揃いの皿

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 ユキコが朝起きてキッチンに入ると、床に割れた皿が一枚落ちていた。それは食器を集めるのが趣味である彼女のお気に入りの皿で、しかも家族の人数分を揃えて購入したものだった。彼女のショックは大きかった。 「誰がこんなことを…」  許さない、と思いながら割れた皿の破片を慎重につまんでは紙袋に入れる作業を繰り返した。その後で朝っぱらから掃除機をガーガー言わせた。マンション住まいなので音に注意しながら。他の家族はまだ寝ている。  皿の片づけを終えた後、気持ちを落ち着かせるためにユキコはお茶を入れて一度椅子に座った。  犯人は一緒に住む残りの家族、すなわちユキコの夫のマナブ、そして高校生の息子ユウダイのどちらかしかいない。あとは猫のミルがいるが、食器棚を開けて皿を一枚だけ床に落とすのは不可能だと思われた。そして食器棚の引き戸はユキコが気付いた時点で閉まっていた。猫がわざわざそこまではしないだろう。  ユキコは誰が皿を割ったのか、というよりもその動機の方が自分にとって重要だった。揃いの皿を一枚だけ割った、というのは何か意図があるに違いない。こうなってしまうと残された皿の愛着が格段に落ちてしまうのだ。それを分かっていて割ったとしか思えない。 「自分は家族から疎まれてるのではないか」  そう思うとユキコは泣きたくなるほど悲しかった。曲がりなりにも家族の妻として、そして母親として全力で頑張ってきたつもりである。至らない部分もあるのはわかっている。それでもこういう間接的なで形で表現されるのは彼女にとってはとても辛い事だった。 「誰なの?お皿割ったの」  ユキコは食卓に三人揃ったところで切り出した。マナブとユウダイは振り向いた。 「皿?」  みそ汁のお椀を持ったままマナブが答える。 「とぼけないでよ。今日朝キッチンに入ったら皿が一枚割れた状態で床に落ちていたの」 「俺知らないよ」  ユウダイは素っ気なく答えた。 「ミルがイタズラしたんだろ」  マナブは面倒臭そうに言う。 「ミルはそんなことしません。食器棚の戸は閉まったままだったんだから。これは人間の仕業よ」 「また買えばいいだろ。朝からそんな話は止めてくれ」  マナブは顔をしかめた。 「五年以上前に買ったものだから、今はもう売ってないのよ。しかも家族の人数分買った皿なんだから。一枚割れちゃったらもう使えないじゃない」 「そんなことはないだろ。それにお前がそんなに怒ったところで皿が元に戻ることはないよ」  その言葉を最後に二人は話すのを止めて黙々と食事を続けた。二人の態度は終始冷たかった。 「ごちそうさま」  素早く食事を終えたユウダイが席を立った。 「ちょっとユウダイ、待ちなさいよ」 「俺じゃないよ」  そう言うと彼は足早に自分の部屋へ引き上げた。ユキコはその後姿を見つめるだけだった。  食卓に二人きりになり、ユキコは再びマナブに話しかけた。 「大切にしていた皿なのよ」  マナブは何も答えない。 「ねえ、あなたが割ったんでしょう?」  するとマナブは黙ってユキコをじっと見据えた。その目は自分にも責任があるんじゃないのか、そう言っている様な気がした。ユキコは下を向いて、食事を続けた。食べ物の味は何もしなかった。  それから一週間がたった頃、ユキコが朝起きてキッチンに入ると、また皿が一枚割れた状態で床に落ちていた。前回と同じで家族の人数分買った皿だった。  ユキコはその場に膝をついて割れた皿の破片を拾い上げた。その破片を見ている内に、ふと涙がこぼれた。色々な感情が混ざり合って落ちてきた涙だった。  皿が割られて以降、家族の雰囲気は悪くなる一方だった。家族内の会話はほとんどなくなり、マナブとユウダイは用がない限り自分の部屋に引きこもった。ユキコはただただ寂しかった。しかし彼女は自分のその感情を表には出さなかった。正確に言えば出すことが出来なかった。  それからさらに一週間が経ち、ユキコが朝起きてキッチンに入ると、またしても皿が一枚割れて床に落ちていた。以前と同じ家族の人数分購入した皿の一枚だった。  それを見た途端、ユキコは我慢ができなくなって大声で泣き始めた。ひとしきり泣いて気が付くと、後ろにマナブとユウダイが立っていた。彼らは感情を押し殺してユキコを見ている。 「俺達が何が言いたいか、わかるよな?」  マナブは静かに言った。ユキコは泣きはらした目でマナブをじっと見つめて、小さくうなずいた。 「いいかげんアヤネの選んだ道を認めないと」  そう言うとマナブはユキコの肩に手を乗せた。  割られた皿は全て四枚組の皿の一枚であった。家族は四人家族なのだった。  娘のアヤネは高校を卒業するとすぐに家を出た。いずれカフェを経営したいからと、家のある東京ではなく、敢えて遠い福岡に行き、飲食店でアルバイトをしながら一人暮らしをしている。  ユキコはアヤネを厳しく育てた。良い大学を出て一流の企業に就職する、それこそが娘にとって最も良い人生だ、とユキコは信じて疑わなかった。自分が歩んで来た道を娘にも進ませたかった。アヤネは黙って母の言う通りに生きて来たが、ずっと我慢をしてきたのだろう。  娘が家を出た後、ユキコは荒れた。娘への悪態を吐くことが日に日に多くなった。マナブとユウダイは閉口した。一枚目の皿を割ったのはマナブだった。そのメッセージを汲み取ったユウダイが二枚目を。それでもユキコが態度を改めないので、もう一度マナブが三枚目の皿を割った。  アヤネはもうここで暮らすことはない、その思いを込めて。  ユキコがうなだれていると、食器棚の上でずっと様子を見ていた猫のミルが、心配そうにニャアと鳴いた。その声を聞いたユキコは、もう娘に対する態度を改めないといけない、と心に誓った。  その日の夜、ユキコはアヤネが家を出てから初めて彼女にメールをした。返事はすぐに帰って来た。母と娘の関係は少しずつ戻って行くだろう。  猫のミルは食器棚の上に置かれた座布団に丸くなり、今日も気持ち良さそうに昼寝をしている。 完  
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