喫茶 エス・コート

3/5
前へ
/5ページ
次へ
 ……甲斐さん。って、もしかして柳さんが【犬】って言ってた人?  確かに大型犬っぽい雰囲気がある。 「及川さんに呼ばれたら何時でも来ます!何でもします!」 「俺は呼んでない」 「……え?そうなんですか?」  甲斐さんは叱られた犬みたいに落ち込んでる。 「あー、俺が呼んだ。及川の名前で」 「またですか柳さん!僕を騙したんですね!」 「何度も騙される方が悪い。少しは学習しろ駄犬」 「今度こそは本当に及川さんだと思ったのに!」  甲斐さん、及川さんのこと大好きなんだって。  出会ったばかりだけど分かる。  甲斐さんが私を見る。  綺麗な緑色の瞳。  アイドル顔負けのモテ顔。  あまりに凝視するから恥ずかしくなった。 「……似てる」 「……え?」 「この子、(たまき)に似てますよね」  甲斐さんの言葉に、柳さんの顔から笑みが消えた。  けど、それは一瞬で。  すぐにいつもの調子に戻る。 「あー、そっか。環か。誰かに似てると思ったんだよ凛ちゃん」  環さん、って誰なんだろう。 「いつも女の子にはベタベタに優しいだけの及川が、凛ちゃんに対しては妙に突き放した態度で。おかしいと思ったら。そっか。そういうことか」  もしかして……環さんは及川さんの大切な人……? 「そんなに似てますか……?」  私は及川さんに聞く。  きっとまた、彼は肯定も否定もしないだろう。 「……はい」  予想に反して。及川さんはハッキリとした口調で認めた。 「すみません。凛さん。私は貴女に彼女を重ねました。そして深入りしてはいけないと、思ってしまいました」  環さんは今も、及川さんの心の中に居て。  きっと彼の愛情を独り占めしてて。  私は嫉妬した。 「……私を助けてくれるのは、環さんに似てるからですか?」 「それは違います」 「ですよね。私なんかじゃ代わりになりませんよね」  及川さんはまた、悲しい顔をした。  柳さんは甲斐さんを引っ張って部屋を出て行く。  及川さんと二人きりになった。  なのに、全然嬉しくない。 「凛さん。昔話を聞いて貰えますか」 「……聞きたくありません」 「お願いします」  及川さんは頭を下げた。  ……どうしてそこまでするの?私のことなんか興味無いくせに。 「環は私の、仕事のパートナーでした」 「え……仕事?」 「それ以上の関係はありません」  ……嘘。恋人とか、奥さんじゃないの? 「環とは短い間ですが共に暮らして。たくさんの幸せを貰いました」  そう語る及川さんは穏やかな表情で。  本当に、かけがえの無い日々だったんだろうな。 「そんな彼女を私は。この手で殺しました」  言葉を失う私に及川さんは淡々と、【その時】のことを語った。  ある冬の日。  環さんは及川さんに、近々結婚すると報告した。  それまでは歳の離れた環さんを娘のように思っていたけど。  本心では女性として見ていたことに、及川さんは気づいてしまった。  及川さんの中に醜い嫉妬の感情が芽生えて。  冷静さを失って。  ターゲットに向けて撃った筈の銃弾は、環さんの左胸を貫通した。  話を聞いただけなのに私は涙を流していた。  及川さんは微笑んで、指先で私の涙を拭う。  及川さんに辛いことを思い出させてしまった。  酷いことをしてしまった。 「すみません。こんな話、聞きたくなかったですよね」  謝らなければいけないのは私の方なのに。 「一度は死ぬことも考えました。でも今は、生きて誰かを救うことが環への償いになると思っています」 「だから……私を助けてくれたんですね」 「それだけではありませんけどね」 「他に理由があるんですか?」  及川さんの指が私の頬に触れる。  戸惑う私に及川さんは、顔を寄せて言った。 「私は若くて可愛い女の子が大好きなので」 「……へ?」 「冗談です」  そう笑って、及川さんは離れて行く。  ……びっくりした。キスされるかと思った。  