。  無反応なんだと思った。  2人は夜営業の準備をしてる。  私は邪魔になるだけだから手伝わなかった。  日が傾く。  居心地が良くて帰りたくなかった。  帰っても誰も居ないし。  でも帰らない訳にも行かないから、お礼を言って店を出た。  緑の小路にはガス灯みたいなオレンジ色の照明が並んでる。  綺麗だな、なんて見上げながら歩いてたら後ろから足音がした。  及川さんか柳さんかな。どうしたんだろ。  立ち止まって振り向こうとした瞬間、背後から伸びた手が私の口を塞ぐ。  何が起きたか分からなかった。  気づいたら誰かが私に抱き着いてて、生暖かい息が耳にかかってて。  怖くて、何も出来なかった。  その人は私の身体を引き摺るようにして、灯りの届かない木々の間へ連れて行く。  太ももを撫でられる感覚に寒気がした。  ……気持ち悪い。  嫌悪感に吐き気がする。  もう口は塞がれていない。  だから叫ぶことも出来るのに。  私は助けを呼べなかった。 「……何をしている!」  刺すように鋭い怒声が聞こえた。  解放された私はその場に力無く座り込む。  すぐ横を駆け抜ける足音。  走り去るバイクのエンジン音。  静寂を取り戻した小路。  身体が震えてる。涙が零れてた。  ぼやけた視界。  私が忘れた傘を持った及川さんが、心配そうに見つめてた。  及川さんは立ち上がれない私を抱き上げて店に戻る。  柳さんは何も聞かなかった。  でも全部分かってるみたいで外に出て、少しして戻ったと思ったら扉の鍵を閉める。  これから夜の営業時間なのに。  私はまた、彼らに迷惑をかけた。 「……ごめんなさい」 「どうして謝るんですか?」 「……お仕事の邪魔して」  及川さんは私をカウンターの椅子に座らせた。  俯く私の顔を下から覗き込んで、優しく微笑む。 「気にしなくていいですよ。これも仕事の範疇です」  彼の言っている意味が分からなかった。 「どちらかと言うと、店が副業なので」  ……どういうことだろう。 「及川。バイクの車種コレで合ってるか?」 「あぁ。間違いない」  二人はメモを見て話してた。  さっきのバイクの……?何で分かるの? 「了解。じゃ、犬に張らせる」 「甲斐(かい)は犬じゃない」 「犬だろ。お前の忠犬」  そう言って柳さんは犬の真似をしてた。 「ふざけてないでさっさと連絡しろ」 「へぇへぇ」  気のせいかな。なんか2人とも、凄く生き生きしてる。 「凛さん」 「……はい」 「今夜は泊まって行ってください」  この状況で誰も居ない家に帰るのは死んでも嫌だった。  だから私は、及川さんの申し出を素直に受け入れた。 ◆  喫茶店の裏には二階建ての古い日本家屋があった。  二つの建物は渡り廊下で繋がってる。  そこは柳さんの家。  及川さんは二階の一室に居候してるらしい。  私が案内されたのは二階の一番奥の部屋。  中に入って驚いた。  まるでホテルみたいで。  綺麗に整えられたシングルベッドが2つ。  ユニットバスもあるし、アメニティまで揃ってる。 「他に必要なものがあったら遠慮なく言ってください」 「……はい」 「窓が小さくて窮屈かもしれないですが」 「……大丈夫です。むしろ安心です」 「私が出たら扉の鍵を閉めてください」 「え……」  一緒に居てくれないの?  そう思ったけど、これ以上は甘えられない。 「……わかりました」 「凛さん」 「はい」 「いつも、いい子で居ようとしていますか?」  見透かされてドキリとする。  忙しい両親を困らせたくなくて。  寂しくても我儘を言わずに我慢してる。  さっきだって。  大声を出せば及川さんと柳さんが助けに来てくれたかもしれないのに。  自分のことより私は、彼らに迷惑をかけたくないと思ってしまった。 「誰かに頼れない気持ちも分かります。でも。辛い時は助けを求めてください。私は全力で応えます」  そんなこと言われたら……。  私は震える指先で、及川さんのワイシャツを掴んだ。 「……及川さん」 「何でしょう」 「傍に……居てくれませんか?」  頼ることには慣れてなくて。  声まで震えてた。  彼の顔が見れなかった。  温かくて大きな手が私の手を握る。  そして彼は、穏やかな声で言った。 「かしこまりました」  ……そうか。  きっと今までも、及川さんと柳さんは困っている人を護り助けて来た。  ここは、その為の部屋なのだと理解した。 ◆  気づいたら朝だった。  久しぶりによく寝た気がする。 「おはようございます」  声を掛けられて飛び起きた。  ……そうだ。ここは家じゃない。  及川さんは隣のベッドに腰掛けて本を読んでる。  及川さん……だよね?  黒いロングTシャツを着て前髪を下ろしてるから違う人みたい。  若く見えて、これはこれでカッコいい。  ……え?もしかして本当に一晩中、傍に居てくれたの?  嬉しさと恥ずかしさが入り交じって彼の顔が見れない。 「ゆっくり休めましたか?」 「……はい」  何気なく壁の時計に目をやったら、9時過ぎだった。  ……学校は?今日まだ平日だよね。 「学校へは体調不良で休むと連絡してあります」 「……そうですか。ありがとうございます」 「店も休みですし。私が傍に居ますから安心してください」  確かお店の入口に【不定休】って書いてあったけど。  もしかして、私の為に休んだのかな。  だとしたら申し訳ない。 「大丈夫ですよ。昨日も言いましたが、店は副業なので」 「……本業は何なのか、聞いてもいいですか?」 「殺し屋です」  あまりに軽く言うから聞き間違いかと思った。  それか、冗談だと。 「正確に言えば私と柳は元・殺し屋です。以前は組織に所属して要人を暗殺していました。今は組織の下請けで、主に民間人の護衛と原因の除去を請け負っています」  小説とか漫画とか、映画の世界の話みたい。  でも。今、私が置かれている状況は。  彼の話が真実だと裏付けてた。 「ですから。凛さんは何も考えずに過ごしてください」 「何も……?」 「全て私たちにお任せを」  よく分からなかったけど。  私は小さく頷いた。 ◆  及川さんに連れられて一階に下りる。  現代的にリフォームされたLDK。  大きなソファには柳さんが座ってて、私を見てニヤニヤしてた。 「おはよう凛ちゃん」 「……おはようございます」 「どうだった?」 「ゆっくり休めました。ありがとうございます」 「ちげーよ。及川のことだよ」 「及川さん?」  何の話だろ。  柳さんは私との会話を諦めて及川さんに視線を向けた。 「何だ。やってねーのか及川」 「高校生にセクハラするな、柳」 「まあさすがに犯罪だよな。現役女子高生に手ぇ出したら」  ようやく柳さんの言葉の意味を理解して、私は頬が熱くなった。  ……そうだよね。私、及川さんと同じ部屋で一夜を過ごした。  そういうことがあったかもしれないんだ。 「おはようございます!及川さん!」  キッチンから走って来たのはスーツにエプロン姿の若い男性だった。  日本人っぽくない顔立ち。かなりのイケメン。 「あぁ。来てたのか甲斐」
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

20人が本棚に入れています
本棚に追加