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「久し振り。今年も、また会いに来たよ」  石を磨きながら、僕は君に話しかけた。 「ちょっと太ったんじゃない?」  駄目だよ。最近、手を抜いてビニ弁食べてるでしょ。たまに顔を合わせるとこれだ。付き合い始めたばかりの頃は、もう少し嬉しくなるようなことを言ってくれたのだが。 「ご明察。ちなみにそのおはぎも、後で僕がもらう予定だよ」  濡れた墓石に、遠い日が映り込む。手の甲で汗を拭い、墓石を洗う君に、僕は漸く、そして短く尋ねた。 「お父さん?」  と、母さん。君は振り向かず、そっと墓石に触れた。 「名古屋って、どんなとこですか」  思えば、あの時君にとって、僕は切符でしかなかったのかもしれない。行き先が分かっていたなら、きっと選びはしなかった。金網の向う側を電車の影が通りすぎ、遠くの街へと消えてゆく。か細い鼓動を乗せて、僕たちよりも、はるか先へ。電車の後を追いかけて楓の葉が飛び出すけれど、どんなに手を伸ばしても、冷え切った風にしか届かない。子供達は飛び上がって力尽きた紅葉を捕まえ、君は僕を振り返った。 「まだ綺麗な葉っぱ、拾っちゃった。見て。赤ちゃんの手のひらみたい」  紅葉の柄をつまみ、君はくるくると回して見せた。夕方の庭園に満ちた、温かな落ち葉の匂い。黄昏が梢をすり抜け、二人を幸せの色に染めていた。 「かわいいね。持って帰って、押し花にしようか」  舞い散る紅葉の中を、僕たちはゆっくりと歩んだ。互いに寄り添い、未来に夢を馳せながら。あの日、未来は確かにあった。僕たちの手は、しっかりと握りしめていた。  10月の夕暮れ時は、こんなに肌寒かったろうか。あの温もりを少しでも思い出せはしないかと、僕は日差しに手をかざした。指をすり抜け、秋空へと還ってゆく、寂しい風。静かに波打つススキの上を、赤トンボの群れが漂っている。小さな翅が時折小さく瞬き、静かに水面の上を滑った。 「ごめんね。今年、どこにも行けなくて」  池を眺めながら、君は謝った。繰り返し水面をつつく、赤トンボの軽いステップ。池に面した東屋には照り返しの光が溢れ、青白い網の上をしきりに波紋が駆け抜ける。
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