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第13章 採用
桂木の採用と契約が決まった日の夕方、事務所の戸締まりをしてエレベーターで一階まで降りると、さほど広くないエレベーターホールの壁に土門がもたれて立っていた。
さっきまで思考を占領していた人物が突然目の前に現れ、一瞬声を失う。
「 どうも。」
先に口を開いたのは土門だった。
「 ……こんにちは。」
「 少し、お時間貰えませんか?」
「 ……なんでしょう?」
無表情に答える遥子に、土門は少し苛立だしげに、短めの髪を何度かかきむしった。
「どうしても!」
遠慮の無い大きな声に遥子はビクッとした。
「 どうしても!納得がいかないんですよ!なぜ不採用になったのか!」
彼が私に用があるとしたら、それしかないだろうと、遥子は内心思いながらもなかなか言葉が出てこない。
「 何がダメだったんですか?何が足りなくて落ちたんですか?僕は何を取得すれば採用して貰えるんですか!?」
遥子は軽く目を閉じ、このまま無視は出来ないと覚悟を決めると再度エレベーターのボタンを押した。
「 ……土門さん、ここではなんですから、事務所へどうぞ。」
三階にある事務所の鍵を開け、電気を点けるとソファを勧め、向かいに座る。
「 土門さんは、とても優秀な方だと思います。先ほど、何が足りないか?とお尋ねになりましたけど……足りないのではなくて、もっと他所でご活躍出来るんではないかと。こんなどう転ぶかもわからないちっぽけな所ではなく 」
なるべく丁寧に、気持ちを逆なでしないように言葉を選びながら伝えたが、土門の表情がどんどん不機嫌になっていくのがわかった。
「 何ですか?それ。」
睨むような土門の眼差しに、遥子は怯んだ。
「 何の理由にもなってないじゃないですか!?足りないものは無い?優秀?……ならば、雇って下さい!」
土門はそう言うと両手を握り締めながら自分の感情を鎮めるように膝の間に沈めた。
「 最初から、違和感があった。書類選考は通ったはずなのに、すぐに面接を終わらせようとしたり、募集要項の条件には間違いなく添っていたのに、経験値すら聞いて貰えなかった。……なぜですか?絶対に何か理由があったんですよね?」
なんて答えれば、納得してくれるだろう?……遥子は困り果てた。
貴方の顔を見たくないから、などと口が避けても言えるわけもなく、かといってハッキリと駄目だし出来る要素もない。
「 あの……例えば、土門さんの若さと能力があれば、私がもう少し大手の出版社をご紹介するということも可能ですが、いかがですか?」
遥子の苦肉の策として捻り出した言葉に、とうとう土門はキレた。
「 だから!!なぜそこまで僕を排除しようとするんですか!?僕は貴女に一体何をしましたか!?」
当然の怒りだった。
ぐうの音も出ない。
遥子は彼の正当な怒りから逃れるように眼を固く閉じた。
だが、次に土門から飛んできたのは、怒りではなく静かな声だった。
「 僕は、誰かに似ていますか?」
遥子はハッと息を呑んだ。
「 どんな理由をこじつけてでも顔を合わせたくない程、誰かに似ていますか?」
土門が真っ直ぐにこちらを見ていることはわかったが、遥子は顔を上げて彼と視線を合わせられなかった。
「 それしか……理由が見つからなかった。一番最初に顔を合わせたとき、貴女は驚いたように僕の顔を繁々と見ていた。」
段々と、遥子の中に怒りのような感情が沸き上がってきた。
なぜ、理由を言わないといけない?
こちらは採用する側で、彼はされる側で、そこにどんな理由があったとしても、それをいちいち説明する義務はないはずだ。
不採用は不採用なのだから。
こっちがそう判断したのだから。
遥子は沸き上がってきた怒りのままに顔を上げた。
「 土門さんが納得しようがしまいが、不採用と決定したのはうちの事務所です。求められたからその理由もお答えしましたし、これ以上お答えする義務はありません。お引き取り願いませんか?」
だが、遥子の言葉はスルーされ、土門は少し身を乗り出して、遥子に近づいた。
「 僕と、亡霊退治しませんか?」
「 はぁ!?」
遥子は意味不明の言葉と彼の動きに、眉をひそめ少し身を引いた。
土門は、お構い無しに言葉を続ける。
「 何も聞きません。もちろん、詮索もしません。でも、僕が時田さんを苦しめている亡霊に見えるのなら、一緒に退治しませんか?」
「 ……な、何を言ってるの?何の話をしているの?」
困惑して一層眉をひそめる遥子に、土門はにっこり笑う。
「 僕は、きっと貴女の役に立ちますよ!全力で、貴女の要望通りに働きます。足りないと言われれば、徹夜してでも補います。こんな逸材、そうそういませんよ!」
遥子の表情は、困惑から驚きに変わり、その瞳は大きく見開かれた。
「 そして、僕と仕事することで貴女を苦しめている亡霊もきっと退治出来ます!」
そこで土門は真顔になり、遥子を真っ直ぐ真剣な眼差しで見つめた。
「 僕は、絶対に貴女を傷つけません!」
言い返す言葉が無かった。
最後の彼の一言で全身の力が抜けていくような錯覚に陥った。
“ 亡霊 ”とは……上手く例えたものだ。
気がつくと遥子はクスクス笑いだしていた。
なんて面白い子!
亡霊退治に、自分を逸材だと言い、最後は私を傷つけないですって!?
なぜか、笑いがなかなか収まらない。
遥子の笑う様子をワクワク顔で楽しそうに見ている彼は、まるで少年のようで、よくよく見れば、江上にも差ほど似ていないような気がしなくもない。
亡霊退治……とはそういうことなのだろうか?
見たくないものに目を瞑るのではなく、真っ向から見れば、実はそれが幻のようなものなのだと気づくということなのだろうか?
遥子はようやく笑いを収め、あらためて土門を見た。
「 ……最後に、質問しても?」
「 もちろん!」
「 何故、ここまでしてうちで働きたいの?来月には潰れてるかもしれないような小さな事務所よ?」
「 ひとめ惚れです。」
土門はニヤリと笑った。
「 ここの募集要項を初めて見つけた時、ここだ!という直感が走った。そして、面接で時田さんを初めて見た時、この人と一緒に仕事がしたい!と強く思った。そういう直感を僕は信じてきたし、つまりはひとめ惚れと同じ感覚です。」
遥子は五秒間黙って彼を見つめた。
そして、土門の言葉とその瞳に嘘はないと確信して、頷いた。
「 わかりました。……エディットTにようこそ。」
遥子のひと言に、土門の顔に驚きが広がり、それがすぐに喜びに変わると、はち切れんばかりの笑顔になった。
「 やった―――!!!ありがとうございます!!」
無邪気な子供のような喜び方に、遥子もつられて微笑んだが、同時に釘を刺すことも忘れなかった。
「 覚悟してね、私と仕事するのはかなりキツイわよ!」
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