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……甲斐さん。って、もしかして柳さんが【犬】って言ってた人?
確かに大型犬っぽい雰囲気がある。
「及川さんに呼ばれたら何時でも来ます!何でもします!」
「俺は呼んでない」
「……え?そうなんですか?」
甲斐さんは叱られた犬みたいに落ち込んでる。
「あー、俺が呼んだ。及川の名前で」
「またですか柳さん!僕を騙したんですね!」
「何度も騙される方が悪い。少しは学習しろ駄犬」
「今度こそは本当に及川さんだと思ったのに!」
甲斐さん、及川さんのこと大好きなんだって。
出会ったばかりだけど分かる。
甲斐さんが私を見る。
綺麗な緑色の瞳。
アイドル顔負けのモテ顔。
あまりに凝視するから恥ずかしくなった。
「……似てる」
「……え?」
「この子、環に似てますよね」
甲斐さんの言葉に、柳さんの顔から笑みが消えた。
けど、それは一瞬で。
すぐにいつもの調子に戻る。
「あー、そっか。環か。誰かに似てると思ったんだよ凛ちゃん」
環さん、って誰なんだろう。
「いつも女の子にはベタベタに優しいだけの及川が、凛ちゃんに対しては妙に突き放した態度で。おかしいと思ったら。そっか。そういうことか」
もしかして……環さんは及川さんの大切な人……?
「そんなに似てますか……?」
私は及川さんに聞く。
きっとまた、彼は肯定も否定もしないだろう。
「……はい」
予想に反して。及川さんはハッキリとした口調で認めた。
「すみません。凛さん。私は貴女に彼女を重ねました。そして深入りしてはいけないと、思ってしまいました」
環さんは今も、及川さんの心の中に居て。
きっと彼の愛情を独り占めしてて。
私は嫉妬した。
「……私を助けてくれるのは、環さんに似てるからですか?」
「それは違います」
「ですよね。私なんかじゃ代わりになりませんよね」
及川さんはまた、悲しい顔をした。
柳さんは甲斐さんを引っ張って部屋を出て行く。
及川さんと二人きりになった。
なのに、全然嬉しくない。
「凛さん。昔話を聞いて貰えますか」
「……聞きたくありません」
「お願いします」
及川さんは頭を下げた。
……どうしてそこまでするの?私のことなんか興味無いくせに。
「環は私の、仕事のパートナーでした」
「え……仕事?」
「それ以上の関係はありません」
……嘘。恋人とか、奥さんじゃないの?
「環とは短い間ですが共に暮らして。たくさんの幸せを貰いました」
そう語る及川さんは穏やかな表情で。
本当に、かけがえの無い日々だったんだろうな。
「そんな彼女を私は。この手で殺しました」
言葉を失う私に及川さんは淡々と、【その時】のことを語った。
ある冬の日。
環さんは及川さんに、近々結婚すると報告した。
それまでは歳の離れた環さんを娘のように思っていたけど。
本心では女性として見ていたことに、及川さんは気づいてしまった。
及川さんの中に醜い嫉妬の感情が芽生えて。
冷静さを失って。
ターゲットに向けて撃った筈の銃弾は、環さんの左胸を貫通した。
話を聞いただけなのに私は涙を流していた。
及川さんは微笑んで、指先で私の涙を拭う。
及川さんに辛いことを思い出させてしまった。
酷いことをしてしまった。
「すみません。こんな話、聞きたくなかったですよね」
謝らなければいけないのは私の方なのに。
「一度は死ぬことも考えました。でも今は、生きて誰かを救うことが環への償いになると思っています」
「だから……私を助けてくれたんですね」
「それだけではありませんけどね」
「他に理由があるんですか?」
及川さんの指が私の頬に触れる。
戸惑う私に及川さんは、顔を寄せて言った。
「私は若くて可愛い女の子が大好きなので」
「……へ?」
「冗談です」
そう笑って、及川さんは離れて行く。
……びっくりした。キスされるかと思った。
嫌じゃない、と思っている自分にまた驚く。
昨日のこともあって、男の人に触られるの怖いのに。
及川さんなら平気だった。
でもダメ。絶対に。
お父さんより歳上の人を好きになるなんて。
お母さん泣くから。
「話は済んだかー?」
タイミング良く柳さんが戻って来た。
甲斐さんも一緒だったけど、何か視線が怖い。
もしかしてライバル視されてる?
