【 透 】

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 紗和とは、大学時代から付き合って六年。  彼女の性格はよく知っており、当然、こんな愚行をする女性ではない。  羽虫に似た高音が鼓膜で鳴る。招待客の啜り泣きが耳障りだ。  一秒が一分にも五分にも思える。  無言が長引けば長引くほど、時間はうねって粘土のように伸ばされ、一秒が五分に、二秒が十分、三秒が三十分、四秒が一時間半、五秒も間が空けば大作映画を一本観終わった気分だ。  ステンドグラスが虹色の影を落とす。その赤色が視界に残留する。  僕らが出会ったのは、秋の大学図書館だった。窓辺で専門書に目を落とす彼女の横顔に目を奪われた直後、紅葉した樹々と彼女の桃色の頬があまりに色鮮やかで、僕は完璧なまでに――それこそ運命の糸が見えたと確信するくらいに――恋に落ちた。  まるで走馬灯のように思い出が駆け巡る。  声を掛ける勇気はなく、友人から友人の友人へと地道な聞き込みを続け、彼女が文学部の二年生だと掴んだのは一目惚れから半月が経った頃のこと。文学部の女友達に頼み込んで飲み会をセッティングして貰い、お酒は苦手だと言う紗和にちょっと強引にカクテルを勧め、ほろ酔いの隙に二人きりになり、終電の時間が過ぎ、僕のアパートに誘うまでが一晩。  僕にとっては長い半月の末の成就だったが、彼女にしてみれば性急な展開だったかもしれない。それでも紗和は僕を受け入れてくれた。  実は僕が初めての彼氏なのだと、恥ずかしそうに打ち明けてくれたのを昨日のことのように思い出せる。一生大事にしよう、結婚しようと決意したのはその時だ。 「新婦、紗和。貴方は透を夫とし、えー、健やかなる時も、病める時もぉ…………」  神父の声色から、どうせ誓わないだろうと言わんばかりの投げやりな本音が伝搬する。  やはり無言。  ついさっきまで幸せの絶頂に居たのに、突如として奈落に突き落とされた気分だ。それも、他でもない共に幸せになる筈だった相手によって。  現実から目を背けたい僕の脳味噌が再び走馬灯を流し始める。  最初で最後の喧嘩は、付き合った年のクリスマスだった。浮気がばれたのだ。相手は紗和の女友達で、僕と紗和を結びつけてくれたキューピッドでもある子だった。恋の相談に乗って貰っているうちに親しくなるのはよくある話だが、それが紗和に知られてしまったのは僕の落ち度である。  僕は「二度としないから許して欲しい」と言った。紗和がヒステリックに泣く様はあまりに病的で恐ろしく、この子を裏切ったら刺されかねないと思って必死だったのだ。  だからその女友達とは一旦縁を切って、次の相手は大学とはまったく関係のないコンパで出会った子を選んだ。その子とは半年後に自然消滅したから紗和には気付かれていないと思う。
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