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 それからも僕は、大学で勉強に打ち込んだ。  どうしても気になって、工学部棟近くの喫煙所の様子を伺ったこともあったが、そこにハカセが現れることはなかった。  さっさと研究室へ会いにいってもよかったのだが、僕はそれをしなかった。  なんとなく、研究室に配属される日まで、行くべきではないと思っていたのだ。  何人もの同期が留年や休学で減っていく中。 僕は四年生になり、希望通りの研究室への配属が決まった。  そして迎えた、配属初日。  朝からろくに食べられず、吐きそうなくらい緊張しながら、たくさんの研究室が並ぶ古くて暗い廊下を歩いた。  ──ここだ。  ドアプレートの名前と、ずっと大事に持っていたメモの文字を、何度も見比べる。 『天文光学研究室』  ノックしようとした手が震える。  ついに、ついに、僕はここまで来た。  しかし、僕が扉をノックすることはなかった。  中から、ガチャリと扉が開けられたのだ。  出てきた若い女性は、僕を見てギョッとしたようにあとずさった。 「な、何か御用ですか?」  しまった。ハカセの名前を、僕は知らない。 「すみません、あの……会いたい人がいて」 「はあ……誰でしょうか。取り次ぎましょうか?」 「えっと……タバコ吸ってる人……確か、理学博士で……あ、というか僕、今日からここに……」  しどろもどろになる僕を、その女性は不審そうに見上げてくる。 「タバコ? タバコ吸う人は、うちの研究室にはいないはずだけど……」  ──耳を疑った。  研究室を間違えた? ウソをつかれた? 別の大学に異動した?  それとも、まさか、亡くなってしまったとか──。 「どうした?」 「ああ、教授。ちょっと、よく分からないのですが……うちの研究室、タバコ吸ってる子いませんよね? 喫煙者を探してるみたいですけど」  部屋の奥から、背の高い中年の男性が歩いてきた。  ノーネクタイの、第三ボタンまで開いたワイシャツ。足元は、水色のクロックス。  はおっている高そうなジャケットが、なんだか不釣り合いだ。  髪には、白髪が混ざり始めている。顔のシワも増えた。 「………………」  僕は、言葉が出なかった。  用意していた挨拶は全部、頭から吹っ飛んでいた。 「喫煙者? まあ俺、昔は吸ってたけどなあ……」  訝しげに近づいてきたその教授は、僕を見て息を飲んだ。  そしてすぐに、唇の端を持ちあげて、ニヤリと笑った。 「頑張ったな。少年」  笑顔で再会したかったのに、そう呼ばれた瞬間、涙が溢れた。
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