第3章  思わぬ再会

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第3章  思わぬ再会

今から半年前の、正月明けて間もない寒い日に、まさかの再会は訪れた。 出版社を退社した後は、自己に向く酷い嫌悪感や罪悪感に苛まれ、働くでもなく、何をするでもなく数ヶ月を引きこもって過ごしていた遥子だった。 だが、失業保険もそろそろ底をつく頃、少しずつ冷静さも取り戻しつつある中で、遥子は生活の為、仕方なくアルバイトを始めた。 自宅近くの小さな本屋のアルバイト募集の張り紙を見て、何も考えずに飛び込んだ。 本の匂いが好きで、本を手に取っていると落ち着いた。 いつの間にかそんな体質になっていたのだ。 きっとこれも職業病のひとつなのだと、自嘲しながら店頭に本を並べたりレジ打ちをする日々を送っていた。 「………時田……さん?」 レジ前の新刊の入れ替えをしている時、背後からあきらかな驚きを含んだ声が掛かった。 それが長谷部だった。 手にしていた本こそ落としはしなかったが、振り向きながら、はっ!と吸い込んだ息が止まった。すぐには声が出ない。 グリーンのエプロンにジーンズ、以前より伸びた髪を無造作に縛っている遥子の姿は、長谷部の記憶に残るかつての凛とした美しい彼女とは余りにも違い過ぎていた。 「 こんなところで……何をされているんですか?」 “ こんなところ ”という言葉に、遥子の呼吸は苦笑いと共に戻った。 「 長谷部さん、……ご無沙汰しております。」 遥子はぎこちない笑みらしきものを浮かべ、頭を下げる。 そして三冊ほど手にしていた本を持ち上げながら 「 ここで働いています。さしずめ、今は新刊の入れ替えです 」 彼も、会いたくはなかった人の一人だった。 自分が犯したかつての醜い過ちを知る人だからだ。 だが、あの当時全てを飲み込んで赦してくれたこの人の前から逃げ出すことも出来ない遥子だった。 店長に頼み込み、仕事を上がらせてもらい近くの昔ながらの喫茶店で向かい合う。 「 お元気でしたか?いや、まさか、こんな形の再会が待っていようとは…… 」 咄嗟に声をかけ誘ったものの、遥子との思いがけない再会に戸惑いを隠せない長谷部だった。 そりゃぁそうよね。 あの当時、彼の大切な部下を陥れ傷つけた張本人を前にしてるんだもの。 遥子は卑屈な思いを隠しきれずに、顔を上げその感情を言葉にした。 「……あの時の事をお聞きになりたくて私に声を掛けたんですか?それとも……私に苦言を呈するために、私を探していたんでしょうか?」 そのストレートな問いかけに、長谷部は少しばかり顔をしかめて口元をぐっと結んだ。 温かな香りを漂わせるコーヒーを一口すするとあらためて遥子を真っ直ぐ見る。 「 苦言……ですか。確かにあの時は、貴女に聞きたいことも言いたいこともありましたよ。ましてや、彼女……砂原は、私の直属の部下で編集者のタマゴとして育てていた事は貴女にも周知して頂けてたはずだと思っていたので 」 ーーー 砂原美月(すなはらみづき)。 かつて、自分を編集者の先輩として純粋に慕い、教えを乞い、無邪気になつき、最後は泣きながら自分の頬を引っ叩いて悪夢から目覚めさせてくれた娘。 だが、同時に、自分から何もかも奪った娘。 ……あぁ!私はまだこんなことを思っているの!? 遥子は頭の中に浮かんだ言葉にうんざりと嘆いた。 あの子は何も奪ったりしてはいない。 むしろ、あの当時の彼女の環境をぶち壊し大切なものを奪ったのは私の方だ。 遥子のなんとも言い難いような苦痛に歪む表情に、長谷部はそれを断ち切るように声を掛ける。 「 時田さん、でもそうではないんですよ!貴女を責めたくて声を掛けたんではないんです。こんな風な再会も、本当に偶然です。打ち合わせの帰りにふと市場調査の真似事で立ち寄った店で、奇跡的に貴女を見つけたまでです 」 虚ろな目で唇を噛む遥子に長谷部は微笑みかける。 「 一年です。当時は色々な感情がもつれはしましたが、もう一年です。皆、それぞれに歩みを進めてきた月日ですよ。」 長谷部の優しい言葉に、遥子は異常に冷え切った指先を温めるためにコーヒーカップを包むように持ち上げてわざとらしい笑みを浮かべた。 「 …… 歩みを止めているのは私だけかもしれませんね 」 「 それでも、本屋で仕事をしていてくれていて、なんだかホッとしました 」 長谷部は笑いながら続ける。 「 貴女には、本が似合う。本を作るという天性の才を捨てないで下さいね 」 遥子は自嘲気味に微笑む。 「 そんな才……ないです。そもそも私には本を作る資格もないですから… 」 長谷部は、遥子が言わんとする意味を汲み取りながらゆっくり言葉を選んだ。 「 もう、いいんじゃないですか?そこまで貴女が自分を追い込んだとしても、誰も喜びませんよ。むしろ…悲しむ人達がいる 」 「 悲しむ……?」 「 えぇ。1番悲しむのは、砂原でしょうね。彼女は貴女を本当に慕って尊敬していましたから。それに、当然、貴女を自分の恩人だと思い続けている江上先生も。」 遥子は、虚ろな瞳で辛そうに長谷部を見た。 「……それが辛いんです。そうやって私を赦す人がいるから、私は追い込まれるんです… 」 「 赦す…… 」 長谷部はため息をついた。 「 貴女が大きく勘違いをしているのはそこじゃないかな?誰も、貴女を赦したりしていないでしょうから 」 遥子は長谷部の言葉の意味を読み取れずに眉をひそめた。 「 どういう……意味ですか?赦してはないけど、悲しむんですか?」 長谷部は、微笑みながら小さく首を振った。 「 誰も、貴女を恨んだり責めたりしていないということです。あの時の事は、おそらく、それぞれが自らに責があると思っているんです。だから、誰も貴女を赦しようがないんですよ 」 長谷部の言葉の意味を噛み砕くような穏やかでゆっくりとした口調に、遥子は目を固く閉じた。 そういうのが辛いんだってば…… 声にならない言葉を心の中で呟いた。
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