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第12章 気難しい編集者
「 お疲れ様でした。いかがでしたか?土門さんは、時田DRの希望されていたスキルの持ち主かとお見受けしましたが 」
岩橋が履歴書とメモをファイルにまとめながら尋ねた。
「 たしかに、スキルだけで言えば、高そうだったわね。」
その言葉とは裏腹な遥子の表情に、岩橋はつと口を噤んだ。
戸惑いを隠さない岩橋の表情に気付いた遥子は、わざと笑って見せた。
「 ごめんなさい、ちょっと神経質になっているみたい。初めての事務所立ち上げだし、特に人材選びは失敗出来ないと思い過ぎてるのかしらね……」
「 いえ、当然だと思います。とても高度で特殊なスキルが求められる職種だと感じますから。軽はずみな意見を言ってしまい、すみませんでした。じっくり選考なさってくださいね 」
珍しく、励ますような笑みを見せた岩橋に、遥子は思わず微笑み返した。
「 当然だけど、選考するにあたっては貴女の意見も重要だし、どんどん聞くつもりよ。岩橋さんは今じゃここの唯一の社員なんだからね!」
それを聞いて、岩橋はちょっと嬉しそうに控えめに頷いた。
日に日に物が運び込まれ、殺風景だった事務所もなんとなくそれらしくなっていた。
十二畳程の部屋と、六畳の続き小部屋が扉無しで繋がっている。
遥子のデスクは、続き小部屋に備え付けられた。
岩橋を先に帰らせた後、まだ本棚も無い自分のデスクで、遥子は土門の履歴書を眺めながら溜息をついた。
人材としては、文句無し。
人間的にも合格点のようだ。
後は……自分だけの問題だった。
毎日彼を見ながら仕事にまい進出来るか否か?
顔はもとより、くしゃっとした笑い方、実直な眼差し、自分の意見は忌憚なく発言するところ……
あぁいう顔立ちの者は皆あんな感じになるんだろうか?
自分の笑えない冗談に口元をすぼめた。
ようやく過去に決別が出来て、自力で一歩を踏み出したというのに。
こんなことでつまずくのは、まだ決別出来ていないということなのか?
私はまだ江上龍也を忘れられないというのか?
遥子は小さく首を振りながら、もう一つ深い溜め息をついた。
次の週、長谷部から早々に連絡があった。
「 お待たせしました、ひょっとしてもう全てのスタッフ選考終わってしまいましたか?」
携帯越しに長谷部の快活な声が響いた。
「 いえ、長谷部さんからのお返事を首を長くして待っていました。例の方、どうでしたか?」
「 簡潔に申し上げると、かなり乗り気でした。一度お会いして詳しくお話を伺いたいとのことです 」
「 まぁ!本当ですか!?」
遥子が素直に喜ぶ声に、長谷部はなぜか申し訳なさそうに笑った。
「 この前もお話させて貰ったと思うんですが……彼はちょっと変わり者でして、時田さんが大手出版社を辞めて独立にチャレンジしているというところがいたく気に入り…なおかつ、その代表を務めるのが女性編集者ということも、大いに興味を引いたらしく…… 」
遥子はクスクス笑いながら続きを引き継いだ。
「 女だてらに、大手出版社に挑んでる無謀者、みたいに映ったのですかね?」
「 コンプライアンス的に、動機に問題有りですかね?」
「 別に大手に喧嘩売るつもりもないですし、なんなら元の会社のコネも使わせて貰おうと思ってるくらいですけど、逆に興味を失ってしまわれませんか?」
長谷部はうーんと唸ってから、答えた。
「 仕事は、間違いない人物です。責任感も強い男です。どうですか?まずは会って実際に時田さんの目で確かめては?時田さんの方針に合わなければバッサリ切り捨てて貰って構いませんよ 」
長谷部の大袈裟な口振りに思わず吹き出した。
「 ありがとうございます、そこまで言って頂けると気兼ねなくお会い出来ます。よろしくお願いします 」
その変わり者で職人気質な編集のプロだという人物と会う日時を決めて、あらためて長谷部にお礼を告げ、電話を切った。
それから二日後にその人物はやって来た。
スポーツ刈りで全体的に白髪混じり、年の頃は50半ば、顔は気難しそうな印象で、細身な体の背丈は遥子よりも少しばかり低いから167センチくらいだろう。
長谷部が職人だと言ったのは、見た目の印象からも言えることだと思った。
「 はじめまして、時田遥子と申します。本日は、ご足労いただきありがとうございます。」
