2 デンマークでの残りの日々

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2 デンマークでの残りの日々

第一章 2/4話 私は二回日本に旅行したことがあるが、幼かったのであまり記憶に残っていなかった。テレビ番組やネットの動画以外、本当に日本、いいや、日本人の印象については母から得たものだった。父の性格は丁寧で優しくて日本人らしいかもしれないが、多分ほかの所作は外国人のようで私には英語で話かけた。デンマークにいたとき日本人だと思われることは頻繁にはなかった。一方、とても内気でしかも暗い母といるとなぜか緊張感があった。五、六歳の頃だったか、そとにあそびに行ったとき、木に登ろうとしていると父は遠くから声援を送った。それが母だったなら、ただ洋服が土に汚れると叱っただろう。スーパーの陳列された果物をさわること、そとでちょっと騒ぐこと、玄関で靴を整えないこと、ただ手を伸ばして指差すことまでも、少しでも整頓や格式を守らないなら毎回母に注意された。 毎日母といると、自分のしたいことを考えるのより、彼女になにを禁止されているかを心配ばかりしていた。禁止された事項はたくさんあり、当時はなにをしてもいけないと思うほどだった。多分、礼儀を重んじるというより目立つ行動をしてほしくないだろう。それは『できない』ことにかこまれるみたいで、小さく残っているスペースにある選択肢は、自分のマンション、公園、あとはスーパーくらいで、その間に狭く生きている印象だった。日本での経験値が低い私は、いつも母のような人が日本の人口の半分くらいいると想像して、本当かどうかわからないけど、十一歳の私は日本に帰ることをあまり明るく期待できなかった。 次の日、母とビデオコールするときにデンマークにいたいと伝えて、ヘリーンさんも大丈夫だと答えたと私は追加したが、それはただヘリーンさんの丁寧な返答だけと母は言ってまだ私の帰国を主張した。なぜか母の声が、長いこと会っていないせいか前よりやわらかくなったみたいで、ちゃんと説得すれば私はまだここにいるチャンスがあると想像した。 母が忙しく、二、三週間ビデオコールしない間に私も日本語の勉強へのやる気がなくなり、そして次第に忘れていた。だが五月のある日、母は快適なベッドルームの写真を送ってきた。壁のペンキは塗りたてそうで、ベッドの隣に大きなデスクがあって、パソコンを置いてもまだ書くスペースが十分ある広さだった。それは私の部屋だと言われた。そもそもそういう家具があったのか、最近私のために買ってくれたものか、わからなかった私はありがとうと返信した。私が帰ることはもう決定しているじゃないかと思った。 それ以来、たまに母はほかの写真も送ってきた。家の中とそとの周辺、母が通った地元の道や商店街の風景、それでおばあちゃんと一緒にショッピングモールに行った日の写真ももらった。家の近くにある図書館に英語の本も少しあること、読みたい本がなかったらネットでオーダーできるとメッセージが添えられていた。 もし来年の六月、卒業して日本に帰ったら、その次の年の四月に日本の中学校がはじまるまで、なにをしたらいいか母に聞くと、彼女はすることがたくさんあると答えた。「この前彰くんは山登りに行ったのでしょう、こっちでも人気があるよ。夏は天気もいいし、釣りやキャンピングする人をよく見かけるよ。家族連れや林間学校の学生たちもいっぱいいるの」 夏になって、私の最後のデンマークの夏かと思った。小学六年生になると私はと勉強したり、スポーツしたりして普通に日々を過ごしたが、なにかが違ったのは私の不安だったからかもしれない。もう来年日本に帰ると友だちに伝えても、大したことないような反応が多くて、楽しそうと言った人もいた。日本はきれいな国、面白いものごとがあるイメージが強く、旅行をしたことのある友だちも賛成して、だからそこに引っ越すのはただフランスやアメリカと同様じゃないかと思っている。 実は日本のそのイメージはヘリーンさんたちも抱いたらしい。一月の父の葬儀から、私の引っ越しは明らかになるとにスヴェンはわくわくしているようだった。多分理由は最近彼は『スター・クロッシング』という日本のアニメにハマっていて、ここに売っていないアニメの商品を買いたいからだろう。「なんか見つけたら僕に言ってね」 「え、全然知らないよ。東京に住むわけじゃないし」私は答えた。そのとき私たちは家の近くのスーパーにヘリーンさんについてきていた。 「セブの町に店がないの」 「あると思うけど、商品が少ないかな。東京なら秋葉原にアニメの商品がなんでもあると聞いたから、そこから探した方がいいかもね」 「アキハバラ!」 「なんで」 「僕も行きたいんだ。なんかネットで人サイズのフィギュアもあるって見たよ!」 「そうだね、私も見た。もし東京行ったら私は写真を撮って送るよ」 「ありがとう!」 確認するためまたネットで秋葉原の動画を見ると、アニメの聖地というより、ただ人が多い東京の一本道じゃないかと感じた。カフェなどに誘っているメイドの姿のお姉さんたちがいて面白そうだが、店の中に入る動画を見ると、色気のある大人向けのフィギュアや商品が多かった。それはたまたまですべての店じゃないと思うと、ほか動画には別の店で大人向けの商品が多くはないが、そういう『目立つ』商品がまだ一般の商品のようで平気に棚に置かれ、デンマークのアニメグッズ店とは結構違う雰囲気だった。