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1 和宏と優人
その年の夏は例年より暑かった。隣に腰掛けた弟の優人がソファに両膝を立て、スイカを頬張っている。
あの日、妹のカナは行方知れずになった。それでも諦めきれずに連絡を待って数年の時が経つ。
中学生だった優人は、今年から大学生となる。彼はお姉ちゃん子でカナにはべったりだった。彼女がいなくなり、二人きりの兄弟となってしまったが、なんとかここまでやってこれたのは、諦めていないからだと言える。
「和兄」
スイカを頬張りながらテレビのモニターを見ていた優人が顔を顰め、こちらに視線を寄越す。
和兄こと、雛本和宏は『なんだ?』というように雑誌から顔を上げた。
テレビのニュースでは繰り返し速報が流れている。どうやら要人が事件に巻き込まれたらしい。
時は5☓☓☓年。
「物騒な世の中だね」
痛ましいと言うように、トーンを落とし呟くように吐き出す優人の髪に手を伸ばす、和宏。
「昨日は連絡もなしに、どこに居た?」
「平田のとこ」
和宏の問いに悪びれもせずに答える彼。
「女遊びも大概にしないと、お前も同じ運命を辿ることになるぞ」
「平田は女じゃないし、俺はもう子供じゃない」
十八歳になれば、成人となる。
ストレートに高校を卒業し、大学生となった彼は遅生まれながらすでに成人していた。
それでもたった二人の兄弟。両親は他界し妹は行方知れず。お互いが唯一の家族なのだ。心配くらいしても当然だろう。
妹のカナに似た女性とばかり付き合うのは、大人になったとは言わないのではないだろうか?
そんなことを思いながらため息をつくと、優人はテーブルの上に置いてあったスマートフォンを手に取るところであった。
今お付き合いをしている相手は年下らしく、今までの相手とは明らかに違う。どういう風の吹き回しだろうか。
問い詰めるのも変だとソファから立ち上がろうとすると、優人にシャツの裾を掴まれうまく立ち上がれなかった。
危ないだろというように視線を向ければ、
「麦茶飲みたい」
とおねだりをされる。
和宏はしょうがないなと言うように、彼の茶に染まったストレートの髪をポンポンと撫でた。
「子供扱いしないでよ」
と、不満そうな優人。
「十分子供だろ」
和宏は肩を竦めると、リビングから続くダイニングキッチンへ向かった。
「今度の子とは上手くいってるのか?」
好奇心というよりは、心配なのだろう。優人は異性愛者。和宏は全性愛者であった。
付き合ってはすぐ別れてしまう弟のことが理解できないでいる。
「どうかな」
スマートフォンに視線を落としたまま、不機嫌そうな声。
その感情が自分ではなく彼女に向けられていることはなんとなく理解はしている。
和宏は冷蔵庫から麦茶のポットを取り出すと、グラスに注いだ。
テレビでは相変わらずニュースが流れていた。物騒なのは今に始まったことではない。
「優人。外泊するなら、一言連絡を入れなさい」
大人とは自分の責任において自由なのだ。決して他人に迷惑や心配をかけてよいというわけではない。
「うん」
その返事が空返事でないことを願う。切に。
「ほら」
麦茶のグラスを彼に向けながら。
叶わない恋をしている。
ずっと。
それはきっと、これからも叶うことはないだろう。
「和兄は、恋人いないの?」
残酷なことを聞くのだなと思いながら、手から離れてゆくグラスを眺めていた。
「居るように、見えるのか?」
問いかけにきっと、意味などないのだろう。
心は抉られる。ただの好奇心によって。
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