すすき野原

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 ――わたくしが嫁けばあの人は、先帝の后を奪った男として、世の謗りを受けることになる。  合間見えたのはただ一度。運命の流転で、今生の帝となったその人を、ずっと想い続けていたなど、人に言えばきっと笑われることだろう。  近衛帝が亡くなって雅仁親王が後白河帝となった時、東宮となった守仁親王は亡き近衛帝の姉を娶って妻とした。あの時は側仕えの侍女も舎人も全員部屋を下がらせて、一晩中声を殺して泣き続けたものだった。――多子にとって、淡く儚く切ない初恋の思い出だ。  人が必死の思いで諦めたのに、今になって、先帝の后を欲しいと口にする二条帝が腹立たしくてならなかった。そう、彼は覚えてなどいないのだろう。あの日、すすき野原で多子と出会ったことも。近衛帝に嫁ぎたくなければ、自分の后になれと口にしたことも。  父が帰宅し、身の回りのものすべてを下がらせた一室の中で、多子は父が残したものを見る。二条帝から自分にあてられた恋文と贈り物。そんなもの、読まずに木っ端微塵に破り捨ててやろう思っていたのに――ほんの一瞬、気が迷った。  送られた文を解いて中を改めて、多子は言葉を失った。 「白紙……?」  歯の浮くような恋の歌でも送ってきたのなら、嫌味と皮肉をてんこもりにした返歌をしたためて、丁重に送り返してやろうと思った。だけど紙には何も書かれていない。真っ白でまっさらな白紙のままだ。  あの人はわたしに何を送ってきたのか。憑かれたように紙を手繰って、最後まで巻紙を開いた瞬間、多子の掌に一房、黄金色のすすきが舞い降りた。 「えっ……?」  父を追い出した――否、お帰り願った後、すべての戸を閉ざした部屋の中に、吹くはずのない風が吹いている。澄んで柔らかい陽射しを含んだ秋の風だ。他の誰も知るはずのない、あの日の河原で吹いていた風だった。 「そんな……どうして」  燭台の上で炎が揺れる。多子の手の中のすすきの穂が幻の風に吹かれて、揺れた。    太皇太后藤原多子の再入内が執り行われたのは、それから間もなくのこと。帝の実父、後白河上皇は強硬に反対したし、都の人々も帝の行動に眉をひそめ、権力流されるままに二人の夫を持つこととなった多子に同情した。  ――彼女の真の想いがどこにあったのか、知る者はない。
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