崩壊

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崩壊

 死んでしまいたい。  この感情が私の中に生まれたのはいつだっけ。  つい最近のことに思えるし、ずっと前から私の中に住みついているような気もする。  一つだけ確かなことは、昔の自分とは無縁の感情だということ。    目を閉じるたびに浮かんでくるのは過去の自分だ。まだ自分は優秀であると、そう思い込んでいた滑稽な自分。いや、客観的に振り返ってみると昔の自分は優秀だったと思う。    学校のテストは満点を取るのが当たり前だった。そしてテストが返却される度に、先生や親からたっぷりと褒めてもらえるんだ。流石だねって。    運動だってそう。昔は男女含めて誰よりも足が速かった。毎年行われる運動会でもクラス代表のリレー選手に選ばれるのは当たり前だったし、アンカーに選ばれることも少なくはなかった。    学校生活では常に私が注目されていた。話すことも得意だったし、細かい気配りもできる子だった。だからこそ休み時間はいつも友達に囲まれていたし、先生たちからも気に入られていた。    勉強や運動だけじゃない。幼少期からピアノを習っていたし、小学校に入ってからは書道も習っていた。  ピアノはその地域で一番上手いのではないかと噂されるくらいには得意だったし、コンクールでは毎年賞を取っていた。書道だって同じだ。学校の中では誰よりも上手かったし、何度か賞を取って街中に飾られたことだってある。    周りの子よりも器用だったのだろう。何をやっても周りの人より上手く出来た。  私は天才なんだ、どんなことだって出来るんだ。子供心ながら本気でそんなことを考えていた。そして実際に結果も出していた。  たくさんの柱で私という存在は支えられていたし、怖いものなんて何もなかった。ずっとこんな人生が続くのだと、信じて疑わなかった。    でも、違ったんだ。    最初の異変は中学に上がって少し経った頃だっただろうか。  中学に入って初めての体育祭。私は自分がクラスの中で一番足が速いと信じて疑わなかった。  出場することになった百メートル走では、当然私が一着になると思っていた。  でも結果は二着。  一番足の速いという私は消え去り、クラスの中ではそこそこ足が速い子という平凡な私だけが残った。  これまで私を支え続けてきた巨大な柱の一つは、あっけなく崩れ去った。それから私が体育祭で一着を取ることはなかった。    そこからの転落は早かった。ピアノが私よりも上手い人、字を書くのが私よりも上手い人、私よりもトークが上手い人、次から次へと私よりも優れた人間が現れるようになった。  その度に、私は何かが砕け散る音を聴いたんだ。    自分が主役であることを疑ったことはなかった。だけど少しずつ、ほんの少しずつある考えが頭を過ぎるようになった。  自分はただの脇役なんじゃないかって。    自分を支えていた柱は、ほとんど砕けてしまった。  そして今、唯一残っているのが勉強だ。  運動もピアノも書道も、過去に自分を支えていたもの全てを失ってしまった。だけど、勉強だけはまだギリギリのところで踏みとどまっている。  一番ではなくなってしまったが、それでも上位をキープすることはできている。    自分を支えていた柱。それが全てなくなってしまったとき自分はどうなってしまうのだろうか。その不安が頭から消えない。  怖い。  勉強さえも失ってしまったら、私は私でいられるのだろうか。そもそも、全てを失った私が存在する意義は……。    そんな恐怖から、私は死に物狂いで勉強した。家に帰ってから寝るまでの時間の大半は勉強に注ぎ込んだし、ちょっとした隙間時間でさえも余さず勉強に奉げた。  私の出来うる全ての努力を、勉強という柱を支えるためにつぎ込んだ。だが、その勉強という柱でさえも今揺らいでいる。  私が何としても守りたいと縋るような気持ちで支えている柱が、今崩れ去ろうとしているんだ。  高校三年生の夏、部活動も一段落してみんなが一つの方向へと歩み始めた。  そう、大学受験だ。  みんなが大学受験を意識するようになってから、私の成績が少しずつ、だけれども確実に下がり始めた。  そして私は気づいてしまったんだ。今まで勉強という柱を支えることが出来ていたのは私が優秀だったからではなく、周りが勉強をしていなかっただけであったということに。    勉強だけは、まだ戦える。それだけが私を支える事実だった。  だけど、それすらも否定されようとしている。  私が戦えていたのは、そもそも周りに戦う気がなかったから。周りがその気になれば、私に勝ち目なんてなかったんだ。    だけど、まだ勝てないと決まったわけじゃない。私だってまだ戦えるだけの力があるかもしれない。そう自分に言い聞かせながら、今日まで勉強してきた。  そう言い聞かせないと、私はもう……。    今日は、先週受けたテストの返却日だ。教室の前方では、先生が生徒を一人ずつ呼び出しテストの返却を行っている。教室内は、すでにテストが返却された生徒たちや返却を待ちわびる生徒たちでざわついている。  そんな中、私は半ば祈るような気持ちで自分の名前が呼ばれるのを待っていた。    今回のテストには、言葉通り全身全霊で取り組んだ。自分の持ちうる時間を全て勉強に注ぎ込んだ。これ以上私にできることはないと、そう言い切れるだけのことはやった。    それでもし順位が落ちていたら? ふとそんな考えが頭を過ぎる。  そんなはずはない。あれだけやったんだ。私には勉強しかないんだから。せめて、せめてこれだけは守らなくちゃ。 「如月」  ついに私の名前が呼ばれた。心臓がいつにも増して激しく波打っている。    できるだけ平静を装いながら先生からテスト結果を受け取り、そして席へ着いた。  手が震える。  意識してゆっくりとテスト結果の用紙を開く。  祈るような気持ちで用紙に目を走らせ、順位を確認する。    そして、何かが砕ける音を聞いた。
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