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序
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花と美人を例えることがしばしばあるが、蝶はまさに、その三つの花の要素を持ち合わせており、どれか一つと選んで告げるのは至難だった。すんなりと健康的に伸びた肢体と、身の内から溢れんばかりのたおやかな香りは芍薬に相応しく、華やかな気品と思い切りの良さは牡丹ともいえる。一方で、やや憂いを帯びた伏目がちの横顔を見ていると、無性に守ってやらねばと思わせるような儚さなどは、川辺に揺れる白百合を想起させるので、どれを彼女の目に見える一面として取り上げるのに不足ないか、考えれば考えるほど、全てに於いて何かが足りないと、いつも同じ結論に至ってしまう。芳子は毎度、桜、藤、薔薇など敢えて様々な花の名を挙げたが、蝶の方では、やはり芳子の逡巡を敏感に感じ取っているのだろう、納得した表情を見せることは一度もなかった。
芳子は寧ろ、様々な花から花へと飛び渡る蝶こそ彼女の捉えどころのない魅力を語る一番の手段ではないかと度々思っているが、敢えて、何か一つの花という喩えに拘る彼女の心中の何かを分かりたいと願うが故に、それが分かるまでは口を閉ざしておこうと決めていた。それが芳子にとって、蝶に対する奇妙な劣等感のようなものを、自らの内に秘める為の唯一の方法なのかもしれなかった。
それに比べ、やはり蝶はきっぱりと答えを固めており、芳子のことは白い薔薇と呼んだ。理由は、日本人離れした高貴さと、何の色でも染まってしまいそうな危うさだとしていたが、まさに彼女らしい回答だと、芳子は受け入れていた。清朝の皇女、という割れた仮面を後手に肌身離さず持っているのが芳子だった。その隠し難い気高さを健気と思ってか、蝶はあえて、和花でなく西洋生まれの花に芳子を擬えたのかもしれない。そして、何の色にも染まっていない……と、暗に蝶は、自分は芳子より先を見知っていることを、芳子の複雑な劣等感すら見抜いて、敢えて突きつけるような理由を加えているに違いなかった。「いいこと、貴女は私にあこがれていてよ」と、鈴を振るような声が芳子の耳元で繰り返し囁くのだった。
それが、蝶という少女と芳子の無邪気な友情の縮図だった。
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