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放課後、青は終業のチャイムと同時に学校を出た。
急いで、かつ事故に遭わないよう慎重に駅に向かい、自宅の最寄りとは真反対にある小さい駅に向かった。
雨はもう止んでいるが、空は重たそうな灰色の雲を一面に広げている。
親には自習して帰ると連絡を入れたが、案の定すぐに帰ってこいと返事がきた。しかし、そういうわけにもいかないので無視を決め込んでいる。
キーホルダーを見つけられなかった青に花音から課せられたのは、明日までに同じキーホルダーを手に入れることだった。
だが、このキーホルダーはもう廃盤となっており、あとはフリマアプリで売られているものしかない。
どうせ大量に作られ大量に購入されたもののため、どれも価格設定は高くない。だが、片っ端からメッセージを送ってもなかなか返事が来ない。
あの廃倉庫にもう一度行くことは何が何でも避けたかった青は、授業中、教師に見つからないことを願いながら机の下でスマートフォンを必死に動かし、ついに今日中に手渡ししてくれる人を見つけたのである。
青はその人とアプリ内のチャットで連絡を取り、午後16時半、ついにここにやって来たところだ。
待ち合わせ場所は駅前の道路脇にあるバス停。最後のチャットには「45分頃に着きます。車で来ます」とあった。
あと15分。青はスマートフォンの時刻を見て確認する。暇潰しをしようにも全く人気のない閑散とした場所である。待ち合わせに指定されたこのバス停も、次のバスまで2時間の空きがあった。
青は灰色に変色した古いベンチに腰掛ける。しっかり深く座ってから先ほどまで雨が降っていたことを思い出したが、そのまま諦め、微かな冷たさをお尻に感じながら向こうへ続く前方の住宅街に目をやった。
緩やかな登り坂沿いに建てられた民家、そのどれもが立派な佇まいである。きっとここの住人は皆が不自由することのない程の富を持っていて、充実した日々を送っているのだろう。それに比べ、友人にこき使われて、たかだかキーホルダー一つのためにこんなところまで来ている自分が、青は情けなくて仕方なかった。
今までも青は、グッズの買い出しや交換の取り引き、ライブと、散々花音に連れ回されてきた。いつも花音のわがままと言える要望を、青は文句一つ言わず黙って聞いていた。
あんなアプリゲーム本当は好きでもなんでもないのに、花音はそれを知らない、知ろうとしない。
ゲームのことだけじゃない。いつも何かと、花音は青をまるで小間使いのように扱う。
課題を代わりにやることも多かった。新作のコスメを売り切れる前に買っておくように言われたこともあった。青はそれらを遂行するが、感謝はされない。できて当然とあしらわれる。
そして、やはり何をするにも“不幸体質”は付きまとってくる。
花音の要望を叶えるために、花音の知らないところでこの体が散った回数は、もはやわからない。
花音だけではない。今までも、青は人とまともな関係を築けずにいた。
不死身体質を知るきっかけになったのも側にいた友人の呆れたおふざけだった。環境が変わり人間関係がリセットされても、また厄介な人間が現れる。
幼稚園児の頃、共にいた友人の女の子の親がひどく教育熱心で、他の子供に異常なまでの対抗心を燃やしていた。一番近くにいた青はそのターゲットになりやすく、青の親がいない間を狙って声を掛けては、唐突に文字を書かせたり、読ませたり、計算をさせたりした。
そしてできないと鼻で笑い、「私の娘はできるのに」と言って去っていく。あの屈辱は今でも青の心に残っている。
小学生の頃は何かと屁理屈を言う女の子と共にいた。「その根拠は?」が口癖で、うまく答えられない青はいつもその子から「お馬鹿さん」と呼ばれていた。
他のクラスメイトのことも考え方が幼稚だ、子供っぽいと貶し、横にいる青に「青もそう思うでしょ?」なんて聞くのだが、青はそんなに賢いならなぜこんな公立小学校にいるのだと反論したい気持ちを必死に抑えながら、肯定の言葉を発した。
中学生の頃は、夏休みに橋の上から川に突き飛ばしてきた友人が最も青の記憶に残っている。
日頃から他人へのいたずらを好んでいたが、加減を知らない子だった。青がやめてと言ってもそれを冗談と捉え、笑い飛ばしてまたいたずらをする。
一度その友人が、青の弁当箱の中身を全て捨てて、代わりに土と石、雑草を入れたことがあった。その日は青の大好物の甘口の玉子焼きが入っていたのだが、それを知っていてわざとやったそうだ。楽しそうに笑っているあの顔に、青は何も言えずにただ弁当箱を見つめた。
他にも独特な人間はたくさんいた。青は一度両親にこのことを相談したものの、「あんたがまともな人間になればまともな人間が寄ってくるでしょ」とその場にいた母に言われ、以降何の相談もしていない。
いつも周りに振り回され、誰も自分の気持ちは聞いてくれない。だから最初から誰にも話さない方がいいと、青はこれまでの経験で学んでいる。
それに、青はこの人間関係さえも、不幸体質の産物なのではないかと最近考え始めていた。そう思わないと、あまりにも自分が惨めだった。
遠い記憶を辿り、湧きあがった様々な理不尽に対する怒りとも憎しみとも悲しみともいえるような感情を青は静かに飲み込みながら、登り坂のさらに向こうの空を、焦点の定まらない目でぼんやりと眺めた。
厚みをもった灰色の雲。また降り出しそうな気配を纏っている。
スマートフォンを確認すると、「16:40」と表記されていた。
もう少しで来るかもしれない。青はベンチに座ったまま上半身を動かし辺りを見回した。住宅街に伸びている登り坂には誰もおらず、数羽の雀が車道で跳ねている。
右、左と首を回し続け、木々が生い茂った駅横の小道に目をやったとき、青は傘を倒しながら勢いよく立ち上がり、ベンチの後ろに咄嗟に隠れた。
どうしてあの人物がこんな場所にいるのか、疑問が頭を埋め尽くす。
手に下がった紺色の傘、グレーに輝く髪、黒いリュック。見間違えるはずがない。
遥か遠くの方、横道を歩きこちらへ向かってくる人影は、紛れもなく青が朝よく見かける例の青年であった。
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