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2.
それからぼくは、ちょくちょく北王大学に顔を出すようになった。
あの日話しかけてきた男の人(名前はいまだに聞いてない。ハカセだって言ってたから、ハカセって呼んでる)は、講義や実験の合間に、工学部棟の外の喫煙所に現れる。
だからその前で待っていれば、ハカセに会えるんだ。
「また来たのかよ、少年」
ハカセはぼくを、『少年』とか『おまえ』と呼ぶ。
向こうも、ぼくの名前を聞いてこない。名前どころか、何歳かとか、なんで学校に行かないのかとか、親は心配してないのかとか、そういうことも聞いてこない。
ただひたすら、研究の話とか、実験の話とか、最近の学生にはついていけない……みたいなグチとかを、ぼくは夢中になって聞いていた。
「ハカセ。昨日言ってた実験は、上手くいったの?」
「いやあ、それがなあ。レーザーの調子が悪くて、そもそも実験ができなかった」
「何それ」
クスクスとぼくが笑うと、ハカセはフッと目を細める。
ハカセの専門は、物理学──中でも、光を使う学問らしかった。
『光を使って、宇宙の見えないものを見る』
そんなふうにハカセは言っていたけど、ぼくにはよく分からない。
分からないけど、ハカセが宇宙について語るのを聞くのは、すごくワクワクして楽しかった。
「少年。宇宙人はいると思うか?」
「えー……いないんじゃない?」
「なんでそう思う?」
「なんでって……だって、誰も見たことないんでしょ? 幽霊とかと同じ、人間が想像した存在ってことじゃん」
「なるほど、確かにそれはそのとおり」
ハカセはくっくっと楽しそうに笑う。
ハカセはいつも、ぼくの言うことを否定したりはしなかった。
──そしてそれは、初雪の降った翌日のことだった。
その日の昼、ぼくは大学に行かなかった。
でも夜になってから、もしかしたらハカセに会えるかもしれない、と思って、暗くなった大学に初めて忍び込んだ。
街灯がぽつぽつと灯った、人気のない真っ直ぐな道を、工学部目指して歩いていたとき。
「少年」
前から歩いてきたハカセは、ひどく驚いた顔で、ぼくを呼んだ。
ハカセはまっ黒なダウンジャケットを着こんでいたけど、慌てたように脱いで、ぼくに着せてきた。
ぼくの全身をすっぽり覆ってしまうそのダウンジャケットは、タバコの臭いがしみついていたけど、すごく温かかった。
「前に、遅くまで大学にいるって言ってたから……来てみたんだ。よかった、会えて」
「……おまえ」
ハカセは何かを言いかけたけど、結局何も言わなかった。
その腫れたほっぺはどうしたとか、なんで裸足なのかとか、いろいろ聞かれるかと思ったけど、ハカセは何も聞かなかった。
「ハカセは……」
言うべきじゃないって分かっていたのに、ぼくの口は止まらなかった。
「ハカセは、人を殺したいって思ったこと、ある?」
ぼくの質問に、ハカセはなぜか、泣きそうな顔をした。
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