「じゃ、ちょっと真面目に話すか」
柳さんに促されて全員、ソファに座った。
「凛ちゃん。これから今回の一件について話すけど、しんどかったら言えよ」
「……はい」
私は当事者だ。逃げたくない。
「凛ちゃんを襲った野郎の正体は突き止めてる」
「え……」
たった一晩で?どうやって?
私の気持ちを察した及川さんが補足してくれる。
「走り去ったバイクのテールランプのデザイン。更にエンジン音とタイヤ痕で確実に車種を絞りました。それから現場に落ちていた大量の煙草の吸殻。あの小路は私が毎日掃除しています。犯人が凛さんを待ち伏せする間に捨てたものと思われます。そこから銘柄が分かりました」
「……そうなんですか」
でも。それだけで簡単に絞り込めるものなの?
更に甲斐さんが続ける。
「君のことだけ狙ってるってことは知り合いの可能性が高い。だから君の周辺の人物から条件に当てはまる人を探した」
……私が知ってる人?
全く心当たりが無かった。
私は地味だし目立たない。
成績も良くも悪くも無い。
恨みを買うようなこともしてない……はず。
「で。どうする凛ちゃん」
「……どうすればいいんですか?」
「俺が聞いてんだよ」
聞かれても分からない。
とりあえず誰が犯人かは知りたいけど。
「我々は貴女を助けて保護をして、犯人を突き止めました」
「……はい。ありがとうございます」
「初回なので、ここまでは無料です」
……お金。考えてなかった。
そうだよね。彼らはボランティアじゃなくてお仕事なんだ。
どうしよう。私のお小遣いじゃ絶対に足りない。
怖くて値段聞けない。
「凛ちゃん可愛いから全部無料でもいいんだけどさ」
「いえ、ダメです。お仕事なんですから。きちんと取ってください」
「疑わねーの?」
「何をですか?」
「俺たちと犯人、グルかもしんねーとか」
……言われてみれば。騙されている可能性もあるけど。
「……騙されててもいいです」
私が言ったら、みんな驚いた顔をした。
「騙されてても、ここに居たいです」
彼らの優しさが演技だとしても。
私は甘えたかった。
柳さんは複雑な表情で頭をかく。
「……そこまで言われたら仕方ねーな。犯人の素性までは無料でいいや」
「柳。それはルール違反だ」
「雇われは黙ってろ及川」
何だか険悪な雰囲気になる及川さんと柳さんにオロオロしてたら、甲斐さんが私に大きな封筒を渡した。
「この中に犯人の情報と料金表が入ってるから」
「……ありがとうございます」
いいのかな。甲斐さん、及川さんに逆らうようなことして。
「後は君がどうするか決めて。僕たちはそれに従う」
「……はい」
私は二階のホテルみたいな部屋に戻された。
一人きりで考えた方がいいから、って。
ベッドに座り大きく深呼吸をする。
それから意を決して封筒を開いた。
◆
「なぁ、凛ちゃん」
その日の午後。
明日の営業の準備の為、喫茶店の厨房で玉ねぎの皮剥きを手伝っている私を、柳さんは申し訳無さそうに見てる。
「何ですか?」
「ホントにいいのか?俺たち何もしなくて」
「はい」
「依頼料は分割でも出世払いでもいいんだぜ」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
「及川からも何か言えよ」
タルタルソースを作っている及川さんは、背中を向けたまま言った。
「彼女が決めたことだ。俺たちは従うのみ」
「冷てーの」
「相手が誰だか分かったので。気をつけます」
「ここに居れば安全だけどな。学校はどーすんだ」
「明日から行きます」
「大丈夫か?」
「はい」
「家には戻んのか」
「はい。これが終わったら帰ります。お世話になりました」
