許せない一家

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 似たような状況は十五年くらい前にも体験していた。  最初の就職。小さな財団法人で、一家でえばりくさって地元の出入りの銀行員をこき使っていたりしたので、地元の人たちはその一家を「天皇」と呼んでいたらしい。いや、一度この職場に皇族がいらしたけれども、気品にあふれていて、どぶ臭いこの人たちとは大違いで、不敬にもほどがあると思った。  従業員は下僕だった。だが、どういうわけか三時におやつが出るなと思ったら、必ず賞味期限の切れたお菓子で、カビが生えていたことは一度や二度ではない。それでも、それを指摘してはいけないルールになっていた。  ヒステリーな長女に理不尽に怒鳴りつけられて、若かった私は、何度も泣きながら電車で帰宅した。  十五年後、何度目かの転職。その後、私学の教員になってキャリアも積み、経験や能力を生かせるという希望に燃えてやって来た地方の職場。  しかし、前の職場にも戻れず、引っ越しもすべて済んだ後で、契約とは違う仕事をするように命じられた。しかも、理事長校長はそれをかなり前から決めていたと全体に話す始末。ーー詐欺じゃねえか。  本当だったら契約違反ですぐに辞めればよかったが、騙されたというのが恥ずかしいとか、妙なプライドとかで、そのまま三年間居続けた。  先に一族経営に辟易していた私は、そうでないことを確かめていたつもりが、これもちゃんと説明がなされていなかった。まあ、出勤初日に寒い中を何時間も待たされて、やっと誰か来たと思ったら挨拶もなく、私がいるのがさも迷惑気な面持ちで学校を開場した理事長校長の娘夫妻たちは、言うこと聞かずにこの場所に乗り込んできたらしいので。  またしても下僕生活。一家が王様、古参〝社員〟が王侯貴族。ーーしかし、十五年前と違ったのは、自分のことではなく、古参ではない先生方たちと生徒たちに対する仕打ちに打ちひしがれたという点だ。  精神を病んで学校を去る先生は一人や二人ではなかった。  いじめがあれば、いじめられる方が悪いと言わんばかりの対応。何人もの生徒が傷を負って学校を去っていった。  生徒の問題行動に対しては、プレゼンをして多くの先生が許可をすれば許される。  大学生の卒業旅行レベルの気楽な海外研修引率。    そして、限界を覚えた私が学校を去るその少し前に、最大の許せないことが起きた。これは、誰にも話したくない。なぜならば、理事長校長のそれまでの不用意な言動が原因のことに対して、最後の最後だけ多くの教員を集めて、意見を求めた挙句、私の発言にブチ切れて、一人の生徒の人生に大きな影響を与えてしまった。  そう、多くの教員が〝共犯〟にされた。最終的には、私の〝正論〟が引き金になってしまったことを、私はおおいに嘆き、悔いている。  この地を去っても、私はこの一家のことを思い出すと夜も眠れなくなることがある。今や、名門校とTV報道もされているが、きっと本質は変わってないと確信している。人はそう簡単に変わることなどない。下劣なヒエラルキーを作って、先生も子どもも、〝下僕〟となった者を食い物にして成り立っているの違いないのだ。  最近、前世や過去性を見ることができるという人と知り合い、私の家とこの家は、騙し騙されのような関係にあったというのを聞いた。わかる気がした(この三年間が引き金になり、私の身にはたくさんの不思議なことが起きた。それはまた別の作品で語っているので、興味のある方は探り当ててほしい)。だが、それを聞いても、私の心は決して晴れることがない。  実際、教壇を去ったのは私なのだから。
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