嫌じゃない、と思っている自分にまた驚く。  昨日のこともあって、男の人に触られるの怖いのに。  及川さんなら平気だった。  でもダメ。絶対に。  お父さんより歳上の人を好きになるなんて。  お母さん泣くから。 「話は済んだかー?」  タイミング良く柳さんが戻って来た。  甲斐さんも一緒だったけど、何か視線が怖い。  もしかしてライバル視されてる? 「じゃ、ちょっと真面目に話すか」  柳さんに促されて全員、ソファに座った。 「凛ちゃん。これから今回の一件について話すけど、しんどかったら言えよ」 「……はい」  私は当事者だ。逃げたくない。 「凛ちゃんを襲った野郎の正体は突き止めてる」 「え……」  たった一晩で?どうやって?  私の気持ちを察した及川さんが補足してくれる。 「走り去ったバイクのテールランプのデザイン。更にエンジン音とタイヤ痕で確実に車種を絞りました。それから現場に落ちていた大量の煙草の吸殻。あの小路は私が毎日掃除しています。犯人が凛さんを待ち伏せする間に捨てたものと思われます。そこから銘柄が分かりました」 「……そうなんですか」  でも。それだけで簡単に絞り込めるものなの?  更に甲斐さんが続ける。 「君のことだけ狙ってるってことは知り合いの可能性が高い。だから君の周辺の人物から条件に当てはまる人を探した」  ……私が知ってる人?  全く心当たりが無かった。  私は地味だし目立たない。  成績も良くも悪くも無い。  恨みを買うようなこともしてない……はず。 「で。どうする凛ちゃん」 「……どうすればいいんですか?」 「俺が聞いてんだよ」  聞かれても分からない。  とりあえず誰が犯人かは知りたいけど。 「我々は貴女を助けて保護をして、犯人を突き止めました」 「……はい。ありがとうございます」 「初回なので、ここまでは無料です」  ……お金。考えてなかった。  そうだよね。彼らはボランティアじゃなくてお仕事なんだ。  どうしよう。私のお小遣いじゃ絶対に足りない。  怖くて値段聞けない。 「凛ちゃん可愛いから全部無料でもいいんだけどさ」 「いえ、ダメです。お仕事なんですから。きちんと取ってください」 「疑わねーの?」 「何をですか?」 「俺たちと犯人、グルかもしんねーとか」  ……言われてみれば。騙されている可能性もあるけど。 「……騙されててもいいです」  私が言ったら、みんな驚いた顔をした。 「騙されてても、ここに居たいです」  彼らの優しさが演技だとしても。  私は甘えたかった。  柳さんは複雑な表情で頭をかく。 「……そこまで言われたら仕方ねーな。犯人の素性までは無料でいいや」 「柳。それはルール違反だ」 「雇われは黙ってろ及川」  何だか険悪な雰囲気になる及川さんと柳さんにオロオロしてたら、甲斐さんが私に大きな封筒を渡した。 「この中に犯人の情報と料金表が入ってるから」 「……ありがとうございます」  いいのかな。甲斐さん、及川さんに逆らうようなことして。 「後は君がどうするか決めて。僕たちはそれに従う」 「……はい」  私は二階のホテルみたいな部屋に戻された。  一人きりで考えた方がいいから、って。  ベッドに座り大きく深呼吸をする。  それから意を決して封筒を開いた。 ◆ 「なぁ、凛ちゃん」  その日の午後。  明日の営業の準備の為、喫茶店の厨房で玉ねぎの皮剥きを手伝っている私を、柳さんは申し訳無さそうに見てる。 「何ですか?」 「ホントにいいのか?俺たち何もしなくて」 「はい」 「依頼料は分割でも出世払いでもいいんだぜ」 「ありがとうございます。でも、大丈夫です」 「及川からも何か言えよ」  タルタルソースを作っている及川さんは、背中を向けたまま言った。 「彼女が決めたことだ。俺たちは従うのみ」 「冷てーの」 「相手が誰だか分かったので。気をつけます」 「ここに居れば安全だけどな。学校はどーすんだ」 「明日から行きます」 「大丈夫か?」 