動画でスヴェンの好きな『スター・クロッシング』の『ソーラー・ゲイザー銃』を売っていそうな店は全然見つけられないし、いつかヘリーンさんは東京に旅しに来たとき、秋葉原のこういう店は本当にスヴェンが行っていい場所かと考えていた。 このアニメは主人公の宇宙警官が犯人を追いかけながらかわいいペットみたいな宇宙人の仲間ができる話で、ほかの人気の商品は『銀河トランシーバー』だった。このトランシーバーにキャラクターのトレーでディングカードを入れると彼らの声が流れて、もし入れたカードは当たりカードのコンビならキャラクターたちの会話も聞こえる。 ほかの日に私はヘリーンさんと都心のショッピングモールに行ったとき、アニメグッズ店に銀河トランシーバーなどは売っていないと思ったが、スヴェンのほしいものがあるかもしれないと思い入ってみた。店に入った途端、後ろからだれかに叩かれて、振り向くと女子の同級生のライケ・ヘニングセンだった。「なにしているの?やっぱりこういう趣味なんだ」 私はトレーディングカードを見ていたが、その周りを見るとそういう女子キャラクターのフィギュアが多くて、セクシーなフィギュアも当然あった。「そんなことないよ。スヴェンが頼んだから入ったの」 少しして店の前に現れた二人の大人は彼女の両親らしかった。挨拶をして彼らは先に行ってしまった。彼らは店のなかまで見なかったのはちょっと安心した。「もしかしてこのかわいい女の子の枕を見ていた?なんだか寂しいね」 「寂しくないよ!リッケはここでなにしてるの」 彼女の名前はライケだけど、最初に間違って私はリッケと発音したことから、たまにわざとそう呼んでいた。そのうち私だけが彼女をリッケと呼ぶようになった。 「ちょっと買い物して帰るよ。なんかさっき遠くから見て君かなと思ったんだ。よくここに来るの」 「いいや、あまり。君の家に近いでしょ」 リッケはうなずいた。「でもとても偶然だね。え、パパママはどこか、行かなきゃ……あ、ねぇねぇ、明日結局来るよね?」 「うん、行くよ。私は練習があるけど、君の試合がはじまったら抜けられると思う」 「やった!じゃあ、またね!」 学校のホッケークラブに所属するリッケは、小学一年生のときからよく彼女と同じクラスになっていたけど、まだ私が幼かったからかあまり記憶に残っていなかった。茶髪で瞳の色は明るくて、デンマーク人らしく背が高い彼女は、四年生のときになると科学科目の実験で一緒のグループでよくしゃべるようになり、多分そのきっかけで仲良くなった。一見、明るい性格に見えるが、時々彼女の遊びは友だちを揶揄したりや嫌がらせをすることもあって、大人から見たら彼女はいじめの元凶と言えるかもしれない。 昼休みや放課後に私はよく彼女といて、デートしていると普段友だちにからわれた。日本に帰ったら私は簡単にデンマークに来られないらしいとリッケに伝えると、彼女は毎年家族と旅するので、次は日本にしようと両親を説得するつもりだそうだ。もし日本に行ったらどこで会うのがいいかという話に、東京よりリッケは私の地元に行きたいと言った。私は母からもらった写真を見せてそこにはなにもないと忠告したが、彼女はとてもきれいと答えた。「もう行きたいね。ねぇ、さっきの写真なに?よく見たことあるけど、あの赤い門」 「鳥居だよ、でもなんのためかはわからないけど」 リッケは考えた。「もしかして昔の人ってさ、あれはマラソンのゴールだったんじゃない?」 「そんなことないよ!ねえ、君は東京くらいにいた方がよくない?うちに来たらまた飛行機に乗らなきゃいけないってさ、すごく時間の無駄だよね」 「大丈夫だよ、この前スペインに行ったときも乗り継ぎしたんだ。旅はそんな感じでしょ」 私たちはバスを待ちながらそんな話をした。私のせいか、リッケはだんだんと日本のことに興味を持ちはじめてこれはなに?これは知ってる?みたいにたまに彼女は写真を送ってきて聞いた。そのなかでも日本の満開の桜の景色を気に入ったかもしれない、一時期彼女はそれをプロフィール写真にした。 いろんな質問に答えるために、彼女と変わらないくらいにしか日本のことを知らない私はネットで検索した。以前の自分は日本人であることを結構忘れていたのに、急に日本に帰ることになり、うどんはラーメンじゃないくらいの知識ではいけないのだろうか。 冬休みの二月、私はヘリーンさんたちとヤンニおばさんの家族と一緒にカロンボーの海岸にある別荘で過ごした。帰ったらそろそろ学校生活も終わると思うと……そうだったんだ。 五月期末試験前に親友の四人は近くのレストランで私を奢ってくれた。アイスを食べすぎたかもしれない気持ちが悪くなっちゃった。六月上旬、学校を卒業してから荷物を整理して三十日くらいには日本に行く予定だったが、書類がまだ完成していないので、念のためにヘリーンさんは母に連絡した。それから帰国の予定は八月に延期された。「その日、お母さんは迎いに来るでしょう。彼女は四日間も観光するつもりそうだ。セブくんもいいホストになってね」 ヘリーンさんは母と電話したあと私に伝えた。母は早くデンマークから帰りたがると思っていたので、それは意外なことだった。
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