籠の鳥は今日も歌う

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 僕は足音を立てないように、そうっと彼女のいる部屋に近付いた。  重い扉には厳重に閂がかけられている。  数週間前にどこかから連れて来られた娘は、一人きりになると美しい声で歌うのだ。  今日も、聞いた事のない言葉で軽やかな旋律を口ずさんでいる。  思わず、ほう、と息を吐くと、持っていた本を落としてしまった。  しまった! 「……誰かいるの?」  訝しげな声で、部屋の中から彼女が問いかけてきた。  僕は、思いきって声をかけた。 「あ、あの、歌があんまり綺麗で……」  つい、聞き惚れてしまったんだ。  そう言うと、ふふと小さく笑う声が聞こえた。 「ありがとう」  それから、僕達は夜中にこっそりと話をするようになった。 「あなたは、ここの人達とは違うのね」 「僕は、落ちこぼれだから」  ほかの皆は日々研究に精を出し、結果を出している。  僕は本を読むのは好きだったけれど、実践は苦手だった。 「……あなたは、優しいから」  意味ありげな言葉に、僕は息を飲んだ。 「き、君、何かひどい事をされているの?」  閉じ込められてはいるけれど、三食きちんと運ばれているし、着替えも届けられている。  そう聞いていたのに、違ったのだろうか? 「何もされていないわ、大丈夫」  今のところはね。  彼女は、小さな声でそう言った。 「……」  確かに、ここの人達は研究のためならどんな事でもする。  それについていけなくて、僕は本を読む事に没頭していた。  だけど。 「……お願いがあるんだ」 「何かしら?」 「歌ってほしいんだ」  僕に、勇気をくれる歌を。  彼女は、小さな声で歌い出した。  美しい声で、優しい旋律を。 「……」  僕は、覚悟を決めた。  しばらく、ここには来られなくなると告げて、僕は彼女から離れた。  それから、僕はひたすら本を読んだ。  見つけなくてはならないからだ。  鍵を。  大概の事は、本が教えてくれる。  あの、美しい歌以外は。  それから何日も、何十日も、何百日もたって、僕はようやく鍵を手に入れた。  籠の鳥を自由に羽ばたかせるための鍵を。  久しぶりに、彼女の元へ向かう。  無事だっただろうか?  歌が、聞こえてきた。 「!」  けれど、それは掠れた物悲しい旋律だった。 「き、君、大丈夫かい!?」  思わず、扉に駆け寄った。  返事はない。 「ぼ、僕だよ。本の好きな……」 「ああ、あなたなの。久しぶりね」  嬉しそうな声だったが、どこか疲れはてているようでもあった。 「ごめん、遅くなって……」  もっと早くに来られたらよかったのに。 「ううん。いつか、また、あなたが来てくれると思ったから……」   だから、耐えられた。  彼女はそう言った。  僕は胸が詰まったようになって、何も言えなくなった。  僕がもっと優秀だったら。  僕がもっとものを知っていたら。  僕がもっと……。 「また来てくれて、嬉しい」  彼女の言葉に、我に返った。 「お願いがあるんだ」 「……何?」 「僕と一緒に逃げてほしい」  彼女が、息を飲む気配がした。 「でも、だけど、ここの扉は……」 「うん」  ここの扉には閂だけではなく、古代神語による鍵がかけられている。 「大丈夫。僕が開けてあげる」  誰にも知られず、僕が古代神語を習得出来たのは本のおかげだ。  大概の事は、本が教えてくれる。  この気持ち以外は。 「君を、自由に歌わせてあげたいんだ」  しばらくの沈黙のあと、彼女は「うん」と言ってくれた。  古代神語による解錠の言葉を呟き、閂を外す。  重い扉を開けると、少しやつれた彼女が笑いながら僕を見た。 「初めて顔を見たわ」 「……がっかりした?」  ふふと小さく彼女は笑った。 「ちっとも。優しい、私の勇者様」 「勇者って、僕はそんなんじゃ……」 「どうして?」  僕はまともに彼女を見れず、うつむいた。 「もっと早くに、君を助けてあげられなかった……」  彼女は、そっと僕の手に触れた。 「でも、あなたは諦めなかったんでしょう?」  だから、私を救えた。  そう言って、彼女は笑ってくれた。 「さあ、行きましょう!」 「……うん」  僕と彼女は手を繋いで逃げ出した。  僕が目を覚ますと、彼女はすでに朝食の準備を始めていた。 「おはよう、私の勇者様」  空に向かって。  風に乗せて。  小鳥のさえずりと共に。  彼女は、美しい旋律で今日も歌っている。  
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