「はい」 「家には戻んのか」 「はい。これが終わったら帰ります。お世話になりました」  柳さんは、まだ何か言いたそうだ。  心配してくれて嬉しかった。  けど、いつまでも甘えていられない。  依頼料はプランによって違ったけど。  一番安いのでも、高校生の私に払える金額じゃなかった。  私が気をつければ済む話だし。  どうしても困ったら警察に相談すればいい。  休業中の店の扉を叩く音がする。  柳さんが文句を言いながら対応に行った。  カウンター越しに見てたら柳さんが扉を開く。  お客さんか、知り合いの人かな。  訪ねて来た人物の顔を見た私は、慌ててカウンターの下に隠れた。 「お休みの日にすみません。こちらのうちの生徒が出入りしていると聞きまして」  担任の先生。  出入りしてる生徒って……私のことだよね。  どうしよう。怒られる。 「もしかして、そこの私立高校の?」 「はい」 「何か問題ありましたかね。ウチは真っ当な喫茶店ですけど」 「客ではなく店員として働いているんじゃないですか?」 「ソレは無いですよ。お宅の学校、アルバイト禁止なの知ってますし」 「彼女の自宅を訪ねたけど留守なんですよ。今朝の電話もこちらのお店から頂いてましたよね」  家……行ったんだ、先生。  柳さんは面倒くさそうにしてて。  申し訳ない。 「あー。確かにウチで彼女を預かってます。先生もご存知の通り、あの子ひとり暮らししてるでしょ。具合が悪くても誰も面倒見てくれないから」 「失礼ですが。彼女とはどういったご関係で?」 「親鳥と雛みたいなモンですよ」 「……ふざけないでください。私は今井を連れ戻しに来ました。早く渡してください」 「連れてってどーすんですか」 「私が預かります」  心臓が張り裂けそうなくらい鳴っている。  先生は学校の人気者で。いつも女の子たちに囲まれてて。  私は遠くから眺めてた。  先生は私なんか見てくれないから。  成績も良くないし美人じゃないし。  釣り合わないから。  だから。  先生が私を襲った犯人なんて有り得ない。  きっと柳さんたちの勘違いだ。  今だって先生は私を心配して迎えに来てくれたんだから。  何にせよ。これ以上、ここには居られない。  私はお金も払えないし何の役にも立たない。  迷惑な存在だ。  厨房を出ようとする私の手が及川さんに掴まれた。 「……行くな、凛」  彼は敬語じゃなくなってて。  名前も、呼び捨てにされて。  後ろから抱き締められるのと同時に、心の距離も無くなってた。  ……ズルい。  こんなことされたら、また頼りたくなる。  甘えてしまいそうになる。  及川さんは私を、痛いくらい強く抱き締めて。  耳元で、何度も同じ言葉を繰り返してた。 「行かないでくれ……」  私を通して環さんに言ってる。  そう感じてしまって、泣きたくなった。 「今井!居るんだろ?先生と一緒に帰ろう」 「まぁ落ち着いてくださいよ先生」 「あなたと話しても埒が明かない。今井を出してください」  ……柳さん困ってる。  どうにかしなくちゃ。 「……及川さん。私、行かないと」 「駄目だ」 「これ以上、迷惑かけたくありません」  ずっとこうして居たかったけど。  我儘は許されないから。 「これは俺の我儘だ」 「……え?」 「お前を誰にも渡したくない」  及川さんは私を強引に振り向かせて。  今度は本当にキスしようとする。  私は頭が真っ白になった。 「……初めてか?」  及川さんが聞く。  何で分かるの? 「身体が、有り得ないくらいに強ばってる」  緊張が伝わってた。  不慣れなのバレバレで恥ずかしい。 「初めて、だな」 「……仰る通りです」 「分かった」  そう言って及川さんは、唇じゃなくて頬にキスした。 「……なんで」
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

20人が本棚に入れています
本棚に追加