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「お疲れ様!」
母の手によってようやく目隠しが外されてみれば、僕の目の前にあるのは惨めにぐちゃぐちゃになったただのスイカだった。足元に敷かれたビニールシートは赤い果肉と汁で濡れている。見れば天井にもはねて汚れが及んでいた。
母の笑顔はどこまでも晴れやかだった。拍子抜けするほどの明るい笑顔。
(なんだ)
不安と恐怖で無意識に荒くなっていた息を整える。エアコンが風を送り続ける音が耳に入り、現実に引き戻された。こんなにも涼しい部屋にいたというのに、汗をじっとりとかいていた。
手から力が抜けて、バットが床に転がった。強く握っていた両手は、細かく震えていた。
「何度も殴ったから汁ばっかり出ちゃったわね。綺麗にまっぷたつってなかなかできないものなのね。アドバイスを出すのも難しかったわ」
スカートにスイカの赤い汁を吸いこませながら、母があちこちをふき取る。
相変わらずはしゃいだ様子で、それは常にないことではあるけれど、きっと普段めったにしないようなことをしたからテンションが高くなっているだけなのだな、と納得した。
「すぐにおやつにしましょうね」
割ったスイカを回収して母が微笑む。もういつもと変わらない穏やかな笑顔に戻っていた。
僕は安堵の息を長く、吐いた。
「うん」
スイカの汁が飛んで汚れてしまった服を着替えて、手や顔も洗った。血なんかではない証拠に、匂いは石鹸を使えばすぐに落ちる程度のものだった。目隠しをしている時はねばついて感じられたのに、不思議なものだ。
「はい、どうぞ」
涼やかな器に載せられたスイカは僕が何度も叩いたせいでいびつな形をしていたけれど、綺麗にカットされたものとはまた違った魅力があった。今日はスプーンを使わずに、という母の提案でスイカにかぶりつく。顎に汁がしたたった。
「お母さん、写真撮ってあげようか」
スイカにかぶりつく母の姿が珍しくて、僕はそう提案した。スマホを手に取って立ち上がり……ふと、母の背後の窓の外、「下」をズームで覗いてみた。
聞こえるはずのないざわめきが聞こえた気がしたからだ。
(お神輿だ)
お祭りが行われている商店街。耳に届くはずもない喧騒は、動揺と混乱に満ちている。本来人々に担ぎ上げられてたくさんの人の笑顔に囲まれているはずのお神輿が、倒れている。
そこは以前も見たお店。賑やかな商店街の古い八百屋。近くに青いビニールシートが見えて、母が「下」で見かけたスイカ割りはきっとそこで行われていたのだろうなと思う。
楽しかっただろうはずの集まりは、そこで起きた惨事によってぐちゃぐちゃになっている。周囲にいる人たちの顏に浮かぶのは驚きと恐怖。
(……そこまで見えるはずないのに)
不思議なほど、よく見える。
道を曲がる勢いで横転したのだろう大きなお神輿のその下には、真っ赤な血だまりが広がっている。
下敷きになった「誰か」の腕が見える。見覚えのある、腕時計。
ーーごしゃぁっ。
あの手応えは。
「どうしたの?」
母の声に振り返る。
「……何でもない」
僕は答え、「下」からカメラと視線を外してスイカを手にする母にピントを合わせた。
何度も殴られて粉々になった大きなスイカのその一部。よく見ると、母の持つスイカの皮に何かが書かれていた。
黒い縞模様の部分に黒い文字でいくつも書き込まれた文字列。
「スイカ割り、楽しかったわね」
満足そうに笑う母が手にしているスイカには、父の名前がびっしりと書き刻まれていた。
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