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第15章 リハビリ ①
次の週、早々に作家、白岡 類の元を訪れるべく準備を進めた。
その前日、遥子のデスク前に立った土門に尋ねる。
「 いちいち言うことではないと思ったから言わなかったけど……白岡先生の作品、読んだわよね?」
土門は、肩をすくめて笑った。
「 僕の趣味、言ったことありましたっけ?読書ですよ。白岡先生の作品は全て読んでます。念のために最新作はもう一度目を通しましたけど……嫌いな作家ではないです。」
ちょっと生意気な答え方に異議を唱えるように、遥子も肩をすくめて無言で答えた。
土門はわかってますよ、と言わんばかりに口を歪めて笑う。
「 あと、前もって揃えておく資料とか何かありますか?」
「 いいえ。まだご挨拶も出来てないから、何をお望みなのかもわからないしね。プロットの細かい変更もあるかもしれないし、とにかく御会いしないとわからないわ。」
「 では、交通手段はどうします?」
土門はタブレットを操作しながら尋ねた。
「 白岡先生の作業場所のマンションまでのルートは全部出してあります。電車、バスなどの公共交通機関でのルート、タクシーや車でのルート、あと、バイクでのルートや時間も出してありますよ!」
「 バイク?」
遥子が眉を上げると、彼はニンマリと笑った。
「 僕のバイクです。僕はバイク通勤なので、急ぎの時にはバイクルートが一番の近道ですよ。」
彼の運転するバイクの後ろに彼の腰に手を回して自分が乗っている姿を想像して、遥子は苦笑いしながら首を振った。
「 ……それは何かあった時の最終手段に取っておきましょ。」
「 残念!遥子さんを後に乗せたかったのになぁ~ 」
冗談交じりに悔しがる土門に、遥子は眉をひそめた。
「 ねぇ、一度注意しようと思っていたんだけど、私を名前で呼ぶのやめてくれない?」
最近なぜか突然、自分を下の名前で呼び出した土門に言おうと思っていたことだった。
「 なぜですか?嫌ですか?」
悪びれもせずにこちらを真っ直ぐに見つめる土門から視線を外す。
彼のこういう視線は相変わらず苦手だった。
「 時田DRって呼ぶと岩橋女史が決めたはずよ、従って。」
土門は大袈裟に腕組みをする。
「 なんか、ピンと来ないんですよねぇ。健さんが有りなら、遥子さんも有りにしませんか?」
「 健さんと私では立場が違うわ。ケジメはつけてちょうだい。」
手元にあった白岡のプロット資料を見ながら突き放すようにそう言った時、突然土門に手首を掴まれた。
びっくりして顔を上げると
「 今は、僕と話をしてるんですよ?僕を見ないのはマナー違反では?」
見たくない顔がすぐ間近にあった。
否応なしに鼓動が早くなる。
土門は手首を離し、ウィンクした。
「 こういうのも、亡霊退治ですよ 」
遥子は、掴まれた手首を擦りながら部屋からしれっと退室する土門を睨み付ける。
彼の生意気な話し方や、態度が無性に癇に障る。
仕事の部下として距離をあけているのに遠慮なく簡単に詰めてくるところがイライラする。
江上は、こういう図々しい処は持ち合わせていなかった。
仕事では周りにも自身にもとんでもなく厳しいところはあったが、いつでも適度な距離感を持つ紳士的な人だった。
そう、もうわかっている。
どんなに顔が似ていても、土門は江上とは違うのだ。
なんなら違いすぎてイライラする。
仕事の上では、予想以上に優秀なのに、彼が近くにいると苛立つ。
遥子は、そんなことをぼんやりと思いながら、ため息をつく。
白岡の担当をするにあたって、この先土門と行動することが増えるのは目に見えている。
この理解不能な苛立ちは無視してでも上手くやらなければ、今後の事務所の信頼に関わってくるのだから。
「 白岡先生、はじめまして、今回新作の編集全てを請け負わさせて頂きます、エディットTの時田遥子と申します。こちらはアシスタントの土門です。宜しくお願い致します。」
「 土門です。宜しくお願いします!」
翌日、約束の10時前に白岡の作業場マンションに2人はいた。
「 これはこれは!伝説の凄腕女性編集者にようやく御会いできましたね!」
中に招き入れ、朗らかな笑顔で迎えてくれた白岡は、細身の穏やかそうな人物だった。
プロフィールによると42歳のはずだが、ダメージジーンズにサマーニットを着こなす彼は、30代でも通るくらい若く見えた。
「 まぁ、先生!伝説だなんて……」
遥子が困ったように笑うと、白岡は人差し指を立てて首を振る。
「 長谷部君からこれでもかと云うくらい時田さんの実績は聞いていますよ。冬影社の元エースだとか。」
遥子は控え目に微笑み、頭を下げた。
「 恐縮です。御期待に添えるように精一杯努めさせて頂きます。」
土門も空気を読みながら軽く頭を下げた。
生活感のほぼ無い、マンションの間取りは2LDKで、デスクが二つと簡易のソファセット、無数の資料が乱雑に並んでる本棚が二棹あるだけだった。
もう一部屋は泊まり込みに使う仮の寝室になっているらしい。
だが、十階から眺める景色はなかなかのものだった。
夜になれば、都会特有の宝石を散りばめたような夜景が拝めるだろう。
遥子は、白岡の雑談に付き合いながら、徐々に自身の中のスイッチを入れていった。
かつて、編集チームのリーダーを務めていた頃、そういう編集者モードのスイッチを持っていた。
一年半振りの現場に立ち、これも編集者としてのリハビリになると考えていたので、まずはスイッチを入れることから始める。
「 先生、そろそろ打ち合わせ始めましょう!プロットに沿った予定と必要な資料を決めることからで宜しいですか?」
遥子の提案に、白岡は困惑気味な笑みを見せた。
「 今日は、顔合わせですよ?それは次からでいいでしょう 」
「 いいえ!」
遥子はキッパリと否定した。
「 先生、他社でも連載持たれていますよね?ということは、そちらは締め切りが毎月ありますよね。うちの方は連載ではありませんけど、締め切りは来ます。なので、少しでも早く始めた方が宜しいかと。」
「 ……それはそうですがね… 」
いまいち乗り気でない白岡に遥子は畳み掛ける。
「 万が一、先生がスランプや停滞期に入られたらどうします?そうならないことを願っておりますが、余裕を持って損は無いかと。」
テキパキとした言葉で押し通す遥子と、戸惑う白岡を面白そうに土門は見比べる。
「 わ、わかりました。とりあえず、始めましょうかね…… 」
渋々立ち上がった白岡に遥子は満足そうに微笑み、書類袋を手に立ち上がった。
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