柳さんは、まだ何か言いたそうだ。
心配してくれて嬉しかった。
けど、いつまでも甘えていられない。
依頼料はプランによって違ったけど。
一番安いのでも、高校生の私に払える金額じゃなかった。
私が気をつければ済む話だし。
どうしても困ったら警察に相談すればいい。
休業中の店の扉を叩く音がする。
柳さんが文句を言いながら対応に行った。
カウンター越しに見てたら柳さんが扉を開く。
お客さんか、知り合いの人かな。
訪ねて来た人物の顔を見た私は、慌ててカウンターの下に隠れた。
「お休みの日にすみません。こちらのうちの生徒が出入りしていると聞きまして」
担任の先生。
出入りしてる生徒って……私のことだよね。
どうしよう。怒られる。
「もしかして、そこの私立高校の?」
「はい」
「何か問題ありましたかね。ウチは真っ当な喫茶店ですけど」
「客ではなく店員として働いているんじゃないですか?」
「ソレは無いですよ。お宅の学校、アルバイト禁止なの知ってますし」
「彼女の自宅を訪ねたけど留守なんですよ。今朝の電話もこちらのお店から頂いてましたよね」
家……行ったんだ、先生。
柳さんは面倒くさそうにしてて。
申し訳ない。
「あー。確かにウチで彼女を預かってます。先生もご存知の通り、あの子ひとり暮らししてるでしょ。具合が悪くても誰も面倒見てくれないから」
「失礼ですが。彼女とはどういったご関係で?」
「親鳥と雛みたいなモンですよ」
「……ふざけないでください。私は今井を連れ戻しに来ました。早く渡してください」
「連れてってどーすんですか」
「私が預かります」
心臓が張り裂けそうなくらい鳴っている。
先生は学校の人気者で。いつも女の子たちに囲まれてて。
私は遠くから眺めてた。
先生は私なんか見てくれないから。
成績も良くないし美人じゃないし。
釣り合わないから。
だから。
先生が私を襲った犯人なんて有り得ない。
きっと柳さんたちの勘違いだ。
今だって先生は私を心配して迎えに来てくれたんだから。
何にせよ。これ以上、ここには居られない。
私はお金も払えないし何の役にも立たない。
迷惑な存在だ。
厨房を出ようとする私の手が及川さんに掴まれた。
「……行くな、凛」
彼は敬語じゃなくなってて。
名前も、呼び捨てにされて。
後ろから抱き締められるのと同時に、心の距離も無くなってた。
……ズルい。
こんなことされたら、また頼りたくなる。
甘えてしまいそうになる。
及川さんは私を、痛いくらい強く抱き締めて。
耳元で、何度も同じ言葉を繰り返してた。
「行かないでくれ……」
私を通して環さんに言ってる。
そう感じてしまって、泣きたくなった。
「今井!居るんだろ?先生と一緒に帰ろう」
「まぁ落ち着いてくださいよ先生」
「あなたと話しても埒が明かない。今井を出してください」
……柳さん困ってる。
どうにかしなくちゃ。
「……及川さん。私、行かないと」
「駄目だ」
「これ以上、迷惑かけたくありません」
ずっとこうして居たかったけど。
我儘は許されないから。
「これは俺の我儘だ」
「……え?」
「お前を誰にも渡したくない」
及川さんは私を強引に振り向かせて。
今度は本当にキスしようとする。
私は頭が真っ白になった。
「……初めてか?」
及川さんが聞く。
何で分かるの?
「身体が、有り得ないくらいに強ばってる」
緊張が伝わってた。
不慣れなのバレバレで恥ずかしい。
「初めて、だな」
「……仰る通りです」
「分かった」
そう言って及川さんは、唇じゃなくて頬にキスした。
「……なんで」
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