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「志織ぃ。お前、『歌う骨』って知ってる?」
「グリム童話にそんなタイトルの話があった気がするけど、なぁに、急に?」
「いや、どんな話だったっけなと思って」
数人いる浮気相手の一人は、「ふうん」と微笑し、僕の鎖骨辺りに頭を乗せた。
「……透がこういうのに興味持つなんて珍しいね。えーとね、とある羊飼いが道端で行き倒れていた人骨を使って笛を作るわけ。そしたら、吹く度に『私は○○に殺されて埋められました~』って笛が歌うの。それで羊飼いが王様に知らせて、無事犯人は捕まって処刑される」
「骨で作る笛って、悪趣味だなぁ」
「そう? パンクで格好良くない? ねー。今度フェスに行くついでに温泉で一泊しようよ。どうせバレないでしょ? あたし気になってる宿があってぇ……」
紗和は何も言わないし、初めての交際だから男女の機微に疎いのだろうと勝手に思い込んでいた。侮っていた。
――しかし、隣に立つ彼女は、本当に僕が知っている紗和だろうか?
不意に紗和がこちらを向いたのがわかったが、僕は顔を上げられなかった。
ただ別れるだけでは済まさないと、じっと機が熟すのを待ち、例え周囲に迷惑を掛けようと、恥をかこうと、自分が身を切っても構わないと、そういう覚悟だとしたら?
浮気相手の家から紗和との待ち合わせに直行したり、他の子とデートをしたレストランに連れて行ったり、紗和が僕のアパートに置いているパジャマを女の子に使わせたり、罪の意識など一切持たないつもりでいたが、すべて紗和に見抜かれており、知らず知らずに紗和を傷付けていたと思うと、急に胸が締めつけられた。
舞台は整っているじゃないか。
彼女はこれから、僕が犯した罪を糾弾するのだ。何人の女性に手を出し、彼女を裏切り、傷つけておきながら、優しい新郎の振りをしてここに立っているのかを、僕の家族や友人、職場の人間らの前で暴きたいのだ。
歌う骨のように。
……そんな女だったのか。
途端に紗和が知らない女に思え、ふらふらと後退る。こうなってようやく気付く。僕が愛した、あの柔和で可愛らしい文学少女は、とうの昔に死んでいたのだ。
「紗和、許してくれ」
彼女は答えない。
だが、僕にはヴェールの向こうの顔が透けて見えるようだった。鮮やかな紅をひいた唇が音もなく返事をする。
許さない、と。
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