第16章  リハビリ ②

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第16章  リハビリ ②

「 遥子さんの編集者モード、初めて見ましたけど……鳥肌ものですねぇ!」 すでに白岡の中で決まっている作品の流れを把握して、とりあえず要望のあった資料、内容上必要になりそうな資料を揃えて届ける期日の調整までを決めると、2人はマンションを後にした。 「 私のことより、貴方は資料の段取りを考えなさい。今日の打ち合わせの中で予測出来たり思い付いた資料はあった?」 土門は、人差し指でこめかみ辺りを指差しながら、ニンマリ笑う。 「 すでに、何点かは思い付いてます。なんなら、イメージが沸くような写真なんかも揃えてみようかと。」 得意気な顔にちょっとイラつきながらも、その頭の回転の早さに内心感心もした。 「 貴方にとってもアシスタントデビューなんだから抜かりのないようにね。」 「 遥子さんを失望させたりしませんよ!」 「 だから!その呼び方!」 遥子がすかさず噛みつくと、土門は敬礼の真似をして脚も大袈裟にピシッと揃えた。 「 事務所及び白岡先生や同業者関係者の前では、時田DRとお呼びします!なので、2人きりの時は遥子さんと呼ばせて下さいーー!」 そのまるで警察官か、もしくは自衛官のような大袈裟な口調と態度に、睨みつけていた遥子も不覚にも吹き出してしまった。 「 ありがとうございました!」 相変わらず斜め上の方を見ながら敬礼する土門に遥子は笑いを噛み殺しながら逆らう。 「 許可はしてないわよ!」 「 ダメですよ。笑ったから遥子さんの負けです!」 敬礼をほどいて土門は意味ありげにウィンクをした。 思いかけず、頬が熱くなった気がして、遥子は踵を返した。 「 一度でも誰かの前で私を名前で呼んだら貴方の負けよ!」 「 僕は負けませんよ、……誰にもね 」 ついさっきまでと違って真剣実を帯びた声が背中から聞こえたが、遥子は敢えて振り返らなかった。 それからのエディトTは一気に仕事が舞い込み多忙になった。 そもそも昔馴染みのコネで頼み込んでいた出版社の下請け校閲や、新規企業からのパンフレット依頼。 もちろん目玉は白岡の新作編集で、周りの全ての目が、遥子の事務所の実力を推し量ったかのような様子見注文が多かった。 白岡の所に連れていく予定だった土門も、パンフレットなどの写真構成や、桂木の校閲、校正の補助が多く、殆ど遥子が単独で白岡の元を訪れていた。 その上、遥子の土門への仕事上での当たりやダメ出しがかなり厳しかったから、土門の機嫌は悪くなる一方だった。 その日も昼から白岡の元へ向かう遥子に土門が抗議の為に部屋に入ってきた。 「 時田DR、今日も僕は置いてきぼりですか?」 持っていく予定の資料を確認していた遥子は手を止めて土門をちらっと見た。 「 貴方が用意してくれた資料はちゃんと渡すわ。他に何か?」 「 僕は、アシスタントなんですよねぇ?」 「 そうよ。だから先生の要求する資料を用意してもらったりしてるのよ。別に現場に出向くだけがアシスタントの仕事ということではないしね。」 ぐっと口を結び不満げに立っている土門に追い打ちをかけるように遥子は退室を命令した。 「 この時間が無駄だと思わないの?今手掛けてる校正、今週末締め切りでしょ?」 冷たい口調に、土門は何かを言いかけたが、ぐっと呑み込むように背を向けた。 不満に肩を怒らせながら出ていく淡いブルーの半袖シャツの背中を見つめ、遥子は小さな溜め息を洩らした。 彼の仕事に不満があるわけじゃない。 むしろ、飲み込みの早さに驚いている。 校正に到っては、なかなか厳しい桂木が評価しているくらいだ。 だが、今のこの距離感が楽だった。 顔が昔愛していた人に似ているとかということではなく、もはや土門という人物そのものが苦手だった。 長年、編集者としてあらゆるタイプの人と接してきたが、こういう感覚は初めてだと思う。 癖の強い人、偏屈な人、変わり者と言われるタイプまで、其れなりに扱ってきた。 この容姿や女性編集者ということだけで、つけこもうとする人も居たが、それすらどうってことはなかった。 なのに、彼だけは扱い方を迷ってしまう。 いや、扱いきれずについつい厳しく当たってしまう。 そして、その厳しさが土門を少し浮いた存在にしてしまい、チームワークを乱してしまっているのも、自分のせいなのだろう。 苦手意識を持ってしまったことが最大の原因だとはわかっていた。 もう少し彼の能力を素直に認め、皆と同じように接すれば解決するのもわかっていた。 だが……まだ彼の目を真っ直ぐ見ることも彼に微笑みかけることも、なかなか難しい。 経営者としては失格、子供じみた虐めでもしているようで自己嫌悪が止まらないのも本音だった。 「 岩橋女史、私今日は直帰予定にしておいて。」 「 かしこまりました。白岡先生との打ち合わせのあと他のお仕事のご予定ですか?」 「 仕事、といえば仕事かなぁ。白岡先生の接待だから。」 遥子が苦笑いで答えると、桂木が珍しく口を挟む。 「 喰われるなよ。」 「健さん!?」 桂木のまさかの冗談に遥子は吹き出した。 「 喰われませんし、喰いもしません!」 「 喰うことも…あるんか 」 遥子の返しに桂木が笑った。 つられて岩橋もクスクス笑う。 皆が和やかな笑いに包まれている中で、唯一、土門だけが燃えるような目で遥子を睨み付けていた。 言いたいことは大体わかる。 自分を置いて行くくせに貴女は優雅に接待ですか!? だろう。 せめてもの気遣いとして、遥子は土門に声をかけた。 「 次の機会には是非土門も一緒に、って白岡先生には進言しておくわね 」 「 行きませんよ!僕は接待の類いが大嫌いなので!」 喰い気味に即答した土門に、桂木がまた笑った。 「 小僧、そう拗ねるな 」 再び岩橋がクスクス笑った。 実は彼女、笑い上戸らしい。 「 こういう時間が無駄なんじゃないんですか?」 ついさっき遥子に言われた言葉を逆手に土門は意地悪そうに睨む。 岩橋は笑いを収め、え?という顔で土門を見た。 遥子はまともには取り合わず、バックと書類袋を抱えて桂木と岩橋に手を振った。 「 健さん、小僧の子守り宜しくねー!」 背中に再び燃えるような視線が突き刺さった。
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