遥子が丁寧に挨拶をして名刺を渡すと、彼は苦笑いのようなものを浮かべた。
「 どうも。名刺は持ち合わせていないから代わりにこれを。」
そう言って渡された封筒の中には、履歴書が入っていた。
「 まぁ、わざわざありがとうございます。長谷部さんにそれなりに伺った上でご紹介して頂いたので、よろしかったですのに。あ!どうぞお掛けになって下さい 」
先週までのパイプ椅子と長テーブルは、シンプルなグレーのソファと栗色のローテーブルに変わっていた。
三つ折りにされた履歴書を開くと、まずは名前を確認する。
「 ……桂木健三さんとお呼びすればよろしいですか?」
「 はい。」
「 まず、私から自己紹介させて頂きますね。今回、編集、校閲の下請けメインで事務所を立ち上げました。独立という点ではど素人でして…… 」
端的に説明を始めたが、桂木が途中で手のひらをかざして止めた。
「 時田さんの経歴やこの事務所の立ち上げのあらましは、長谷部から聞いてます。重ねての説明は要りません 」
「 そうですか。……では、何からお話すればいいですか?」
伏し目がちに話していた桂木は、そこで遥子を真っ直ぐ見た。
「 わざわざ履歴書を持ってここへ来たということは、仕事を引き受けてもいいという事ですよ。後はその経歴を読んで、貴女が私を雇うか雇わないかだ。」
なるほど、長谷部の言っていた “ 変わっている ” の意味が少し見えた気がした。だが、嫌いじゃない。
「 では、私からも。桂木さんの経歴は長谷部さんから伺っております、校閲も編集も職人級だと。その上で、ご紹介して頂きたいとお願いしたんです。ただ…… 」
「 ただ?」
「 何点か、確認させて下さい。まず、これは委託契約ではありません。軌道に乗るまでは、正社員として働いて頂きますし、最少人数でのスタートになるので、編集以外の業務もお願いすることになるかもしれません。了承して頂けますか?」
桂木は、再び伏し目がちに答える。
「 ……営業は経験がありません。」
「 営業は私が担当するので大丈夫です。グラフィックなどのご経験はありますか?」
「 あります。得意ではないが…… 」
「 経験があれば十分です。それから…… 」
遥子はそこでニンマリ笑う。
「 独立はしますが、営業に関しては使えるコネというコネは使う方針です。それでも一緒に仕事をしてくださいますか?」
桂木が顔を上げてあからさまに眉をひそめた。
「 どういう意味です?」
「 これも長谷部さんからお聞きしたんですけど、桂木さんが今回のお話に興味を持って頂けたのは、私が大手を相手に独立して戦うような印象を持たれているとかいないとか…… 」
「……あいつ…… 」
桂木はちょっと苦笑いを浮かべた。
遥子は追い打ちをかけるようにニッコリ笑う。
「 私は、ジャンヌダルクになるつもりはありませんので。大手に戦いを挑むつもりもサラサラありません。ただ、編集だけでなくライターにも挑戦したかっただけです。」
遥子のきっぱりとした言葉に、桂木はちゃんと遥子を見てしっかり頷いた。
「 いいんじゃないですか?お手伝いさせて貰いますよ、よろしく頼みます。」
彼の “ 頼みます ” に、遥子は思わず握手を求めた。
「 こちらこそ、よろしくお願いします!桂木さんの力を貸してください!」
桂木は、渋々遥子の握手に応えて笑った。
桂木とは、その日の内に契約を交わした。
何度も来ることが面倒だと主張した彼の希望に沿って、勤務形態から給料、社会保険の手続きまで全てを済ませた。
ただ、仕事の体制を整えないと皆にしてもらう仕事が決められないので、初出勤までの猶予を貰うことで了承してもらったが。
あと一人……
あと一人揃えば、正式に営業をして、仕事を回して貰える所にはお願いをして、取り敢えずスタートが切れる。
だが、最有力候補だった人には、不採用の通知を出した。
そう、やはり踏み切れなかったのだ。事務所の代表を名乗る資格の無い選択だったかもしれない。
彼を雇えば、今後の動き方としてペアを組むことになる。
四六時中時間を共にするのだ。
かつての江上とパートナーとして本やコラムを手掛けていた時のように。
遥子は心の中で手を合わせながら、土門に不採用通知を送ったのだった。
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